信仰の手引き(日本語)

シュネムの尊い女

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-08-19 13:43
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II列王記の4章に登場するシュネムの尊い女は、夫は年を取って子供もなく、寂しく暮らしていました。しかし、神を愛する心で預言者に仕えると、息子を得ることができ、彼女の問題も解決してもらえました。このように神とともに生きる人は、どんな問題があっても神の恵みによって幸せに生きることができます。

文|パク・オクス牧師 翻訳|ナム・ジュヨン先生 絵|ジョン・ヘジン先生




預言者に仕えたシュネムの女

預言者エリシャはイスラエルの全国を歩きながら御言葉を伝え、人々のさまざまな問題も解決してあげました。その当時は車も、飛行機もなかったのでイスラエルの全国を歩き回ることは、決して簡単ではありませんでした。

ある日、エリシャがシュネムという村に寄りました。そこには、彼が通るたびに食事を準備してくれる女がいました。ある日、女は夫に言いました。

「いつも私たちのところに立ち寄って行かれるあの方は、神の聖なる方に違いありません。ですから、屋上に壁のある小さな部屋を作り、あの方のために寝台と机と椅子と燭台とを置きましょう。私たちのところに立ち寄るたびに、そこをお使いになるように」

彼女の夫は年を取ったため、山に行って材木を切る事は簡単ではありませんでしたが、妻の言う通りにエリシャのための部屋を作りました。エリシャが部屋に入ってみると、寝台も机も椅子も燭台もあるので、聖書を読む時も、何かを記録する時も、祈る時もとてもよかったです。


シュネムの女を助ける神

エリシャが若い者ゲハジを通してシュネムの女に言いました。
「あなたはこのように、私たちのことでいっしょうけんめいほねおってくれたが、あなたのために何をしたらよいか。王か、それとも、将軍に、何か話してほしいことでもあるか。」
彼女は答えました。「私は私の民の中で、しあわせに暮らしております。」
彼女が帰った後、エリシャがゲハジに聞きました。
「彼女のために何をしたら良いだろうか。」
「彼女には子どもがなく、それに、彼女の夫も年をとっています。」
エリシャが再び彼女を呼んで言いました。
「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになろう。」
彼女は子どもが欲しくても、夫が年をとっていたので諦めていました。そんな彼女に息子を抱くなんてとんでもないことだと思い、彼女は言いました。
「いいえ、あなたさま。神の人よ。このはしために偽りを言わないでください。」
しかし、彼女は本当にみごもり、エリシャが告げたとおり、翌年のそのころ、男の子を産みました。

その後、急にその子が死んだのですが、エリシャから生き返らせてもらいました。またその地に飢饉があり、遠い国に身を寄せた後戻ったときは、エリシャによって財産を取り戻すことができました。シュネムの女が神の人に仕えただけで、神も彼女を愛して守ってくださいました。



神を知ろうとすれば
私たちの心に神のみこころが流れれば、神に対する思いも深くなります。「神はどう思うかな?」と神のみこころを知ろうとすれば、自分のやるべきことがわかります。シュネムの女がエリシャのために、食事の用意や休める部屋の準備などと仕えたように、神のために何をしたら良いのかも自然にわかってきます。
「友達に福音を伝えよう。私の小遣いは少ないけど、神に献金をささげよう」などの心も生じます。自己中心である私たちでも神を知ろうとすれば、私たちの心に神のみこころが満たされます。すると、病にかかっても、困ったことがあっても、自然に神に頼るようになります。しかし、ほとんどの学生は勉強やゲームなどに頭を使うだけで、神を知ろうとせず、礼拝の時間に聞いた御言葉もすぐに忘れます。そのため、困難に遭うと、そこから切り抜けられず、はまったりします。




時間があるたびに祈ったこと

私がゴチャン郡ジャンパル里で福音を伝えている時、軍隊の令状が届きました。そして、1年後の入隊のために時間があるたびに祈りました。
「神よ、上官から恵みを受けさせてください。同僚、後輩たちからも恵まれるようにしてください」
入隊後、原州(ウォンジュ)市にある通信訓練所で教育を受けました。教育を終了すると他の部隊に配置されるのですが、私が礼拝を導く場面を見て感動を受けた教育将校が、その部隊の考試科に配置してくれました。そのため、通信訓練所で軍生活をしながらも礼拝を導き、福音を伝えることができました。部隊でも私とともにおられるイエスによってとても幸せでした。除隊して部隊の正門を出る時、「神と一緒なら、サハラ砂漠でだって生きられるだろう」と思いました。



神に近い人
真の信仰生活をしている人は、礼拝の時間や聖書を読む時間ではなくても常に神の事を思います。そのような人は、いつも神のために働きたいという心があり、良い実を得ることができます。そして、問題があってもすべてのことを神に任せて恵みによって生きていきます。