信仰の手引き(日本語)

信仰の女ツァレファテの寡婦

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-06-27 22:47
閲覧数
1503
寡婦が見ると、かめの中には一握りの粉しかありませんが、
エリヤ預言者が見ると、かめの中には粉がいっぱい満たされています。
ツァレファテの寡婦は、自分が見えるものを捨ててエリヤの話しを信じ、受け入れました。
そうしてその地に、雨が降り出すまでお腹いっぱい食べられました。

 



最後の一握りの粉
旧約聖書列王記第一17章にツァレファテに住んでいる寡婦が登場します。幼い息子と一緒に住んでいるツァレファテの寡婦は全国の飢饉のため、死にかけていました。寡婦はかめにある一握りの粉とつぼのなかにあるほんの少しの油で最後の食事をするため、城門の外にたきぎを拾いに出かけました。
そこで寡婦はエリヤに会いました。預言者エリヤは寡婦に水差しのほんの少しの水を頼みました。寡婦が水を持って来たら、一口のパンも持ってくるよう言いました。すると、寡婦が言いました。
「あなたの神、【主】は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」

 

かめの粉は尽きない
エリヤが言います。
「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。イスラエルの神、【主】が、こう仰せられるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」
寡婦はエリヤに言われた通り、最後の一握りの粉と油でパンを作ってエリヤにあげました。そしてかめを見たら、粉が尽きず、油も尽きませんでした。寡婦は息子と粉と油でパンを作って食べましたが、尽きず出てくる粉と油で何日も豊かに暮らしました。

 



ツァレファテの寡婦はどんな思いをしたか。
ツァレファテの寡婦が「一握りの粉でパンを作って持って来てください」というエリヤの話しを聞いたときにどんな思いがしたでしょうか。寡婦は何よりも最後の一握りの粉を持ちたがったでしょう。最後の粉でパンを作って何があっても誰にもあげないで、愛する息子と一緒に食べたかったはずです。ですから、エリヤがパンを作ってきて持ってくるように言ったときに「かめの中に粉が尽きないだと?あの人がうそをついている。お腹がすいているから自分が食べようとしているんだ」と思ったはずです。サタンが女にそのような思いを入れたわけです。
しかしツァレファテの寡婦はエリヤの言う通りにしました。寡婦は神様を信じる信仰を持っていたから、サタンが入れる思いには心が全く揺れませんでした。息子も自分がパンを食べたいと泣いているのに、息子にパンをちっともあげないで、エリヤにすべて持って行きました。

 

ツァレファテの寡婦が信仰を持った理由
サタンはイスカリオテ・ユダにイエスのために生きれば、滅びると話しかけて、イエスを売ってこそ生きるとつぶやいたはずです。イスカリオテ・ユダはサタンの声を聴いてイエスを売りましたし、滅びてしまいました。サタンは私たちに同じように働いて、私たちが神様を信じないようにします。
このようにサタンが働くのに、ツァレファテの寡婦は一般人が持てない信仰を持てたのはなぜでしょうか。それは、寡婦が生活の中で神様を信じる信仰で生きていたためでと思います。寡婦は主人なしに息子を育て、困難なことにもたくさん遭ったはずです。困難なとき、助けてくれる人が一人もいなかったはずです。苦しい心を交わす人もいなかったはずです。寡婦はその都度、神様に頼って恵みを受け、神様を信じる信仰によって困難に勝ったはずです。一言でいうと、多くの困難が寡婦に真の信仰を持たせたのです。

 



この時代のツァレファテの寡婦
同じかめなのに、寡婦の目にはかめの中は一握りの粉でした。しかし預言者エリヤの目で見たときに、かめの中には粉でいっぱいでした。ツァレファテの寡婦は自分が見る目をおいて、預言者エリヤがみて話した通りに受け入れました。ですから、だれにもできない貴いことをしましたし、その地に雨が降るまで豊かな食料を持ってお腹いっぱい食べられました。息子に食べ物をいっぱいあげましたし、隣人にも食べ物を与える神様の娘になりました。自分のすべてだったかめの中の一握りの粉でパンを作り、神様の人にあげた女に、神様はこの世で誰も受けられない恵みを与えたのです。
この時代にもツァレファテの寡婦みたいに、貧しく暮らし、困難がもたらす問題によってほかの人が持てない信仰を持った人々が多いです。神様はそのような人を知っておられ、導いています。彼らが困難に遭った時に、神様の力を受けて困難から逃れられるよう、彼らの中に信仰を育てています。その信仰を持った人々がイエスの恵みと栄光がもって生きることと信じます。