グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「レビ記いけにえ講解」穀物のささげ物③

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-05-15 00:45
閲覧数
350

パン種を入れるな
パン種を入れてはならない穀物のささげ物、
種を入れないパンの祭りは、私たちの思いによって生きるのではなく、
みことばによって生きるべきキリスト人としての純粋な生き方を表します。



サドカイ人やパリサイ人たちのパン種と偽善

『あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。』(レビ2:11)
 穀物のささげ物をささげるときは、パン種は少しでも入れてはなりません。パン種に関する話は聖書の中でたくさん出てきます。イエスが弟子たちに「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」と言われました。そのとき、弟子たちはイエスが何を言われたのか意味を知らず、「これは私たちがパンを持って来なかったからだ。」と言いました。
 パン種は、パンを作るときにふくらませる酵素です。パン種を入れてふくらませたパンを「種を入れたパン」、パン種を入れずにふくらませないパンを「種を入れないパン」と言います。イスラエルの民たちは、小麦粉にパン種を入れてやわらかいパンを作って食べましたが、種を入れたパンを食べてはならないときがありました。ユダヤ人のカレンダーで、一月十四日は過越の祭であり、翌日から一週間は種を入れたパンは少しでも食べてはならない、家の中のどこかにパン種を保管することも禁じられました。
 イエスは、なぜ「パリサイ人やサドカイ人の教えに気をつけなさい」と言わず、彼らの「パン種に気をつけなさい」と言われたのでしょうか。それは彼らの教えもパン種のように、小さいものを大きくふくらませていることを伝えたかったからです。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種」というのは、実際とは違うこと、つまりふくらませたことばが入っているという意味です。イエスが気をつけなさいと言われたのは、どんな教えだったでしょうか。

人間は律法を守ることができません。ところが、私たちの生活にパン種を少し入れると、すなわち自分の行いを少しふくらませると、律法を守ったように見せることができます。パリサイ人やサドカイ人は律法をよく守ったふりをして、そのように守るべきだと教えました。今日もそのような人々がいるため、多くの人々が律法を守ろうと努力しているのです。
聖書には、アブラハムが自分の妻を妹だと嘘をついたこと、ヤコブの過ち、ダビデが罪を犯したこと、ペテロがイエスを三度否認したことなどが記録されています。もし、アブラハムが完璧な人間であり、ダビデが咎のない人間であったら、「私のように罪深い人間は、神から恵みを受けることができないだろう」と思うでしょう。ところが、ダビデとアブラハムに不足さと過ちがあったため、「このような人が恵みを受けたなら、私も恵みを受けることができる」と思うようになります。
牧師が聖徒を導くということは、彼らを完全な位置へ導くことではなく、不足だから恵みを必要とする位置へ導くことです。牧師も弱い者であるため、恵みを受けなければなりません。しかし、「皆さん、罪を犯してはいけません。私が四十日間の断食祈りをしたら、罪の誘惑がまったく起きてきません」とパン種を入れてふくらませて話す牧師がいるのです。これを聞いた信者たちは「あんな信仰は特別な恵みを受けた人ができることで、私のような人は無理だろう」と信仰を負担に思って挫折したり、それとも偽善者になって内側はそうでもないのに外側では敬虔なふりをしたりします。それがパリサイ人やサドカイ人のパン種が作り出すものです。

救われても行いが変わらない理由
過越の祭りは、私たちが罪から救われたことを表し、種を入れないパンの祭りは、暮らしの中にパン種を入れてはいけないことを表します。つまり、私たちの思いによって生きるのではなく、みことばによって生きるべきキリスト人としての純粋な生き方を表します。
 サタンは「人間が義人になるためには、ある基準に到達しなければならない」と教えます。その基準とは罪を犯さず、十戒を守り、聖書のみことばどおりに生きることです。たくさんの人は義人になるために、自分の行いでその基準に到達しようと頑張ります。しかし、思いどおりにできないはずです。聖書は私たちの行いでは、義人になることができないと語っています。そのために行いではなく、信仰によって義人になる道を準備してくださいました。
 信仰によって義と認められることは、イエスが私たちの罪のために働かれたことを受け入れて義を得ることです。たとえば、電車に乗ってソウルへ行くとしたら、自分の車がボロボロでも気にすることはないでしょう。そのように、イエスを信じる信仰によって義と認められることは、自分の行いとはまったく関係がありません。もし、私たちが自分の行いによって救われたとしたら、行いは変わるはずですし、行いが変わらなければ救われたことも疑ってみる必要があるでしょう。しかし、私たちは信仰によって救われたことで、行いとは関係がないので私たちの行いが変わることとは別問題です。救われた後、「私は救われて義人になったよ」と言うと、人々は高慢だと言って異端だと決めつけます。
私たちが盗みをしようが、姦淫をしようが、殺人をしようが、自分の行いとは関係なく、イエスの行いを自分のものとして受け入れた人は、イエスの義を得ることができます。私たちもそのように義人になったのです。私たちは救われて罪がなくなって義人になりましたが、行いでは罪を犯すこともあります。それでは、それをどう解釈し、どう理解すべきでしょうか。罪を犯さないように努力すべきでしょうか。それとも罪を犯しても大丈夫なのでしょうか。

罪から解放されるためには
神は救われた聖徒たちがどう生きるべきか教えるために、私たちに「種を入れないパンの祭り」という祭りをくださいました。種を入れないパンの祭りと、パン種を入れてはならない穀物のささげ物は、私たちが罪から解放されてどう生きるべきかについて説明しています。
 第一コリントを見るとコリント教会の中に不品行のある者たちがいました。使徒パウロは、コリント教会の中に不品行という罪が入ってきたとき、その罪を処理するためにこのように語りました。
「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(第一コリント5:6~8)
このみことばで、「古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。」という部分が気になりませんか。パン種のないものなのに、古いパン種を取り除きなさいというのは何の意味でしょうか。
救われた人が教会へ通っているにもかかわらず、不品行であるならばそんな人は教会から追い出さなければなりません。しかし、使徒パウロは、過ちを犯した人を受け入れることについても語りました。彼らが罪に負けた根本的な理由は、罪を犯さないという決心や努力が足りなかったわけではなく、彼らが一つ知らないことがあったからです。
救われてから罪に陥った聖徒たちがいますが、彼らは自分が犯した罪が教会や兄弟・姉妹たちに知られることを恐れながら二度と罪を犯さないように努力します。ところが、努力してできることではないでしょう。実は、たった一つのことを知らないため、罪を犯し続けるのです。言いかえれば、その一つのことを知れば、すべての罪に勝つことができるということです。
少し具体的に話してみます。スリをする者がスリをやめるためには、覚悟と決心が必要ではなく、まずそのグループから脱出することでしょう。一緒に暮らしながらスリをやめようと、涙ながらに覚悟と決心をしたって無駄なことです。私たちが「罪を犯すことはやめよう」と、決心と覚悟をして罪を犯さないことではなく、その力から脱出しなければなりません。
罪から解放された人生を歩むためには、まず信仰によって罪の赦しを受けてその心を義人の位置に移さなければなりません。その次に大切なことは私たちの生活です。イエスが十字架につけられたとき、私たちの罪のさばきを受けて罪悪を滅ぼし、罪の権威にも勝ってくださいました。罪は強い力を持っています。まるで人が腸チフスにかかると、熱とともに髪の毛が抜けるように、私たちが罪という病にかかると嘘をつきたくなり、盗みたくなり、人が憎くなり、姦淫したい心が起きてくるのです。しかし、イエスが十字架につけられたことによって、私たちが犯したすべての罪を解決し、その力からも完全に解放してくださいました。

罪があなたがたを支配することがないから
ローマ人への手紙の6章14節に、「罪はあなたがたを支配することがないからです。」というみことばがあります。罪が私たちを支配することがないからというのは、驚くべきみことばではありませんか。アダムとエバが善悪を知る木の実を取って食べたその日から、この世のすべての人間は罪の奴隷になりました。自分が罪を犯したくて犯すのではなく、罪に引かれて願っても願わなくても罪を犯してきました。罪が私たちに嘘をつかせ、盗みをさせ、姦淫をさせ、殺人をさせるなどの罪を犯すようにします。サタンは私たちの生活の中で巧妙に何かのきっかけを作り、罪悪の道へと引いていきます。
イエス・キリストがこの世に来られるまで、人間には罪を犯す自由はあっても罪を犯さない自由はありませんでした。しかし、イエス・キリストの血を信じる信仰によって救われた私たちは、自分の行いとは関係なく義人なのです。それだけでなく、イエスが私たちの心を引いていくサタンの力も滅ぼされたため、罪はもう私たちを支配することができません。

野にいる女と町の中にいる女
サタンは私たちを偽って罪悪の中に陥れようとします。サタンは「憎む心が起きるし、人の物を盗みたいだろう」とささやきます。そのささやきを聞いて、救われた人々が「そうだよ。罪はまだ私を引いているし…」とだまされるのです。
 申命記では、「もし男が、野で、婚約中の女を見かけ、その女をつかまえて、これといっしょに寝た場合は、女と寝たその男だけが死ななければならない。…その女には死刑に当たる罪はない。」(申22:25~26)と書いています。なぜなら、野であるため、女が叫んでも救う者がいなかったからです。しかし、町の中でそんなことがあったら、二人とも石打ちしなければならないと書いています。男が強姦しようとしたとき、町の中にいながら叫ばなかったからであり、叫ばなかったのは女もその罪を犯すことに同意したからです。
救われる前の私たちは野にいる女だったので、罪悪に引かれたとき、大声を出して叫んでも私たちを救う者がいませんでした。しかし、救われてからは町の中にいる女なので、私たちが願わなければいくらでも罪悪に勝つことができるのです。私たちが救われる前は罪の奴隷であり、罪が私たちを支配しました。しかし、救われてからは、絶対に罪が私たちを支配することができないので、私たちが同意しなければ罪は成り立ちません。
神はイエスの血によって贖われた御自分の子らが罪に引かれることを決して赦されるはずがありません。サタンは「罪があなたがたを支配することがないからと言うが、あなたがたは以前と何も変わっていないでしょう」と偽ります。それで、私たちはサタンにだまされて以前のように罪を犯してしまうのです。コリント教会で起きた罪がそのような場合でした。それで、使徒パウロは、「あなたがたは、パン種のない者である。罪があなたがたを支配することができないから古いパン種は取り除きなさい」と言ったのです。

私たちが救われる前は、罪が強く私たちを引いて行きました。しかし、救われてからは罪の誘惑があっても信仰の上にしっかり立っていれば、罪が私たちを支配できないことを経験するでしょう。
 スリをやめたいならば、まずそのグループから逃れなければならないように、私たちが罪を犯さないためには罪を犯すまいと頑張ることではなく、罪の権威から逃れなければなりません。スリのグループの中で一緒に生活する限り、願わなくてもスリをやめることは無理でしょう。しかし、そのグループから逃れた人は、自分が願わなければ、やめることができるのです。
私たちが救われたとき、神はすべての罪から解放してくださったので、罪にこれ以上引きずられる必要はありません。私たちは本当に聖なる人生を送ることができ、神の聖霊によって生きる者となりました。
多くの人々が救われてから、生き方が変わっていくのが見られます。それは、その人がほかの人より誠実で主を愛するからではなく、聖霊がその人を縛っていた罪の鎖を切り取ってくださったからです。しかし、救われても変わりなく、罪の中で生きている人もいます。サタンにだまされて罪の奴隷のままで生きるのは、神がもはや罪の力から解放されたことを知らないからです。

私たちはパン種のない者であることを信じるべき
救われた聖徒は、イエス・キリストのように栄光ある神の子らです。神は、すでに聖徒が聖なる生き方ができるように働いておかれました。まだ、酒をやめられない方がいますか。神は、酒はあなたがたを支配できないからと語っておられます。酒をやめようと頑張らず、すでにその力から解放されたことに気づいてください。
 過越の祭りである小羊の血によって救われた翌日からは、種を入れないパンの祭りが続きます。そして、穀物のささげ物にパン種を入れてはならないという記録があります。それは、私たちは聖霊に導かれて生きるべきで、心の中に罪を入れてはならないという意味です。罪を犯さないために私たちが努力するのではなく、神が私たちの罪のくびきを外してくださったことを信じることによって罪から解放されるのです。
私たちの過越の祭りの小羊であるイエス・キリストがすでにほふられました。
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(第一コリント5:7~8) イエスが罪と戦ってすでに勝利し、罪の力を滅ぼしてくださいました。私たちは、イエスが成し遂げられたことを信じて受け入れるだけでいいのです。イエスが私たちを罪から解放したので、これ以上罪が私たちを支配することはできません。この事実を信じる聖なる者として、残りの人生を神にささげるように願います。

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