信仰の手引き(日本語)

心の謙虚なともがらの妻

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-07-12 16:33
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911
夫を亡くした預言者のともがらの妻は、夫と全く同じ信信仰を持ちました。
神様の御心を自分の思いよりも信じる信仰が預言者のともがらの妻の心に生きていて、
色々なことがあっても、今日も感謝と喜びが溢れています。

 

 



 

預言者のともがらとその妻
昔々、預言者エリシャがいました。預言者エリシャは神様の御言葉を伝えながら神様に仕え、ともがらに信仰を教えていました。
ある日、一人の若者が妻と二人の息子と共に預言者の学校に来ました。彼は神をとても愛していました。毎朝早起きして祈りをささげ、御言葉を学び、神様と預言者エリシャに仕えました。しかし、彼の妻は信仰によって生活するということが理解できず、毎日を乗り切るのに苦労していました。
ある寒い冬の日、このともがらは病気になりました。残念なことにも、このともがらは彼の二人の息子と妻を残し、世を去りました。夫を亡くしたともがらの妻はどうしたらいいかわかりませんでした。結局、彼女は二人の息子と預言者の学校を離れることにしました。彼女は一緒に暮らした人々に言います。
「ごめんなさい。夫の思いに従ってここにいて神様に仕えようと思いましたが、私に信仰がなくて高尾で暮らすのが大変です」
他の婦人は、信仰がなく苦労している彼女を止められませんでした。彼女は当てもなく去っていきました。

 

 

神様の道が善いと信じるのが信仰である
歳月が経ちました。ある晩春の日、ともがらの妻と二人の息子が預言者の学校を訪ねました。人々は彼らを温かく迎えました。夫人は預言者エリシャに挨拶をした後、言います。
「預言者様、私がここを離れて二人の息子と懸命に生きようとしましたが、とても苦しくなりました。ですから神様が私を再びここに来るようにさせてくださいました」
預言者エリシャが言います。
「世の中のどんな方法よりも神様の道が一番だという事実を、それを知るのが信仰です」
夫人は話しを続けました。
「私がここを離れて小さなビジネスを始めましたが、多くの借金をしました。とても苦しく何度も死んでしまいたいという思いもありましたが、息子たちのためにそうはできませんでした。もう賃金業者が二人の息子を奴隷として連れて行こうとしています。預言者様、もう私には方法がありません。信仰がないですが、神様の恵みを受けたいです」
夫人は泣き止みませんでした。
「本当によく来てくれました。多くの人が信仰できない理由は、神様の方法よりも自分の方法のほうがよく見えて、神様を信じないからです。反対に、失敗して希望が神様しかない人は神様を見上げて神様に頼るようになりました。そのとき、神様が働くんです。夫人の家に何があるのか言ってみてください」
「神様の人よ。私には油一本以外何もなりません」
「でしたら、二人の息子と家ごと訪ねて、器を借りなさい。そして、ドアを閉めて借りてきた器に油を注いでみてください」
前までは神様を信じようにも信じられませんでしたが、自分の方法が終わった後、夫人は神様の御言葉を信じる信仰がありました。

 



 

各器が油でいっぱいになる
ともがらの妻は二人の息子と家に帰って、家ごと訪ねて空の器を借りました。器が家に、床に、隣の部屋にいっぱいになりました。夫人はドアを閉めて神様に感謝する心で、祈る心で空の器に油を注ぎ始めました。隣にいた子供たちが叫び始めました。
「お母さん、油が止まらないよ!もう、瓶二つに油がいっぱいになったよ!」
夫人は信仰がない自分に神様がなさっていることがとても感謝でした。
「お母さん、この時にお父さんがいればいいのに…」
「そうだね。お母さんが前までは信仰がなく、誤った人生を送ったよ。お母さんは今お父さんが理解できる。どうして神様を信じたのか…」
借りてきた器すべてが油でいっぱいになりました。家中、油の香りであふれていました。
夫人は二人の息子と一緒に預言者エリシャの家に行って感謝の気持ちを伝えながら、油の話しをしました。すると預言者エリシャが
「行って油を売って借金を返して、残ったもので生活してください」
「お母さん、私たちはもう奴隷として売られなくてもいいの?」
「もちろん!神様が働かれたから油が多くなったじゃないか」

 

 



 

私たちの思いよりも神様の御言葉を信じる
人々は何か問題が起きたら自分が思うに最もいい思いに従って、結論を出します。しかし、神様の思いは私たちの思いとはっきりと異なります。多くの場合人々は自分の思いが正しいと思いますが、神様の思いは私たちの思いをはるかに超えていることがわかります。ですから私たちは、私たちの思いより神様の思い、神様の御言葉をもっと信じます。それで、感謝しながら毎日を幸せに生きています。
夫は世を去りましたが、ともがらの妻は夫が持った信仰と全く同じ信仰を持てました。神様の思いを自分の思いより信じる信仰が、預言者のともがらの妻のうちに生きていて、あらゆることがあっても今日、感謝と幸せがあふれるわけです。