グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「レビ記いけにえ講解」和解のいけにえ⑤

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-11-27 21:28
閲覧数
333

私たちを義とされた
和解のいけにえのささげ物

神はご自身の義を隠すことなく現します。
神が義を現すとき私たちも義を現してこそ、和解ができます。
私たちを義の水準まで上げる働きが、
まさに和解のいけにえのささげ物であるイエスがなさったことです。



全焼のいけにえには、神とともに食べて楽しむ平安がない
創世記27章には「ヤコブとエサウ」の話が出てきます。ヤコブとエサウが祝福を受けるために父イサクの前に出る話で、イサクは長男エサウを祝福しようとしました。それでエサウに「おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身がおまえを祝福できるために。」と言いました。
イサクがエサウに話すのを妻であるリベカが聞き、リベカは父の祝福をヤコブが受けるように働きました。ヤコブのなめらかな肌をやぎの毛でエサウのように毛深く作り、ヤコブにエサウの服を着せ、イサクが好きな食べ物をヤコブの手に持たせて、父の前に行かせました。ヤコブが父の前に出たとき、ヤコブがイサクに聞きました。
「わが子よ。だれだね、おまえは」
「私は長男のエサウです。」
エサウの声を真似ましたが、その声はヤコブの声でした。そこでイサクはヤコブに言いました。
「近くに寄ってくれ。わが子よ。私は、おまえがほんとうにわが子エサウであるかどうか、おまえにさわってみたい。」
イサクはヤコブに近寄るようにして彼をさわってみました。そしてこのように言いました。
「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」
イサクもその声がヤコブの声だと知っていました。それでも、結果的にはヤコブを祝福しました。
この話は和解のいけにえではなく、全焼のいけにえに関する話です。和解のいけにえに不可欠な条件は神と人間がともに食べることですが、創世記27章をいくら読んでも食べるのは片方で、双方とも、供には食べません。
「お父さん、これおいしいね」
「そうだね。おまえも食べなさい」
このように二人が一緒においしい物を食べていません。父であるイサク一人だけが食べました。その間にヤコブは何をしていましたか。彼は恐れながら、父が早く料理を食べて自分を祝福してくれるのを待っていました。ヤコブは不安で緊張して外を見たかもしれません。
ヤコブは祝福を受けましたが、父とともに食べたり飲んだりはできませんでした。余裕があり堂々と祝福を受けたのではありません。ヤコブは緊張して不安な心で祝福を受けました。ヤコブは食べたくても「一緒に食べたい」とも言えなかったでしょう。
このような様子を考えると、創世記27章は全焼のいけにえを描いた話だと言えます。全焼のいけにえは神の心のみを満足させ、いけにえをささげる人間の心には真の自由がありません。真の平安も、ともに食べる喜びも、全焼のいけにえでは見つけられません。

神の前で自由にしてくれる和解のいけにえ
救われた聖徒たちは全焼のいけにえに関してはある程度知っていますが、和解のいけにえに関してはほとんど知らないです。ですから、多くの人が神の前に出て祝福を受けるとしても、全焼のいけにえの型の祝福を受けるだけです。神とともに楽しむ平安がありません。和解のいけにえの意味を知っている人が受ける神の祝福は、全焼のいけにえの意味だけを知っている人が受ける神の祝福と、まったく異なります。ローマ人への手紙5章1節には、このように書かれております。
『ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ5:1)
ここで「信仰によって義と認められた私たちは」というみことばは、私たちが救われたことを意味します。ローマ人への手紙5章1節は、私たちが救われた後、まず先に神と私たちの間に真の和解が形成されるべきであることを教えています。私たちが神との平和を持つことです。イエス・キリストはそれを成し遂げるために、和解のいけにえのささげ物になってくださいました。
ローマ人への手紙3章23節には『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず』と言いました。人は誰でも罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。しかし、24節には『ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです』と言いました。そして、25節には『 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです』と言いました。ここでイエスを「なだめの供え物」だと言っています。
なだめということばは、父親が子どもを叩くときに母親が「あなた、子どもに何がわかるんですか、許してあげて」と止めてくれるような、なだめではありません。また、ある人が重い罪を犯した後、ワイロを持ってきて許しを求めると「今回だけ許してあげましょう」というなだめでもありません。
創世記27章に出てくるヤコブとエサウの話で、イサクは目が見えなかったため、ヤコブがエサウに見えました。それでヤコブが持ってきたおいしい料理を食べて満足できました。しかし、イサクの前でヤコブは緊張して恐れていたため、父とともに食べて楽しめませんでした。イエスは私たちが神とともに食し、楽しむためには、そのいけにえだけでは叶わないのをご存知でした。それでは、どうすればよいのでしょうか。見て見ぬふりをするのではなく、何の問題もなくしてあげるべきです。
私たちの間違った部分や汚れた部分を神が大目に見てくださって、目をつぶってくれるからといって神と和解ができるのではありません。仮にそうしたら神の側では大丈夫かもしれませんが、神の前に堂々といられません。そのような関係では、神と私たちの間に真の和解が形成されません。私たちは神の前に立てても自由がなく、恥ずかしいでしょう。
わたしたちが人の前では自由がないとしても、神の前では自由であるべきです。警察官や試験官の前では自由がなくてもかまいませんが、神の前に出るときには心に真の自由があるべきです。私たちが普段は自由に過ごしていて神の前に出るとき、心が不安になるなら、これは何かが間違っているのです。

神が義を現すときは私たちも義を現すべきである
創世記27章に出てくるイサクとヤコブのような関係では、神は私たちとともに食べられません。なぜなら、私たちに自由がないからです。真の和解が成し遂げられるためには、私たちが神の前で自分の裏を全部見せても堂々とできるほど、私たちの心が変わらなければなりません。そうして私たちはやっと自由になり、神とともに食べ、飲んで楽しめます。
例えばパクさんが一万円、キムさんが一千万円を持って二人で旅行をします。パクさんは一万円で家族のお土産まで買います。すると、パクさんは頭で「今日いくら使ったのか」と計算し、キムさんは気にしないでお金を使うでしょう。旅行中にキムさんが「今日は高級な食堂に行きましょう」と言いました。パクさんはキムさんがごちそうしてくれると思って「いいですね」と言ってついて行きます。食事が終わり会計をしようとするとき、キムさんが「割り勘にしましょう。パクさん、お金がないのですか。私はお金がたくさんあります」と言って自分の分だけ払うなら、キムさんとパクさんの心が和解できるでしょうか。
だからといって、食事をする度にキムさんが払っても和解ができません。一、二度ならごちそうになりますが、毎回だと一緒に行動できません。キムさんとあまりにも差が大きいからパクさんの心に自由がありません。いつもごちそうになるより、自分のお金でうどんを食べた方が気が楽です。お金を片方だけ楽に使っても、二人の均衡が取れなくては歩み寄りができません。
イエスは、私たちに足りない部分があり神と和解できないことをご存知でした。私たちが神の前に立つとき足りないことがないようにしてこそ、私たちが神と和解できると知っておられました。
『神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。』(ローマ3:25)
「ご自身の義を現すためです」の、ここで「ご自身」は神を表します。神はご自身の義を隠すことなく現します。神が義を現すとき私たちも義を現してこそ、和解ができます。神がご自身の義を現すとき、義がない人は心が縮むでしょう。神とともに食べるどころか、気がひけて和解ができません。
和解ができるためには、神が「わたしは義である」と言われて義を現したとき、私たちも「私も義であります」と言って義を現さなければなりません。神が「わたしは義である」と言われたとき「私は罪人です」と告白するのは、「主よ、私は義がない者です」という意味です。そのような人がどうして神と和解ができるのでしょうか。イエスは私たちを神と等しい義の水準まで上げたら、私たちが神と和解できることをご存知でした。私たちを義の水準まで上げる働きが、まさに和解のいけにえのささげ物であるイエスがなさったことです。
『それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。』(ローマ3:26)
このみことばで、誰が義ですか。神が義であり、信じる私たちも義です。そうすれば、完全な和解が成し遂げられます。イエス・キリストが私たちを義にできなかったら、イエスは和解のいけにえのささげ物になれません。私たちが罪人であるのに神が私たちを義人だとひいき目に見てくださるのなら、絶対に和解ができません。神と私たちが和解するためには、私たちを義人にしてくださらなければなりません。
私たちは確かに「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3:23)という位置にいました。ところが、イエスがこの世に来られて十字架に釘づけられ、私たちは「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:24)という位置に立つようになりました。『それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。』(ローマ3:26)もし神が罪人を「義である」と言われるなら、神は義である方ではありません。ご自身の義を現した神が私たちに向かって義であると言われるならば、私たちは間違いなく義人です。神が「わたしは義であり」と言われて義を現すとき、私たちも「私も義であります」と言って義を現すべきです。そのとき、真の和解が成し遂げられるのです。

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