信仰の手引き(日本語)

預言者エリシャと生徒たち

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-09-25 13:52
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預言者エリシャの生徒たちは、自分たちの足りなさを知っていました。彼らには、彼らを導く神のしもべが必要であり、頼りにしました。私たちも何かを上手くできる時も、上手くできない時も、謙遜な心で私たちを救ってくださった神に感謝し、福音とともに喜びを分かち合える人になることを願います。

文|パク・オクス牧師  翻訳|ナム・ジュヨン先生  絵|ジョン・ヘジン先生

 

エリシャに頼んだ預言者の生徒たち
II列王記の6章に、エリシャと生徒たちの物語が書いてあります。ある日、彼らは礼拝場所が狭くなり、エリシャに言いました。

「ご覧のとおり、私たちがあなたと住んでいるこの場所は狭くなりましたので、ヨルダン川に行って材木を切り出して、広い礼拝堂を作りましょう」
「行きなさい」
すると、そのひとりが
「あなたもどうか、しもべたちと行ってください」
「では、私も行こう」
生徒たちは礼拝堂を新しく作ろうと、預言者エリシャに一緒に行くようお願いしました。

「私たちだけでも十分だよ。先生がいると小言ばかり言うから一緒に行かないほうがいいよ」と言わずに、エリシャも一緒に行くように頼みました。彼らにとって、「私たちがいくら上手に木を切り出しても、神のしもべが一緒にいるのとそうではないのとでは、天と地の違いがある。私たちには神のしもべが必要だよ」という心がありました。

 

斧を落とした生徒
預言者エリシャと生徒たちは、ヨルダン川に行って礼拝堂を作るための材木を切りました。

ところが、ひとりの生徒が材木を切り倒すとき、斧の頭を水の中に落としてしまいました。彼は叫んで言いました。
「ああ、わが主。あれは借り物です。斧の頭を落としました。」
エリシャが聞きました。「どこに落としたのか。」
彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切って、そこに投げ込み、斧の頭を浮かばせました。
「それを拾い上げなさい」
彼は手を伸ばして取り上げました。



預言者エリシャに頼った生徒たち
私は昔、薪を得るために斧を使ったことがあります。斧は鉄だから重いので頭がよく抜けます。しかし、頭が抜ける前に「もう一度振り下ろすと、斧の頭が抜けそう」と緩んだことを感じられますので、その時は頭をしっかり打ち込んでから使います。ところが、その生徒はそれも気づかずに斧を落としたので、働くのがとても下手で鈍感であることがわかります。

斧を水に落とした時、「斧の頭が川辺から5m以上も飛ぶことはないだろう。先生に言わなくても僕が拾い上げられそう。言ったらまた怒られるから、こっそり自分で拾い上げよう」とは思わず、神のしもべに助けを求めました。このように、彼らはすべてのことを思いのままに判断せず、神のしもべの導きを求めました。それは、自分たちがどれだけ足りない人間なのかを知っていたからです。

 

神とエリシャを無視した王
II列王記6章には、アラムという国が攻めてきたのでイスラエル王が大変な困難に遭っている内容もあります。アラムがサマリア城を包囲したため、民は農業もできず、飢え死にしそうになりました。イスラエル王は、そのような状況でも神に助けを求めませんでした。預言者エリシャが何度もイスラエル王を助けたことがあるにもかかわらず、王は神の預言者に頼りませんでした。

王に少し考えがあるなら、「ああ、我が国が困難に直面するたびに預言者エリシャが助けてくれたのに…今、こんなに大変なとき、彼はどこにいるのか。これこれ、預言者エリシャを今すぐお迎えなさい。神に祈るようにお願いしよう」 と言うはずです。

ところがイスラエル王は「きょう、シャファテの子エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」と言って、自分の間違いも知らずに預言者を殺そうとしました。自分が正しいと思うと心が高慢になり、神のしもべを無視して神とは関係のない人生を生きるようになります。

 

自分の足りなさを知ると
私たちには、「私は伝道ができる。私は勉強ができる。私は運動が上手だ」などの心が生じる時があります。良くできることがあれば神の恵みだと思い、神に栄光をささげるべきです。しかし、自分の良くできることによって心が高くなり、人々を見下す人は神まで無視するようになるので、そのような人は神が喜びません。どんな時でも謙遜な心を持たなければなりません。預言者エリシャの生徒のように自分の足りなさを知り、私たちを救ってくださった神に感謝し、福音とともに喜びを分かち合える人になることを願います。