グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「レビ記いけにえ講解」和解のいけにえ③

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-09-25 01:42
閲覧数
750

神と人がともに食するいけにえ
私たちが心をひらいたとき、イエスは私たちをご自身と
和解させます。私たちが汚れていて悪であっても、
私たちをご自身とともに食する人に変えてくださいます。



脂肪は神のものに、肉は人である祭司のものに
レビ記にはいけにえをささげた後、ささげ物の肉を祭司たちが食べる話が出てきます。血を持って聖所に入るいけにえの場合は、祭司はその肉を食べられませんが、血を持って入らない場合は、かならず祭司が聖なる場所でその肉を食べなければなりません。もちろん、全焼のいけにえの場合は全部燃やしてささげるため、食べられる肉がありません。和解のいけにえは全焼のいけにえと少し違います。和解のいけにえのささげ物は二つに分かれます。一つは神にささげ、一つは祭司が食べるのです。
『次に、その人は和解のいけにえのうちから、主への火によるささげ物として、その内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなさい。そこで、アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上の、たきぎの上にある全焼のいけにえに載せて、焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』(レビ3:3~5)
このみことばを見ると、内臓についている脂肪はすべて焼いて煙にして神にささげます。そしてレビ記7章では、和解のいけにえのささげ物である肉は、聖なる所で祭司が食べなければならないと言っています。
『そのうちから、おのおののささげ物の一つを取って、主への奉納物として、ささげなければならない。これは、和解のいけにえの血を注ぎかける祭司のものとなる。和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。』(レビ3:14~15)
人の間でも仲が悪かった者同士が和解した後は、ともに食事をしたりお酒を飲んだりするように、神と私たちの間に和解ができたら、神と私たちがともに食べて心を解きます。それで、脂肪は神のものに、肉は人である祭司のものになります。このように和解のいけにえは、神だけが満足するのではなく、人間も満足するいけにえです。和解のいけにえをささげると、神と人がともに座って何の心配もなく飲んだり食べたりして楽しめます。

わたしは、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする
黙示録3章20節にはこのように書いてあります。『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』
このみことばはイエスご自身が言われたみことばで、神と人が味わう真の和解を見せてくれます。もし、私たちと神の間に真の和解ができたら、私たちがぶつかるすべての問題や苦しみは、私たちが自ら背負う重荷ではありません。すべてにおいてイエスとともにするため、イエスとともに背負うならば主が全部背負ってくださるので、どんな問題や苦しみも苦痛になりません。私たちが受ける悲しみは、これ以上私たちの悲しみではなくなります。
イザヤ53章4節で「彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」と言いました。ここで、私たちの病と私たちの痛みをになった「彼」が誰なのかが重要です。「彼」に誰を当てはめられるでしょうか。体が丈夫な人でしょうか。もしそうならば、その人が私たちの痛みをになって苦しむ姿が気の毒で仕方ないでしょう。痛みを担わせるのにふさわしい人でなければなりません。「彼」は私たちの病と私たちの痛みを担うのにふさわしい方でなければなりません。「彼」は私たちの病を負い、私たちの痛みを担いました。それはイエスのみ、できることです。昔は、正月に自分の暑さを他の人に売るという風習がありましたが(※正月十五日、太陽が昇る前に起きて、村で出会った相手に対し名前を呼んで返事をしたら「私の暑さを買って行って」と言い、そうやって暑さを売ると、その年の夏は夏バテしないと言われていた)私たちは、私たちの苦しみと悲しみをイエスに売らなければなりません。

私たちは喜びを食し、イエスは悲しみを食す
私たちがイエスの内に入った後、心の苦しみを忘れられることがどれほど感謝なのかわかりません。もちろん、救われた聖徒にも苦しいことも問題もありますが、その問題は長い間私たちの心を苦しめられません。大きな苦しみが私たちの心を潰すような気がしても、瞬時に苦しみが消え去り、イエス・キリストの平安が訪れます。それは、私たちがイエス・キリストの内でイエスとともに食べて過ごしているからです。
食べるのが好きな人と食事をするとき、相手が好きな食べ物を譲らないと食べる分が少ないときがあります。ところで、イエスが私たちとともに食事をすると言われました。イエスの実力のほどはわかりませんが、私たちより食欲があると思うので一人で全部食べてしまったら、私たちが食べる分があるでしょうか。真に感謝なことは、親が子どもたちにそうであったように、イエスはおいしい物と良い物は全部、私たちにくださいます。その代わりに、私たちの苦しみや悲しみや難しい問題は全部、イエスが食べられます。私たちは喜びと感謝だけを食べるから、常に幸せな人生を送ります。
救われた後、私たちが福音を伝え、福音と関連のある仕事をしながら、昔の自分とは違う自分を見つけます。私たちには変われる条件がまったくありませんが、それでも変わっています。その理由は、イエスが私たちとともにおられ、私たちとともに食事をされるためです。
イエスは私たちに明確に約束されました。
『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼らのところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』(黙3:20)
和解のいけにえの最も深い意味は、神と人がともに食事をすることです。神と人が何のつまずきもなくどこにも縛られず、ともに食べて飲んで楽しむことです。
イエスが「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。」と言われたのは、主が私たちと和解するのを望まれるみことばです。このみことばに続けて「だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら」という条件がついています。このみことばは、多くの人の心の戸がイエスに向かって閉じられていることを意味します。心を閉じている状態では、イエスが人とともにできません。

だれでも戸をあけるなら
ヨハネの福音書11章で死んだラザロが墓の中にいるのに、イエスは「その石を取りのけなさい。」と言われました。墓をふさいでいる石を取りのけなさいと言われたのです。すると、ラザロの姉マルタが「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」と言いました。
人々は「もうこれ以上どうすることもできない」と思ったから、ラザロを墓に入れました。そして、ラザロの死体から匂いがするから石で墓をふさぎました。ところが、イエスは石を取りのけなさいと言われました。イエスはなぜそのように言われたのでしょうか。ラザロが死んで臭いから人には何もできなかったのですが、イエスには腐っているラザロを生かす方法がありました。ラザロを生かして、彼がイエスと和解できる位置に至るようにしてくださいました。ヨハネの福音書11章で生き返ったラザロが、⒓章ではイエスとともに食べています。
石が取りのけられたときの状態がどうであっても、腐って匂いがしても、悪であっても、イエスは彼をご自身と和解させます。イエスは「戸をあけるなら」という条件をつけました。戸があけられたとき、イエスが働かれます。私たちが汚れていて悪で偽善者であっても、心の戸をあければ、イエスは私たちをご自身とともに食べる人に変えてくださいます。
イエス・キリストとともに食事をするのを望む人はいますか。もしそうであるなら、すべきことが一つあります。それはイエスの前で心の戸をあけることです。私たちが心さえ開けは、イエスは私たちに入って私たちとともに食事をし、私たちはイエスとともに食事をすると聖書に約束されています。イエスは私たちの中に入って私たちとともに食事をするために、私たちの汚れた部分をすべてきよくしてくださいます。私たちのすべての罪をきよめます。私たちの軟弱な部分を強くしてくださいます。私たちの病を治してくださいます。
イエスはご自身でできるすべてのことを、私たちのために成し遂げられました。イエスは病にかかっているラザロ、また腐っているラザロに、「食べなさい、食べなさい」と言われません。食べなさいと言われなくても彼が食べられるようにしてくださいました。イエスは私たちに、ご自身がこのように働かれると約束されました。ところが、ほとんどの人がこれを知らないため、イエスを信じようとがんばるだけで、イエスに向かって心を開きません。イエスのために十分の一の献金をささげたり奉仕をしたりしますが、イエスに向かって心を開けないのです。

心の扉がさびてしまったけれど
サタンは、人々が心を開けは損するようにしておきました。友だちに涙を流しながら心の話をすると、その話が回って自分の耳に入ります。そして周りの人に自分がばかにされてしまいます。心を開いて話をした友だちに裏切られたような気持ち、話さなければよかったという後悔が生じます。「二度と心の話をするものか」と決心をします。それで、夫婦の間でも心を完全にひらけません。親子の間でも心を開いて対話しません。
長年、心を開いていないから心の戸がさびてしまいました。心を開くことがあまりにも不自然です。ですから多くの人がイエス・キリストに心を開きません。ただ献金をして、礼拝に参加する程度の信仰生活をしようとするのであって、心を開きません。そのため、イエスが人々の心に入ることができません。私たちは、自分の心をすべて見せたら人に無視され、いじめられるような気がするから心を完全に開けません。賛美歌に「その愛が私の心を開いて希望を与えてくださった」という歌詞があります。私たちがイエスの心を知ったとき、心を開きざるを得ません。なぜなら、イエスは私たちが汚れていて取るに足らない者であるのをご存知のうえで、私たちを真心で愛してくださったからです。人々の知らない悪や汚れをご存知でありながら、イエスは私たちを変わりなく愛してくださいます。ですから、イエスには心を開くことができます。私たちが心を開いたとき、主が私たちの心に入られます。イエスは私たちがご自身とともに食事をするのに足りないことがないように、すべての問題を解決してくださいます。

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