信仰の手引き(日本語)

苦しい時に神を考えたヨナタン

投稿者
goodnews2
投稿日
2023-02-07 15:19
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人間的に見れば、イスラエルはペリシテと戦って勝つことができません。しかしヨナタンは神を信じました。それで、二人で崖を登っていくという不利な状況の中でも、大きく勝利を得ることができました。

時々私たちにはペリシテのような、大きくて乗り切れないほどの困難がやってきます。しかし大変なことに遭った時、私たちが賢く、何かを上手くする必要はありません。人の賢さより神が勝っているから、神だけがおられれば問題になりません。

文|パク・オクス牧師  翻訳|ナム・ジュヨン先生  絵|ユ・ジウン先生

 

苦しい時に神を考えたヨナタン
神はイスラエルの初代王としてサウロを立てました。サウロは王になった後、神の話を聞かず、自分の考えに従っていきました。神はサウロの心を低くするために大変難しい戦争に遭わせました。

第一サムエル13章5節を見ると「ペリシテ人もイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった。」と記録されています。それを見て、サウル王と共にしていたほとんどの兵士が逃げて、600人だけが残りました。この少ない兵士でどのようにペリシテと戦えますか。誰が見ても不可能な状況でした。その時、サウル王の息子ヨナタンが神の御心を探り、神が自分を助けてくださるという心が生じました。神が自分のために働かれると信じられたのです。それでヨナタンは自分の道具持ちの若者に言いました。

「さあ、あの割礼を受けていない者どもの先陣のところへ渡って行こう。たぶん、主がわれわれに味方してくださるであろう。大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」 

 

イスラエルを勝利に導いた
ヨナタンは道具持ちの若者と二人でペリシテ人の陣営に向かいました。そこには切り立った岩があり、手と足を使って登る必要があります。それで、もし足を踏み間違えれば落ちる恐れがあり、崖の上からペリシテ人が弓を撃ったり足で蹴ったりしたら、そのまま落ちて死ぬ状況でした。ヨナタンは道具持ちの若者に言いました。

「もしもペリシテ兵士が私たちに『おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ』と言ったら、われわれはその場に立ちとどまり、彼らのところに上っていくまい。もし彼らが、『おれたちのところに上って来い』と言えば、われわれは上って行こう。主が彼らを、われわれの手に渡されたのだから。」

そして、ヨナタンと道具持ちの若者は崖を登り始めました。ペリシテ人はそれを見て叫びました。

「やあ、へブル人が、隠れていた穴から出て来るぞ。」

それからヨナタンと道具持ちとに呼びかけて言った。

「おれたちのところに上って来い。思い知らせてやる。」

その声を聞いてヨナタンは神が助けてくださることを信じて、崖を手足を使ってよじ登りました。ヨナタンは崖をよじ登り、ペリシテ人と戦いました。ヨナタンと道具持ちの若者が持ってる刀に20人のペリシテ人が一瞬で倒れ、それを見たペリシテ人は逃げました。ヨナタンはペリシテ人との戦いで大きく勝利したのです。

御言葉が働く世界
創世記一章を見ると、初めにこの地は長い間茫漠として何もなかったと書かれています。この話はこの地がとても混沌として無秩序でむなしく暗かったことを意味します。時間がどれほど流れたかは分かりませんが、ある日、神が「光があれ」と仰せられました。すると光があって暗闇が去り、整えられました。神の御言葉一言が混沌とむなしさと暗闇に勝ちました。

救われる前の私の心も地の始まりのように暗く絶望的でした。ところがある日、神の御言葉が私の心に入ってきました。イエスが私達の罪を永遠に贖ったという御言葉でした。そして私の罪が贖われたことが信じられました。神の御言葉が私の心にあった、絶望と悲しみと暗闇に囚われた全ての心を追い出してくれました。

その後、私が福音の働きをするのに難しい時がたくさんありました。そんな時、神の御言葉が全ての問題を解決してくれました。私の心に神の御言葉がなく、御言葉を知っていても信じられない時は、心配したり恐れたり悲しむしかありませんでした。しかし御言葉を信じて受けいれた時に、全ての心配や悲しみが去りました。


神だけがおられれば
人間的に見れば、イスラエルはペリシテと戦って勝つことができません。しかしヨナタンは神を信じました。『神が私たちのために働かれれば、人の多い少ないは関係ない、私たち二人だけで行っても勝つ』それで、二人で崖を登っていくという不利な状況の中でも、大きく勝利を得ることができました。

時々私たちにはペリシテのような、大きくて乗り切れないほどの困難がやってきます。そのような時、大きな問題を見て心配し恐れ逃げたい心になります。それは私たちが問題を解決出来そうにないからです。しかし大変なことに遭った時、私たちが賢く、何かを上手くする必要はありません。人の賢さより神が勝っているから、神だけがおられれば問題になりません。

大変な状況や問題の前で、未だに皆さんは自分の姿を見ていますか?そうする必要はありません。神が私たちと共におられるかどうかが重要なのです。罪の赦しを受けた私たちは神の人です。神が私たちを守られます。皆さんが見ると出来そうになくて大変なことに遭いそうでも、私たちと共にする神に妨げになるものは何もありません。恐れないで足を踏み出してください。