信仰の手引き(日本語)

預言者のともがらの妻

投稿者
goodnews
投稿日
2023-03-10 20:01
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380
神は預言者のともがらの妻が神を信じる信仰によって生きることを望みました。それで、ともがらの妻が持っていた人間的な全ての道を閉ざしました。ともがらの妻がそのような事実を知って神の前に出て来た時、神が新しい道を開いてくださいました。

文|パク・オクス牧師  翻訳|ナム・ジュヨン先生  絵|ユ・ジウン先生



なぜ苦難を与えるのか?
神は人を愛しています。それでイエスをこの世に送り、世の人々の罪を代わりに負わせました。ところで、この世にはなぜこんなに大変で辛いことが多いのでしょうか?神がおられれば人々を幸せにするはずですが、なぜ苦難に会わせますか?

実際のところ、人々は幸せに暮らせば、神に感謝し、神をもっと信じて頼るはずなのに、そうではありません。人々は豊かで心が安らげば、高慢になり、むしろ神と離れる場合が多いです。それで神は人々に苦難を許されますが、聖書では、これは神の本心ではないと言っています。

「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」(哀歌3:33)

人間に苦しみと悩みを与えて、人々が心を低くして神に戻ってくるように働かれます。



信仰が無いともがらの妻
列王記第二4章に、ある女の話が登場します。その女は良い男性と出会って結婚し、二人の息子を産みました。夫は誠実な信仰心を持っており、神を深く愛しました。しかし、女の心は神と程遠かったのです。女の夫は神にもっと仕えるため、預言者エリシャのともがらになると決心しました。女は息子二人と一緒に夫について預言者の学校に行くしかなく、自ずと預言者のともがらの妻となりましたが、信仰には興味がありませんでした。

そんなある日、夫が病気にかかり、残念ながらこの世を去りました。その時、女が神を信じて信仰を学ぶ方向に心が向いていたら、どれほど良かったでしょうか?しかし、女は神と心が遠かったので、夫が死んだことがただ悲しく、自分と息子二人を残していった夫が憎いだけでした。

 

二人の息子を奪われるはめになる
結局、預言者のともがらの妻は預言者の学校を離れました。女は二人の息子をよく育てるためにお金を稼がなければと考えました。持っているお金がないので借金をして商売を始めました。しかしお金が儲かるどころか、借金だけが増え続けました。とうとう借金が返せなくて貸し主から苦しめられ、二人の息子を奴隷として売られるはめになりました。二人の息子をよく育てるつもりで預言者の学校から出て来たのに、逆に二人の息子を失う結果になりました。
ようやくともがらの妻は、自分には困難を解決する道が全く無いことがわかりました。すると神のことを思い出し、また神の人預言者エリシャを思い出しました。


 

預言者を訪ねたともがらの妻
女が預言者エリシャを訪ねて自分の話をすると、預言者エリシャは聞きました。
「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」
「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」
女の考えでは、油のつぼ一つは自分の困難を解決してくれません。しかし、神のしもべであるエリシャの考えは違いました。エリシャはこれまで神をたくさん経験したので、油のつぼ一つでもともがらの妻が抱えている問題を十分に解決できると思いました。
「隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」
女は預言者エリシャに従い、器を借りに走りました。家にからの器をいっぱい置いて、二人の息子と一緒に器に油を注ぎ始めました。あっという間に借りてきた器に油がいっぱいになりました。女は再びエリシャの導きで油を売って借金を返済し、二人の息子を守ることができました。そして、それで豊かに暮らしました。



信仰で生きることを望む神
多くの人が神が生きていると言いますが、神は目に見えないし、難しい時に札束をくれるわけでもないので、神を信じる信仰で生きていくのは簡単なことではありません。それで、神について聞いて知っていても、神に頼るよりは、お金に頼って人間的な方法を選択します。

私たちが信仰で生きていくためには、目に見えない神を信じなければなりません。そのためには、聖書を読んで、聖書の御言葉を信じ受け入れて神を経験し、その経験が一つ二つと積み重なることにより、神に近づくのです。

神はともがらの妻が神を信じる信仰で生きることを望みました。そのように生きさせるため、神に繋がる縄を彼女に与える前に、先ず人間的な全ての道を閉ざされました。ともがらの妻がこの事実を知って神の前に出た時、神が新しい道を開いてくれました。ともがらの妻に、また私たちに働いてくださる神に感謝します。