グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「パク・オクス牧師の証」地の果てまで福音を、終わりの日まで主と共に_251

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-12-18 16:47
閲覧数
468

地の果てまで福音を、終わりの日まで主と共に_251|パク・オクス牧師の証

 

キム・ジョンヨン兄弟とさつま芋の代金
「伝道師先生、私は先生のせいでさつま芋代金を払うのに苦労しました。」
1964年、私がジャンパリに初めに行ったとき、教会には小学生の女の子ふたりが来ていた。当時、韓国にはアメリカから来たマッカピー宣教師がいた。以前、ゴチャン高等学校の校長が学校の建築をしようとしたとき、資金が足りなかったので、アメリカの教会に行って助けを求めたことがあったが、そこでマッカピー宣教師が「私の昔の職業が大工だったので建築には詳しいです。私が韓国に行って学校の建築を助けたいです。」と言い、韓国に来てゴチャン高校を建ててくれた。
その後、宣教師は福音を伝えたくて、ゴチャンの中心部から少し離れたジャンパリに土地を購入して礼拝堂を建てた。しかし、教会に来ていた信者たちがだんだん来なくなり、マッカピー宣教師は悩んだ末、当時、宣教学校を運営していたディク宣教師に自分の教会を託した。その頃、アプコットンにいた私は1964年3月にジャンパリ教会に移って、そこで福音を伝えながら過ごした。
1965年10月、ジャンパリ教会で1年半ぐらい経った頃、私は軍隊に入隊するために教会を離れることとなった。兄弟姉妹たちがいくつかの食べ物を用意して送別会をしてくれた。そのとき、キム・ジョンヨン兄弟が言った。
「伝道師先生、私は先生のせいでさつま芋代金を払うのに苦労しました。」
ある日、キム兄弟が家にいたとき、さつま芋の商人が来て、「さつま芋を全部売って二箱だけ残ったが、もしあなたが買ってくれるなら一箱(3.75.㎏)の値段で二箱を渡す」と言った。とても安くて買いたいがお金がなかったので、教会に持って行けば買ってくれると思って私に持って来たと言った。
ところが、私がさつま芋を見て、「キム兄弟、ちょうどさつま芋が食べたくて祈っていたのに神様が叶えてくださいました。」と喜んだそうだ。それでキム兄弟は何も言えず、さつま芋だけを渡して家に帰り、後からその代金の返済に苦労したと話した。
その話を聞いて私たちは大笑いした。

 

55年ぶりにかかってきたキム・ジョンヨン兄弟の電話
軍に入隊した後、休暇をもらってジャンパリ教会に行ってみると、他の人は皆いたが、キム・ジョンヨン兄弟だけが見えなかったのでとても寂しかった。その後も会いたいと思って捜したが、消息がわからなかった。ところが、55年経った今年の春、キム兄弟が私に電話をしてきた。「パク・オクス牧師さんですか。私はキム・ジョンヨンです。」私はあまりにも嬉しくてどう表現したらいいのかわからないほどだった。
キム兄弟は、私がジャンパリに移ってから一番初めに救われた兄弟だ。1964年4月頃だと思うが、ゴチャンの市内から教会に帰る途中、偶然、道で彼らに会った。
一人はキム・ジョンヨン兄弟、もう一人はシム・ジェヨル兄弟だった。私は彼らに福音を伝え、二人とも救われた。それ以来、私たちは1965年10月まで、この世にまたとない仲になった。その兄弟ふたりは世界で誰とも比べ物にならないほど大切な人であり、私の人生で最も喜びと力を与えてくれた兄弟たちだった。
ゴチャンは田舎なのであまり仕事がなく、キム兄弟とシム兄弟は洋装店で働いていた。しかし私が軍隊に入った後、後任に来た伝道師に失望して、キム兄弟は教会を去ったという。 ある日、その伝道師がキム兄弟に「退屈だったので新しいラジオを買った」と自慢したそうだ。キム兄弟は、日曜日の午前の礼拝に参加するためには洋装店で夜遅くまで働き、また、平日も仕事が終わって教会に来れるのは夜11時頃なのに、そのような話をする伝道師に傷ついたそうだ。私がジャンパリで牧会をしていた頃は、自分が夜11時に教会に来たら聖書を勉強し、聖書を読ませたので、家に帰ったらいつも12時過ぎて寝たりしたが、新しく来た伝道師が退屈でラジオを買ったという話に、この方からは学べるものがないと思ったそうだ。ちょうど仕事も忙しかったので、その時から教会に行かなくなったと言った。
そのことで教会を離れたキム・ジョンヨン兄弟から、55年が過ぎた今年の春に電話がかかってきた。涙が出るほど嬉しかった。兄弟は現在、キョンサンナムド・ハプチョンに住んでいて、私にとても会いたいと話した。ちょうど、春にチャンウォンKBSホールで集会があり、そこに行く途中に会うことにした。私はグッドニュース・クムサン教会のある兄弟と交わりする予定があったので、夜明けにクムサンへ行って交わりをした後、キム兄弟が待つハプチョンへ出発した。
クムサンで朝食後に出発して12時頃にグッドニュース・ハプチョン教会に到着した。しかし、そこにはキム・ジョンヨン兄弟の姿は見えなかった。私の知るキム兄弟は少しぽっちゃり体格だが、そのような人はいなかった。ところが、少しやせて背の高い兄弟が近づいて来て、自分がキム・ジョンヨン兄弟だと言った。私たちはどれほど嬉しかったかわからない。
私の人生でキム兄弟みたいな兄弟はいなかった。彼はジャンパリでシム・ジェヨル兄弟と一緒に私と出会い、二人とも救われ、私たちはジャンパリでの1年半の間、世界のどこにも見られない貴重な集いを持っていた。日曜日には礼拝が終わると市場に行って伝道をし、時には警察署の留置場に行って伝道をしたりもした。

 

私の生涯で忘れられない最高の場所、ジャンパリ
私がジャンパリ教会にいる間、私たちは毎晩集まっていた。兄弟姉妹たちが10人、20人、30人に増えはじめ、40人になった。皆が丸く座って互いの顔をみながら賛美歌を歌った。
主イエスに罪を赦されて、わがすべてはかわり…
丘の上に十字架立つ、神の御子イエスきみ…
私たちは喉が裂けるほど賛美歌を歌った。ジャンパリで過ごした時間は、世のどこにもない大切な時間だった。賛美歌の次は一人ずつ証をし、その後に私が御言葉を伝え、最後に祈りをして集いが終わった。夜10時頃、ジャンパリに住む人々は家に帰り、市内に住む人々は自転車に3~4人で乗って帰り、私の自転車にも前後に人を乗せて家まで送ってあげた。それからひとりで暗い夜道を自転車で走って帰って来るときは、私の心はいつも喜びにあふれていた。当時、私たちの心は皆ひとつだった。誰も悩みなどはなかった。新しい人が救われるたび、礼拝堂はパーティー場のように皆喜んでいた。私の人生で忘れられないジャンパリ、最高のジャンパリだった。

 

私の心は再び、最高に美しかったジャンパリに向う
キム・ジョンヨン兄弟に会うためにクムサンを出発してハプチョンに着くまで、私の心は昔のジャンパリに帰って行った。ついにハプチョン教会でキム兄弟と会った。兄弟も私を捜したと話した。ある時、車に乗ってアプコットン教会の前を通るとき、そこに電話番号が書かれていたので、その番号に電話して私の番号を知ったと言った。
兄弟は私の心をパリに再び連れて行ってくれた。私たちの心は一緒にジャンパリに帰った。当時の幸せだった時間を思い出した。私たちは貧しかった。食べ物がなくてよく飢えていた。それでもあの頃のように幸せだった時間はなかったと思う。当時のその人々が今どこにいるのかわからないが、私たち皆の心はイエスでいっぱいだった。
今は教会に兄弟姉妹も多く、何ひとつ不自由なく暮らしている。食事の心配もなく、食べ物の心配もなくなった。それでも私はジャンパリがとても懐かしい。私の生涯で一番美しい時間だったからだ。イエスは私に世界で一番美しい人生をくださった。キム・ジョンヨン兄弟も、シム・ジェヨル兄弟も、他の兄弟姉妹たちもみなそうだったはずだ。数日前、キム・ジョンヨン兄弟が自分が収穫したものだと言って、柿を一箱送ってきた。妻が柿をよく熟成させたので、私が夜遅く家に帰ると出してくれる。すると、私の心は再びキム・ジョンヨン兄弟に、またシム・ジェヨル兄弟に、ジャンパリへ帰る。世の中で一番美しかったジャンパリへ…。その頃の兄弟たちが、また姉妹たちがとても懐かしい。

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