グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「パク・オクス牧師の証」地の果てまで福音を、終わりの日まで主と共に_258

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-07-22 16:33
閲覧数
389

ツァレファテのやもめのように
今日も御言葉を信じれば


私たちが信仰をする中、神を信じて生きる経験が少なくて人間的な面が多いので、神の御言葉が自分の考えに合わなければ受け入れるのが難しい。逆に肉の思いであっても自分に合えばそちらに傾く傾向がある。信仰生活において最も重要なことは、自分の中からわき上がる考えを捨てて神の御言葉を受け入れることだがそれは容易ではない。いくら神の御言葉でも自分に合わなければ受け入れるのは難しい。聖書を見ると、人間には想像もできないことだが、神の御言葉に従って祝福を受ける話が出てくる。その一つがツァレファテのやもめの話だ。

神を信じたツァレファテのやもめ
旧約時代アハブ王の治世、神がイスラエルを呪って3年6ヵ月間も雨が降らず、ひどい飢饉で人々は飢えていた。列王記上 17章を見ると、エリヤは神の御言葉に従ってツァレファテに行った。神がエリヤに「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている」と言われた。そこに行ってみると、ツァレファテのやもめは飢えていた。しかし神はなぜエリヤをそのやもめのところに行かせたのか。
エリヤがツァレファテの町の門に着くと、ちょうどそこでたきぎを拾い集めているやもめを見て「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」と言った。彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」すると女はこう言った。
「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」
エリヤは彼女に言った。
「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」
ツァレファテのやもめがエリヤを神のしもべだと信じなければ到底理解できない話だ。かめの中には一握りの粉しかないというのに、その粉でエリヤのためにパン菓子を作れば、どうやってかめの粉が尽きることがないと言うのか。神の御言葉では「そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と言われるが、私たちの考えでは不可能に思われる。
あることが人間には不可能だが、神には可能である。しかし神の御言葉は私たちには不可能に思われる。ツァレファテのやもめにとってエリヤが真の神のしもべに見えるなら問題ないが、自分の経験からすると、エリヤがパンを欲しさに嘘を言っているようにみえるはずだ。
最後に残った粉でパンを作って自分の息子と食べるのか、それともエリヤに持って行くのか。ツァレファテのやもめは決めなければならなかった。普通の人なら「これがどんな粉なのか。今まで大事に残しておいた粉だ。私にはできない。最後にパンを作って息子と一緒に食べて死ぬ」というふうに心が傾いたのだろう。しかし、ツァレファテのやもめは神を信じる信仰を持っていた。
信仰の人々が一般の人々と異なる点は、人は自分の考えを信じるが、信仰の人は自分の考えより神の御言葉を信じる。ツァレファテのやもめは神のしもべの言われたとおりにした。小さなパン菓子を作ってエリヤ預言者のところに持って行った。神が「地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と言われた御言葉通りになることを信じたからだ。


その後、とても幸せなことが起こっただろう

私はこのような考えをしてみる。ツァレファテのやもめがパンを作る時、隣で息子が話す。
「お母さん、今パンを作っているの?」
「うん。」
「お母さん、早く作ってください。お腹すいた。」
「我慢しなさい。」
「わかった。早く作ってね。」
しかしパンが出来上がったら息子にはあげずエリヤのところに持って行った。
「お母さん、どこに持って行くの?私お腹すいたよ!」
彼女は、神も、神のしもべの言葉も確かに信じていた。パンを作ってエリヤのところに持って行けば、かめの中が粉でいっぱいになると信じたのだ。そして、その信仰どおりになった。聖書はこのように語っている。
「彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。」(王上17:15~16)
私たちが神の前に出て行く時、神の御心と私たちの考えにはいつも大きな差がある。神の御言葉通りに信じればいいが、人間は御言葉通りにはならないと思っている。「かめから粉をすべてすくった後にどうやっていっぱいになると言うのか。」とんでもないことだと思うが、神を信じる人はその御言葉を信じる。私の考えや計画よりも、神の御言葉を信じる人、その人が神を信じる人だ。
聖書にはその後の話が記されていないが想像をしてみる。もちろん、当時は携帯電話などなかったが、もしあったなら家族に電話をしただろう。
「お兄さん、お腹空いたでしょう?食事に来てください。料理を準備しました。」
「何の話だ?お腹がすいておかしくなってしまったのか?」
「お父さん、私の家に来てください。家にパンがたくさんあります。」
「お前の家に何のパンがあると言うんだ。」
粉をすくっても出てきて、またすくっても出てくるので、一人は粉をこねて、もう一人はパンを焼き続ける。その家の子どもが学校に行く時、両ポケットにパンをいっぱい入れて行く。
「お前のポケットに何が入っているの?」
「パンだ。」
「私にも分けてくれる?」
「いいよ。あげる。さあ食べて。私の家にはパンが多い。もっとあげようか?」
聖書には書いてないが、とても幸せなことが起きただろう。

 

私が義と認められたことを信じたその日から神が働かれた
私は教会に通いながら自分を罪人だと思っていた。ローマ書3章23節の「すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」という状態にあった。ところが24節で「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」と言われた。神が私をご覧になって「義と認められた」と言われたのだ。「御言葉で私に義と認められたと言われたら、私は義人だ!」私は神の御言葉を信じた。その時から神が私の人生に働き始めた。

以前、私が自分を罪人だと思った時には神が働くことができなかったが、私が義と認められたという御言葉を信じたその日から神が働き始めた。神の御言葉が私を義と認めてくださった通り、私が自分の考えより神の御言葉を信じたその時から、神が私の内で働くことを見ることができた。

人々は聖書に義と認められたと言われても「それでも私たちは罪人だ」と思っている。それは自分の考えや自分の基準を持って判断するからである。しかし、私たちがツァレファテのやもめのように自分の考えをすべて捨てて、御言葉を素直に受け入れて信じれば、神が私たちを祝福してくださる。ツァレファテのやもめのおかげで、その家族や隣人たちがパンをお腹いっぱい食べることができた。そして息子もポケットいっぱいパンを入れて学校に行き、友達に配ったことで人気も高かっただろう。


私たちも今の時代のツァレファテのやもめのように

神が私たちに要求しているのは、神の御言葉が私たちの心に合うから従うのではなく、合うのか合わないのかということとは関係なく従うことである。そのような心が私たちにとってとても必要だ。ツァレファテのやもめ、夫もいなくて息子と二人で暮らしながら最後に残った一握りの粉でパンを作り、食べて死のうとした彼女だったが、神の御言葉を信じて出て行ったとき、その人生は驚くほど変わった。そして言葉では言い表せないほどの祝福も受けた。
神の御言葉を最も妨げるのは人間の考えである。そのため、私たちが自分の考えを捨てたとき、神の御言葉が私たちの心を支配し、私たちの人生を最も幸せなものにしてくださる。私たちは今の時代のツァレファテのやもめと同じだ。私たちの考えでは、御言葉に従えばうまくいかないようで自分の考えが正しいと思う。しかし、自分の考えより神の御言葉を信じたとき、その御言葉が私たちの内に生きて働き、最も幸せな人生に導いてくださる。
私たちが罪を犯しながら義と認められたと言えるだろうか。しかし聖書は神の恵みによって価なしに義と認められたと言われる。神が私に義と認められたと言われたなら私は義人である。私たちは神の御言葉を信じなければならない。そうすれば神が私の内で働かれ、最も幸せな人生を送るようになるのだ。ツァレファテのやもめに一度会ってみたい。御国に行けば会えるだろうが、彼女の証も聞きたいし話もしてみたい。ツァレファテのやもめは夫もいなくてとても貧しかったが、神を信じる信仰のおかげでエリヤや家族、周囲の人々にとって尊い仕事ができる人となった。それは、神を信じる信仰を持った人だけが得られる祝福である。

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