グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「レビ記いけにえ講解」和解のいけにえ④

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-10-27 22:47
閲覧数
325

私たちを全うした和解のいけにえのささげ物、
イエス・キリスト

和解のいけにえのささげ物であるイエス・キリストは、私たちが神とともに
食事をするのに何のつまずきもないように、すべてを備えてくださいました。
私たちの目には軟弱で足りない者のように見えますが、実際は、全うされました。

礼服を着ていない人
マタイの福音書22章に、ある王が準備した結婚の披露宴に関する話が出てきます。王は客が宴会場に入るとき、婚礼の礼服をもらってそれに着替えてから席に着くようにしました。しかし、王が客を見ようと入ると、そこに礼服を着ていない者が一人いました。そこで王は言いました。「あなたは、どうして礼服を着ないでここに入って来たのですか。」聖書には、客は「黙っていた。」と書いてあります。
私たちが古びた服を着て宴会に行ったとき、入口で礼服をくれたら、古びた服を脱いで礼服に着替えるでしょう。礼服を着れば自分の汚い部分が隠れるので、そのような人には礼服はとても助かるでしょう。それなのに、礼服をもらっても着替えなかったのはなぜでしょうか。それは、素敵な服を着て来たからでしょう。素敵な服を着て来た人には、礼服が邪魔になります。礼服がなければ自分の素敵な服が目立つからです。
素敵な服を着た人が宴会場に入ろうとしたとき、しもべたちが礼服を勧めます。
「お客様、この礼服を着てください」
「礼服は古くて汚い服を着ている人に必要だろう。私には必要ではない」
その人は礼服を着ないで会場に入り、宴会を楽しみました。そのとき、王が客を見ようと宴会場に入って来ました。王が見たところ皆が礼服を着ているのに、礼服を着ていない人が一人いました。王は「あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか」と言いました。彼は黙っていました。王は「今日は祝日だから皆で楽しもう」とは言いませんでした。彼の手足を縛って、外の暗やみに放り出しました。礼服を着ていない人が一人いるだけで、礼服を着ている多くの人に心苦しさを感じさせるからです。人々に「私はどういう人なのか」を考えさせるからです。
王は宴会に来た客にどのような理由であろうが、負担を感じさせるのを望まれません。彼らが着ていた古くて汚い服のせいで、無知であるせいで、悪いことのせいで、どのようなことのせいでも心の責めを感じず、宴会を思う存分楽しむことを王は望みました。王が礼服を作った目的はまさにそのためです。王の宴会に参加した客は、その人がどのような人であろうがそれとは関係なく、安らぎと喜びを味わうのに爪の先ほどのつまずきもありません。和解のいけにえが、まさしくそういういけにえです。私たちが神とともに食事をするのに何のつまずきもないように、すべてが備わったいけにえです。完全な和解のいけにえのささげ物であるイエス・キリストがすべてを備えてくださいました。



救われた聖徒の実際の姿
救われた聖徒が神の前に立つときは、どのような姿で立つでしょうか。イエスが他の人と楽しく会話をするのを見て自分はそうではないから、「地獄に落ちないだけ良かったか」と言い、すみっこに座っていると思うかも知りません。しかし、私たちが神の前に立つ日、驚くべきことを経験するでしょう。私たちが神の前に立ったとき、想像を絶するほど聖なる「自分」を見つけることです。まったく想像もしなかった義人、本当に考えられない全うされた自分を見るのです。
私たちにはこの世を生きるうえで慣れている観念があります。私たちは肉体に縛られていて、肉体が要求するおいしい物と寝心地の良さを求める欲求から逃れられません。そのような欲求に縛られているため、イエスに向かって力強く進んだことがありません。そのため、常に自分の弱さを感じます。しかし、私たちがイエスとともに宴会に着く日、私たちは自分の軟弱さは見つけられません。神がご覧になるとき私たちは全うされています。神がご覧になるとき私たちは聖なる者です。私たちの軟弱さや嘘がばれると思って心配することはありません。なぜなら、神がイエス・キリストを和解のいけにえのささげ物にしてくださったからです。
「和解」とは、法で神と私たちを結んでくださったことではありません。神とともにするのに、私たちの心にまったくつまずきがないようにしてくださいました。私たちは神の前で全うされました。ですから、私たちが御国に行けば、真の自由と平安と満足があります。この世では心配することも悩みもあると思います。しかし、私たちが御国の宴会に参加する日には、それらのすべてがなくなります。私たちはイエス・キリストの贖いがどれほどで驚くべきものなのか、その日、分かります。
アンデルセンが書いた『みにくいアヒルの子』という童話があります。
母アヒルが卵をふかしてアヒルの子たちが生まれましたが、一つの卵はふかせずにいました。その卵はかなり時間が経ってからかえりました。そのアヒルの子は背も高くて首も長く、とても不細工で、他のアヒルの子たちは「拾って来た子だ」とからかいました。醜いアヒルの子は無視され、アヒルの子たちと一緒に歩けず、一人で過ごすしかなく辛い思いをしました。歳月が流れ、醜いアヒルの子が池に着いたときです。池の向こうに姿の美しい白鳥が遊んでいました。醜いアヒルの子は白鳥たちを見てとても羨ましく思いました。そのとき、池で遊んでいた子どもたちが言いました。「あそこに白鳥がいるよ。でも、あっちに離れている白鳥が一番美しいね」何と、子どもたちは自分を指して言いました。醜いアヒルの子はびっくりしました。周りに他の白鳥がいるのかと見回しましたが、自分しかいません。そして、ゆっくり水面を見下ろしました。水面に写った自分の姿が見えました。驚くことに、そこには美しい白鳥がいました。
醜いアヒルの子は元々白鳥でしたが、偶然アヒルの卵の中に入ってしまいました。もし自分が白鳥であることを知っていたら、幼いときは醜くても大きくなったら白鳥になることを知っていたら、アヒルの子たちに無視されて嫌われても辛くなかったと思います。『みにくいアヒルの子』の作家であるアンデルセンが救われたかどうかわりませんが、「救われた私たちの姿にふさわしく表現しているな」と思いました。神の聖霊によって生まれ変わった私たちは、醜いアヒルの子と同じです。この世にいるときには、職場や周りの人たちに嫌われるときがあります。しかし、やがて御国に行くとき、私たちは白鳥のように美しく変わります。
白鳥の子は、醜いアヒルの子に嫌われたときも白鳥でした。無視や蔑視を受け嫌われるのは、美しくなるための過程にすぎません。ところが、それを知らないために「私はなぜここまで不細工なのか」と思い、苦しむのです。聖徒が自分の軟弱さを見たら「私はだめなのかな」との考えに陥ります。しかし、醜いアヒルの子が生まれたときから白鳥だったように、私たちも救われたときから神の子でした。汚れた姿を脱ぐ日、醜い姿を永遠に見られない日が訪れます。その日、私たちは白鳥のように美しくなります。イエスと同じ姿に変わった自分を見てびっくりするでしょう。
イエス・キリストが十字架で流した血の力によって救われたときから、私たちはもはや以前の私たちではありません。イエス・キリストの内で新しい被造物になりました。イエスは私たちを永遠のいのちによって全うされました。救われた聖徒は以前持っていた目ではない、新しい目をもう一つ持つようになりました。イエス・キリストが私たちの内で働かれるのを見る目です。この瞬間も私たちのために働かれているイエスを見る目を持っていれば、私たちが周りの人に嫌われても問題になりません。しかし、イエスを見る目がない人は、人に嫌われたり無視されたりすることが大きな問題になります。
イエスがエマオに下って行く二人の弟子と同行し、イエスは彼らと一緒に歩き、彼らと話をし、彼らとともに食事をしました。しかし、彼らはイエスが自分たちと同行しているのを知りませんでした。ヤコブが兄エサウから逃げてバダン・アラムに逃げるとき、神はヤコブとともにおられて「わたしは決してあなたを捨てない」と約束されました。そのときヤコブは自分とともにおられる神を知りませんでした。後にベテルに着いてやっと神を見る目が開かれました。
神を見る目は信仰によって開かれます。神の約束を信じる信仰がその目を開いてくれます。神の約束を信じる信仰がその目を明るくしてくれます。その目が開かれると自分は不完全な者ですが、そのような自分を全うされた神が見えます。すると、不完全な自分の姿にそれ以上縛られません。醜いアヒルの子が美しい白鳥になるのを知っていたら不細工な姿に縛られる必要はなく、縛られることもありません。
私たちのための和解のいけにえのささげ物であるイエスが、完全なささげ物になって神と私たちが交わるのに不足のないように、すべてを成し遂げられました。私たちの目には軟弱で足りない者のように見えますが、実際は、全うされました。



体に心を奪われず、私たちを全うされたイエスを見つめるべき
イエス・キリストが十字架につけられて死んだことによって、私たちの罪をすべて贖ってくださいました。神は贖いのいけにえだけで満足できます。全焼のいけにえや贖いのいけにえが、私たちの罪を処理して神を満足させるいけにえであれば、和解のいけにえは神だけを満足させるのではなく、私たちの心も解いてくれるいけにえです。ところが、多くの人は自分の心が解けず依然として罪に縛られ、苦しんでいます。
『まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。』(ヘブ9:14)
へブル人への手紙9章は「キリストの血によって私たちの良心が死んだ行いからきよめられて、生ける神に仕える者となった」ということです。私たちがキリストの血によって神の前で何のつまずきもないということです。私たちは神の前に出て神に仕えるのに足りないことがない者です。
イエス・キリストは私たちのたましいを全うされました。しかし、私たちの体は全うされませんでした。私たちのたましいはイエス・キリストの死によって全うされましたが、体は変わり、衰えて病気にかかって死ぬように神は創られました。私たちは体が病気にかからないことを望みますが、神は私たちのために、今の体よりもっと良い体を備えてくださいました。
今の体は風邪をひくだけで苦しむ弱々しい体です。神は私たちをしばらくの間、このような体の内に留まるようにしました。私たちがこの体の内に留まる間はしきりに不便を感じたり、痛んだりします。それで体を治しますが、この体と永遠に生きるものではありません。この体は、私たちがしばらく留まる家にすぎません。ですから、この体に心を奪われず、私たちを全うされたイエスを見つめるべきです。
私たちが満足していないなら、それは和解のいけにえのささげ物になったイエスを知らないからです。しばらくして私たちが御国に行けば、驚くほどに変わっている自分を見るようになり、また驚くでしょう。今も私たちの外なる人は軟弱ですが、内なる人は軟弱ではありません。神に仕えるのに足りないことなく全うされました。聖なる者です。
イエスが死んだラザロを墓から出してくださり、ご自身とともに座らせたならば、ラザロからは臭いはしません。腐った臭いがする体、腐った腐れ水が流れる体でイエスとともに座っていることはありません。腐れ水が流れる手でイエスとともに食事をすることはありません。イエスは、私たちを全うされ私たちを聖なる者にしてくださいました。私たちはすでに聖なる者です。羽替えをする時が過ぎたら醜いアヒルの子が白鳥の姿に変わったように、私たちも後ほどこの体を捨ててイエスの姿に変わります。
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