グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「宝と土器」ついに見つかったアメリカンドリーム

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-09-21 12:58
閲覧数
479
ついに見つかったアメリカンドリーム


プリンス・ジョセフ・ド兄弟は昨年結婚して今年神の恵みで息子を産んだ。

 

ミャンマーの難民村で育ったプリンス・ジョセフ・ド兄弟。劣悪な環境から逃げたくてアメリカンドリームを夢見てアメリカに移民したが、行き場を失ってしまった。入れ墨を入れることで心の虚しさを満たしていた頃、神は彼の人生を訪ね、真のアメリカンドリームを与えてくれた。
文/プリンス・ジョセフ・ド(アメリカ、グッドニュース・フォートウェイン教会)

 

1997年、ミャンマーの数多くいる少数民族は軍事政権の迫害を避け、生まれ育った故郷を離れなければならなかった。その中でカレン部族村は毎年、軍隊の攻撃を受けた。村全体が燃えたのでほとんどの人は、タイの国境の近くに形成された12カ所の難民村に移住して暮らした。兄弟の両親も難民村に定着した。難民村では竹で家を作り、電気が通ってないのでテレビもラジオもない。人々は飲み水を得るために家から遠い川まで行って水をくむなど、全てが不足だらけで劣悪だった。
 私は難民村で4人兄弟の3番目として生まれた。両親は、朝早くから強い日差しの中で働き、私たちは一日中、両親を待っていた。難民村での生活には希望がなかった。これから何をするべきか知らなかった。難民村の人は、ほとんどアメリア、カナダ、オーストラリアのような先進国に行くことを望んでいた。しかし、それは簡単なことではなかった。ほとんどの難民村には1万人を超える人がいるので移民するには最短でも10年はかかった。移民はただの夢だけで終わることが多かった。

 

 

難民村からアメリカへ、そして、アメリカンドリーム
2006年、難民村で暮らして9年半が過ぎた頃、新しい人生が始まる扉が開かれた。私たちの家族がアメリカに行くことになったのだ。その時、私は10歳だった。アメリカに初めて着いた時、まるで夢を見ているようだった。アメリカでの生活は、難民村での生活と比べ物にならなかった。水をくむために遠くまで行く必要がなくなった。水が飲みたいときは、水道の蛇口を回すだけで良く、明かりを点けるときはボタンを押すだけで良かった。良い家と素敵な車、豊富な食べ物など、アメリカでの生活は全てが便利で豊かだった。
 他の移民者と同じく、私たちも新しい国で成したい夢があった。幸せになりたかった。しかし、私が夢見ていたアメリカンドリームは長くは続かなかった。外見では全てが豊かだったが、私の心は段々虚しくなった。私の周りにいる学生たちには医者や先生、エンジニアなど夢があった。しかし、私は違った。私はまだ幼かったが、人生の意味が知りたかった。「私はなぜ生きているの。なぜお金をたくさん稼がないといけないの。人生のために自分のエネルギを使う理由は何。結局、人生の終わりは死なのにアメリカに来て学校に通って大学に入り、仕事をして結婚をし、家族を作り、ずっと働き、結局はみな死ぬでしょう。」こういう思いで勉強には興味を持てず、自分の人生にも興味がなかった。世の中に興味がなかった。
 私は罪を犯し始めた。罪は、段々大きくなって自分では解決できなくなった。私は13歳から入れ墨を入れ始めた。入れ墨を入れていると心の虚しさが満たされた気がして心が平安になった。私は首と腕と背中に私の人生を描いて入れ墨を入れた。難民村での記憶から自分の心の善と悪の葛藤、人生に対する疑問、バラと翼、家族の名前など。
 私はキリスト教の家庭で育ったので神の存在についてたくさん考えた。ある日から私はイエス・キリストが再臨する前に自分の罪を解決する方法を探し始めた。私は耐えられなくなりインターネットを検索した。「どうすれば自分の罪を解決できるだろう。どうすれば天国に行けるだろう」その答えを得たかった。満足する答えは見つからなかったが、見つけた方法を自分の人生に適用しようと努力した。しかし、私の心には、罪が残っていた。良いことをすると気分が良くなって悪いことをすると気分が良くなかった。もっとまじめになろうと努力し、努力していると心が軽くなった。これが私の霊的な生活だった。私は罪と戦ってまた戦うことをくり返した。

 

 



左)タイの難民村で、右の二番目がプリンス。
右)アメリカに来た後、虚しさを埋めようと入れ墨を入れ始めた。

 

 

初めて聞いた「救い、福音」
2013年、高校の卒業が近づいたとき、ダラスで行われた冬のキャンプに参加した。私たちは、既に救われてグッドニュース・フォートウェイン教会に通っていた叔母に招待されたのだ。私は何の期待もせず、いとこたちと一緒に参加した。私は、キャンプで「救い、福音」という話を初めて聞いた。初日、先生は私に聞いた。
『あなたは救われましたか?』
『それって何ですか?どうすれば救われるのですか?』
 先生は、私たちを救いと福音の主題で話す所で御言葉を聞けるようにしてくれた。3日間午前中に御言葉を聞いた。講師の牧師が言った御言葉の中で2つが心に残った。1番目は、「アジア人がアフリカ人になろうといくら努力しても絶対になれない。同じように、罪人が神の義を成そうとするのは不可能である」であった。2番目は、最後の日に牧師が聖書を開いて見せてくれたヨハネの福音書1章29節『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』の御言葉だった。キャンプで過ごしていた数日間、私はイエス・キリストが私の罪をどのように持っていったのかについて学んだ。しかし、心が混乱した。私の罪が解決できない状態でキャンプを終えた。

 

 

2014年の夏、ついに真理を知った
2014年、ワールドキャンプに招待された。3日間、罪の赦しについての講義を再び聞いた。その時、神は、私の目をついに開いてくださった。私はとても嬉しかった。イエス・キリストが私の罪をどのように贖ってくれたのか、はっきりと分かった。
『すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。』(ローマ人への手紙5:19)
私が罪人になったのは自分の責任ではなかった。アダムによるものであり、私によるものではない。イエス・キリストの従順によって私は永遠に義と認められた。御言葉は私の姿と関係がなかった。信じても信じなくても私の過去、現在、未来の罪がすべて2千年前に終わったのである。
 イザヤ53章でもこれを語っていた。
『まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みをになった。 だが、私たちは思った。 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、 私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』(イザヤ53:4~5)
今まで生きてきて私を義と認め、聖なる者になったと言った人は、1人もいなかった。私も自分が聖なる者になった、義と認められたと言えなかった。なぜなら今まで私は自分の目で自分を見てきたから。神が私を義と認め、聖なる者であり、全うされたと言うのはイエス・キリストが十字架の上で成したことによるものであった。これは聖書で語っている神の判断であった。私と世の中の判断ではない。
『神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。』(ローマ人への手紙8:33)
 生きている神の御言葉は、私に以前とは全く違う一日を生きるように希望を与えてくれた。また、頭から足先まで私の心と体はとても軽くなった。私はついに真理を知り、この真理は私を自由にさせた。私はキャンプが終わり、家に帰ってから友だちと家族と話をした。そしてこの大切な福音のために生きたくなったが高校を卒業するまで待つことにした。

 

 

「私はイエス・キリストの弟子だと言われる資格がない」
2015年、高校を卒業して教会の導きを受け、グッドニュース・インディアナポリス教会で信仰生活を学び始めた。教会が喜ぶことを共にし、宣教師は私の心が良い時も悪い時も私を導いてくれた。しかし、教会に3年近くいる間、私は教会と牧師の心が理解できなかった。しかも仕事が大変なときや私の心と合わないときは常に逃げたくなった。教会の導きを常に避けた。そして、私は再び罪と誘惑にはまった。4回も教会を離れ、そして戻った。自分を見るとちゃんとできるものが一つもなかった。

 2017年、グラシアス合唱団の「クリスマスカンタータ北米巡回公演」が始まり、私は公演の準備が終わったら教会を離れることを決心した。神が教会で霊的な生き方を学ぶのを望んでいないと信じた。福音のために生きたいと思った私の心は力を失っていた。「私はイエス・キリストの弟子だと言われる資格がない」と結論付けて迷いもなく教会を離れた。

 

 

毎晩恐れの中で寝た
教会を出てから世の人のように生きた。大学に入って仕事をし、私に与えられた人生を充実させた。私は500冊を超える本を買って読み勉強した。私は徐々に世の中とお金にはまっていった。しばらくして、自分がやりたいことをして生きることは、私に不安と虚しさをもたらせた。毎晩、恐れの中で寝て毎朝、絶望の中で目覚めた。教会で学んだように自分の心を人々と分かち合いたいと思ったが、自分の心を治療してくれる人は誰もいなかった。
 2019年2月、私は1人で車に乗ってインディアナポリスからカリフォルニアへ行った。知り合いから逃げたかった。そして、ロサンゼルスで新しい人生を始めたかった。ロサンゼルスに着いたとき、あるファーストフード店の前で15歳くらいに見える子どもたちが物乞いをしているのを見た。びっくりした。「ロサンゼルスに住む人々は幸せだと思っていたのに、ここにいる少年たちは、なぜ物乞いをしているか。その瞬間、自分の心に従って生きると私も少年たちのようになると思った。再び考えることもなく、ロサンゼルスを離れた。
 私はネブラスカのオマハに行き、そこで2か月間を過ごした。お金をたくさん稼いだが私の心は依然として不安で平安も安らぎもなかった。教会を離れてからその時まで教会の誰とも連絡をしたことがない。お祈りもしない。聖書を読んだこともなかった。しかし、大変な状況に置かれる度に私の心は教会に向かった。

 

 



 

 

私に喜びを与えてくれるのは福音だった
4月だった。心がとても疲れ、不安になり、我慢できなくなったのでインディアナポリス教会の牧師にメッセージを送った。牧師はニューヨークで聖書セミナーを準備していた。
 『牧師先生、まだ私のために祈っていますか』
 『あなたが教会を離れてから今までずっとあなたのために祈っているよ。今どこにいるの』
 そのメッセージを見た瞬間、教会に戻る力が湧いた。私は全てを降ろし、オマハからニューヨークまで運転して行った。その時から今まで教会は私の人生を導いている。
 その年の夏、スプリングフィールドで行われた夏のキャンペーンに行った時、フォートウェイン教会のタイの牧師は、青年たちにこう交わりしてくれた。『皆さんは宣教学校の学生だから常に福音を伝える準備をしてください』牧師の話を聞いて「私は教会に戻ったばかりなのに、そういうことができるのか。私がどうやって宣教学生になれるの」と思った。それで牧師に尋ねた。
 『牧師先生、私が誰かを導き、教会を導くことができますか。私は、やはり苦しくなります』
 牧師が言った。
 『プリンス、神様のみこころを知っているのか。神様があなたを宣教学生として立たせるなら、それを成すのは神様である。なぜなら、神様が決めたことは神様に責任があるから。神様があなたを導く。あなたを変化させるのは、神様の仕事だから』
 牧師と交わりした後、心が楽になった。その後、心が辛い時、あの時の交わりしてくれた話が私に神の約束と計画の中で立つ力を与えてくれた。
 9月には、グラシアス合唱団が再び「クリスマスカンタータ北米巡回公演」を始めた。フォートウェインでも公演があるので教会の兄弟姉妹たちと一緒に公演の広報で忙しかった。その時間がとても幸せで嬉しかった。朝から晩まで人々を公演に招待する「隣人へ」という手紙を用意し、家を訪ね、渡したので体は疲れたが、大勢の人が合唱団の歌と福音を聞くことを思うと私の心はたくさんの希望であふれた。
 私が幸せを見つけようと努力すればするほど暗闇と絶望に落ちたが、私に喜びを与えてくれるのは福音であると悟った。私の人生を福音のために捧げたかった。

 

 

十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる
2020年1月、兄の結婚式があるのでタイの牧師家族と一緒にミャンマーへ行った時、キム・デイン宣教師は、レビ記27章32節の御言葉で交わりしてくれた。
 『牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる』(レビ記27:32)
 宣教師から「牧者の杖の下を十番目ごとに通る牛は、神のためのもので、その牛は、誰も認めてくれない要らない存在である意味だ」と言われた。主人も使えない、両親も、世の中も使うことができない牛、しかし、その牛は、神がご自分の栄光のために選んだものだと言った。私の姿がそうであった。私は、自分だけじゃなく、両親と周りの人に苦痛を与える人であった。神はそういう私を選んでくださった。神が私を救い、その救いの中で私に対する計画もあった。
 神は、既に私の人生の主人であった。神は、ご自分が望むように私を使うでしょう。ご自分の約束を成し、私を導く全ての責任が神にあった。また、主は、約束を忘れないとおっしゃった。そして、約束したことを成すのが主の仕事だと言われた。『そのように、 わたしの口から出るわたしのことばも、 むなしく、わたしのところに帰っては来ない。 必ず、わたしの望む事を成し遂げ、 わたしの言い送った事を成功させる。』(イザヤ55:11)

 

 

私がどれだけ愚かな人なのか教えたかった
今年3月の予定だったCLFを準備して聖書を読んでいる間、私はこの御言葉を貰った。『しかし、主はこう言われた。行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。』(使徒の働き9:15)
 今までこの御言葉を数多く読んだが、心に残ったことはなかった。しかし、この御言葉が私にこう言った。
 『プリンス、あなたは、わたしの選びの器である。わたしは、あなたを使う。わたしは、あなたを通して栄光を受ける。わたしは、既にあなたを選んだ。わたしは、あなたを通して働く。大胆に言って。前に進め。救いを与えたのは、わたしである。ルカの福音書1章で言われたようにあなたは、福音の証人となる』
 救われて最初は教会に私がいないといけないと思った。しかし、教会の導きが必要な人は私だった。今まで教会を離れ、たくさんの苦労をした理由は、私に向かった神の計画の一部であることを知った。神は私を使う前に私がどれだけ愚かな人であるかを教えたかった。私の思いと私の基準が崩れなければ、私の心に神の約束を入れることができないから。

 

 



 

 

神の目を通して見た私
アメリカンドリームは良い家と高い車、たくさんのお金を持って自分がやりたいことをして生きるのではなかった。私のアメリカンドリームは、人のために生きることだと悟った。他の人が辛い時、苦しみから解放されるように助けることであった。私は夢がある。5年後、10年後、問題を起こして送られた学生たちと一緒に話をして彼らと1ヶ月間、旅行する想像をしている。刑務所に行って講演し、福音を伝える想像もする。私は若者のために働きたい。私のように虚しさの中にいる若者が変わることがどれだけ尊いことであるかを知った。自分の目を通して見た私は問題だらけの人だった。しかし、神の目を通して見た私は真理を言う人、平和を与える人、福音を伝える人である。
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