信仰の手引き(日本語)

ペテロと足の不自由な者

投稿者
goodnews2
投稿日
2019-12-01 01:24
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ペテロが宮に上って行く途中、足のなえた人に会いました。彼を立たせたことによって、五千人が救われる働きがありました。私たちがときには弱く、力をなくしたとき、どうしてそのようなことが起きたかをよく知りませんが、神様の思いを知って自分の喜びとして受け入れるなら、その難問は神様の思いを遂げる栄光のあることとなります。

 



ペテロが足の不自由な人を立たせた
使徒の働き3章で、ペテロが宮に上って行く途中、門の前で足のなえた人に会いました。生まれつき足のなえた者です。ペテロが彼に話しました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名よって、歩きなさい」
ペテロが彼の右手を取って立たせると、彼はまっすぐに立ち、歩き出しました。
これは至って単純な話しです。しかし、ここで驚くべきことは「ほかの人は健康なのに、なぜ神様が長い間この人だけを足のなえた人として生活させたでしょう」という点です。

イエスの心に変わったペテロ
ペテロは足のなえた人を歩かせる能力を持っていたわけでも、信仰がよかった人でもありません。イエスが十字架につけられるとき、ペテロはイエスを三度も知らないと言っていました。ですから、心に呵責を受け、イエスの弟子の座を捨て、再び魚をとりにガリラヤ湖に行きました。イエスはそんなペテロに訪ねて行きました。ペテロが陸地に上がったとき、イエスは炭火の上で魚とパンを焼いておいて、弟子たちにわけてあげました。
朝食を食べた後、イエスがペテロに聞きました。
「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上にわたしを愛しますか」
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」
イエスは三度ペテロに聞きましたし、ペテロは三度同じ回答をしました。毎度イエスはペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と言われました。
ペテロはとても驚きました。自分はイエスを三度否認したので、イエスと共にいる資格がないと思ったからです。ですから、再び漁師になろうとしましたが、イエスはペテロに教会を託しました。
その後、ペテロが宮に上って行く途中、足の不自由な人に会ったわけです。昔、彼の心には自分が生きていたのですが、今はイエスが生きているので、足のなえた人を立たせたくなりました。ですから、ペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名よって、歩きなさい」と言い、彼の手を取って立たせてあげました。

 



足の不自由な人が立った
彼は歩いたり飛び上がったり、神様を賛美しました。多くの人がその様子を見て、大変驚き、宮に集まりました。ペテロが彼らにお言葉を伝え始めました。
「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました」
イエスによって足のなえた者が歩けたことを通して、ペテロは福音を伝えました。使徒の働き4章にはこのように記されています。
「しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった」

五千人が救われる働き
一日に五千にもなる人がどう救われたでしょうか。ペテロが宮に上って行く途中、生まれつき足のなえた者に会い、彼を立たせたことによって、そのような貴い働きが生じたわけです。
「ほかの人は健康なのに、なぜ神様が長い間この人だけを足のなえた人として生活させたでしょう」
この者は40年も、足のなえた者として苦しんでいました。ですが、ペテロに会い、病気が治って歩けたり飛び上がったり、しかも、五千人もの人々が救われるという驚くべきことが可能になりました。この足なえは思えば思うほど「神様がどうしてこのような貴いことを私になさるのか」と、言葉に表現できないほど感謝したことでしょう。

 



軟弱な時、私たちはわからないが
それがまさに神様の働きです。私たちはどうして困難に遭うのか、今はわかりません。しかし、神様は私たちを通して働かれるためにすべてを準備しておられます。私たちは将来、何が起きるか知りませんが、神様は知って準備しておられます。私たちは時には軟弱だったり、時には力が抜けていたりしますが、どうしてなのかわかりません。ですが、すべてが神様の思い通りになります。なぜかというと、神様にできないことなどはないからです。
一時的な困難で不満を言うのをやめましょう。神様が素晴らしいことをなさるためです。私たちが神様の思いを知って、喜びとして受け入れるなら、その困難はきっと神様の思いを遂げる栄光なることとなると信じます。