信仰の手引き(日本語)

あなたの兄弟がよみがえります

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-04-01 17:26
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私たちがイエスと心を共にしたとき、ブドウ酒が足りなかったり、38年もの間病気にかかったり、ラザロが死んだり、いかなる事でもイエスによって解決できないことはありません。そのイエスを信じる心で進むときに、神様が私たちの中に働きます。

死んだ兄弟を救うことが信じられなかった
ベタニヤに住んでいるラザロが病気にかかりました。マリヤとマルタというラザロの二人の妹は、イエスに人を送らせ、兄が病気にかかったことを知らせました。しかし、イエスはもう二日泊まっていた所にいてから、ベタニヤに向かいました。
イエスがベタニヤのラザロの家に訪ねたときは、ラザロが死んで4日後のことでした。マルタがイエスを迎えてこう話しました。
「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」
マルタは兄が病気にかかっていたときに、イエスが病気を治せると確信していました。しかし、死んだ兄をよみがえらせることは信じられませんでした。イエスは病気にかかったラザロを治せるだけではなく、死んだラザロをもよみがえらせることができるので、「あなたの兄弟はよみがえります」と言っていますが、マルタは兄をよみがえらせることを信じず、悲しんでいました。

イエスと心を共にすれば
私たちにある問題は、いかなる問題であってもイエスが解決できないものはありません。ただ、一つだけ条件がありますが、私たちがイエスと心を共にすることです。マルタが兄の死を悲しんでいたところ、イエスが「あなたの兄弟がよみがえります」と言ったとき、それを信じていれば何をしていたでしょう。
「本当ですか。兄がよみがえりますか。ありがとうございます。イエス様」
このようにイエスに答えて、家に帰ってみんなに知らせたでしょう。
「泣かないでください。兄が食べるものを用意し、顔も洗えるように水を用意してください。兄はよみがえります」
イエスの言葉を受け入れたら、マルタの心でもラザロがよみがえったはずです。しかし、マルタはイエスの言葉より自分の判断を信じていました。兄が病気だった頃は治ることはできても、死んだ兄はよみがえらないという心を持ち続けていて、マルタの心では兄は死んでいたわけです。
イエスはマリヤとマルタの心の中に死んでいるラザロをよみがえらせる必要がありました。そのようにするために、話し続けました。「あなたの兄弟はよみがえります」「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」このように言いましたが、マリヤとマルタは信じませんでした。



「ラザロよ。出てきなさい」
イエスがラザロの墓に行きました。墓はほら穴で、イエスは立てかけてあった石を取り除けるよう言われました。すると、マルタが「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから」と言いました。
神様がこの世を創造されるとき、この世は神様の言われた通りに創造されました。神様の思い通りに創造されたのです。しかし、私たちはイエスと異なった心の世界をもっているので、イエスの言葉を信じず、言葉とは異なる考えを表現しています。イエスが再びマルタに言います。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」
マルタはもうほかのことが言えませんでした。そこで彼らは石を取り除けました。イエスがラザロをよみがえらせるのは至って簡単でした。「ラザロよ。出てきなさい」この一言ですべての問題が解決されました。

「起きて、床を取り上げて歩きなさい」
イエスは38年もの間、病気を患った人に「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言いました。それまで、38年の病人は自分が床を取り上げて歩くことなんて、想像もしませんでした。自分の足が衰弱し、まったく力がありませんでした。これまで何度か起きようとしましたが、できなかったので起きることは不可能だと思っていました。しかし、イエスが「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われたとき、病人の心にはイエスの言葉が入っていたわけです。彼は言葉をそのまま受け入れました。自分が起きることも歩くことも言葉にすらできなかったことですが、彼はイエスの言葉が自分を治すと信じていたのです。ですから、38年の病人は彼の足を見ないで、イエスの言葉の通り起きたら、歩けたわけです。



イエスが働く方法は一つしかない
ヨハネの福音書2章で、マリヤが手伝いの人たちに「あの方が言われることを、何でもしてあげてください」と言いました。これが、イエスの前に立つべき、私たちの心の姿です。私たちの心には、私たちの主観と計画と方法があるので、イエスが何かを言われるときに、自分の考えでイエスの言葉を拒み続けてきました。イエスが解決できない問題などないと知りながらも、多くの人々は自分の考えでイエスの働きを拒んだわけです。
聖書を読んで発見したのは、イエスが働く方法は一つだけだということです。イエスが何を言われても、その言葉を受け入れて信じることです。すると、イエスの心と私たちの心が一つになります。私たちが信仰でイエスと共にするとき、ブドウ酒が足りなかったり、38年もの間病気を患っていたり、ラザロが死んだり、いかなる大きな問題であっても解決できない問題はないわけです。そのイエスを信じる心で進むと、神様が私たちの内側で働かれます。