イ・ヨンジュン(グッドニュース・カンナム教会)
神様の愛の中で私の人生が流れていくのが…

 娘のヘジンが5歳の頃、義父の葬式を終えてから車に乗って帰る途中、人をひいてしまった。示談金として500万ウォンという大金が必要だった。当時、元夫はカーセンターを始めたばかりだったのでお金の余裕がなかったので、仕方なく店を売るしかなかった。それまで厳しい生活を送っていて、これからは落ち着いた生活ができるという夢が崩れた瞬間だった。

 仕事を失った元夫は心が落ち込んでしまい、酒を飲みながら家に帰って来ない日が多くなり、酒癖もひどくなっていた。不安な日々を送る私は、なぜ自分はこの程度に生きられないかと自分を責めていた。元夫の暮らしを変えてみようと、断食して毎日教会に行って神様に泣き叫んだが、増えるのは借金と元夫の暴力だった。人生が限りなく堕落していたその頃、2番目の姉(イ・ミョンレ姉妹)から電話がかかってきた。姉は自分が救われたと喜んだが、私はその姉が異端にはまったと思い、二度とそのような話を切り出さないでほしいと言った。死にたかったが、私を頼りにしている娘を見て毎日耐えながら生きていた。ある日‘この世の人生も地獄のようなのに、死んでまで地獄に行ったらどうしよう’という不安が襲ってきた。ふと、姉が来てみろと言ったその教会に一度行ってみたくなった。

 私はインチョンからソウルの第一教会を訪ねた。ちょうど、婦人会を終えて人々が礼拝堂から出てきた。若い伝道師と信仰相談をしたが、とても若くて頼りにならなそうだった。しかし、その伝道師は聖書を開いて、物静かにしっかり説明してくれたので、だんだん心が話にはまり込んでいた。話を聞いてみると、すべてが聖書に記された明らかなみことばだったので、自然に信じることができ、いつの間にか私は救われた。神様が私を呼んでくださったという事実に胸がいっぱいになった。

 救われてから生活状況がよくなったかと思いきや、もっと厳しい状況になってしまった。もう住む場所もなくなったのだ。ちょうどそのとき、元夫が仕事のために時々立ち寄ったチュンチョンブクド·オクチョンという田舎町で、ある人が部屋を貸してくれると言ったので、私たち家族はその町に引っ越した。当時、元夫と私は若かったので、手当たり次第に仕事をし、3年でその町にマンションを購入した。ちょっと一休みしようと思ったのに、元夫が無理に融資をして大きなブドウ畑を営んでいたのが大失敗してしまった。そのせいで家は差し押さえの紙が貼られるようになり、借金取りからはお金を返せと村中で騒いだので、その村では到底住めなくなった。それで一緒に暮らすことに疲れて、私たち夫婦は離婚をした。

 その後、私はデジョンで必死に働きながら娘とふたりで暮らした。大変だったが、心は楽だった。娘は苦労している母親に少しでも力になろうと、自ら勉強もしたり、学校から帰って来たら学校での出来事を詳しく話したりしてくれた。いつの間にか娘は私の友達のようになっていた。娘は、何の苦労もなく育った子どものように、いつも明るく笑い、頼れる相手になってくれたので、私の心はいつも娘に対する感謝と切なさがあった。

 友人の紹介で今の夫と再婚し、へジンも新しい父親に懐いていた。へジンが高校に入学する頃、ソウルに住む2番目の姉の家の近くに引っ越しして、姉について教会に行き始めた。ヘジンも私と一緒に教会に通いながら救われ、アフリカ・ガーナへ短期宣教に行った。夫は誠実でいい人だった。新しい家庭を築いていく中で重荷もあっただろうが、家長としての役割を充実に担ってくれた。知人を通してカラク市場に店を設け、誰よりも真面目に働いたおかげで良い所に店を移し、何の問題もないように思っていた。ところが、事が変にこじれ、一瞬にしてすべてを失ったショックで、夫は脳梗塞で倒れてしまった。大きな困難もあったが、そのとき、夫の心も崩れて福音を受け入れた。

 その頃、パク·オクス牧師さんが私の家に訪ねて来てくれた。牧師さんはエレミヤ書29章のみことばを伝えてくださった。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ーーー主の御告げーーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29:11)

 神様がわざわいではなく平安を与えるためだと言われたみことばを聞いて、今まで苦労して生きたその理由が分かった。私の心は平安になり、希望を持って夫の看病をすることができた。幸い夫は福音を聞いてから心がとても柔らかくなり、他の患者より何倍も早く回復して、入院1か月後には退院できた。それから私たち夫婦は、8月に開催されるガーナ・ワールドキャンプに、娘に会えることを兼ねて行くことにし、黄熱病の注射も受けて娘に会う日を待ちわびていた。

 2007年夏、3次修養会に実家の母を連れて行ったその翌日の朝、静かにお祈りをしていると、パク牧師さんから電話がかかってきた。瞬間、‘へジンに何かあったのか’という思いが脳裏をよぎった。牧師さんはヘジンの話を始めた。

「へジンが礼拝堂の工事を手伝っていたが、2階の手すりから落ちて怪我をしました。一生、歩けなくなるかも知れません。手術を受けるように連れて来ようと思っているのですが、航空会社から受け入れてもらえません。今、あちこちで飛行機の便を調べています。」

 残念な気持ちで話している牧師さんの話を聞いて、驚きのあまり言葉が出なかった。その瞬間、牧師さんがこれまで神様を経験した証が走馬灯のように過ぎ去った。神様と同行しながら教会を導く神のしもべを、どんな状況であっても信じたいと思った。

「牧師先生にお任せします。牧師先生がすべてのことを決めてください。」

「今朝の明け方に眠れなくて教会に早く来て聖書を読みました。ローマ書8章37節で「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらのすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」というみことばが私の心に平安を与えました。」

 しかし、その瞬間には牧師さんの言葉は耳に入らなかった。心臓がどきどきして足が震えて一歩も歩くことができなかった。しばらくして心を落ち着かせ、牧師さんから聞いたみことばを読み、また読みながら心に刻んだ。

「そう。へジンは圧倒的な勝利者となる。神様が約束を守らなければ嘘つきだ。」

 へジンがドイツに行くという話を聞いた。私と夫と実家の母は、暇さえあれば一緒に集まって祈った。救援されたばかりの夫も、90歳になった母も、心が一つになって神様に祈った。祈りをささげられる神様がおられることに心深く感謝した。

 ヘジンは、ドイツで脊椎手術が一番上手だというフランクフルト大学病院に搬送され、到着するやいなや手術に入った。1回目の手術は、背中を割って壊れて散らばった骨片を除去する手術だった。胸椎12番が全部崩れ落ちてしまったので、その代わりに鉄でできた筒を背中に入れた。一週間後、2回目の手術が行われた。2回目の手術は危険要素が多いとした。わき腹を割って臓器に刺さった骨片を取り除く手術で、臓器をすべて取り出して、肋骨をいくつか切り取らなければならないと言った。想像するだけでもぞっとする説明だった。驚いて「まだ結婚もしていない彼女に、肋骨を切ったらどうするのか?他の方法はないか?」と聞くと、医者は肋骨が広がっていたら切らずに手術してみると言った。

 神様を仰ぎ見ること以外に道がなかった。パク牧師さんが聞かせてくれた「 私たちを愛してくださった方によって、これらのすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」というみことばを思いに刻んだ。手術後はヘジンが集中治療室にいるので、私たちは病院にいる必要がなくなった。宣教師が「ドイツに来たついでに、教会の姉妹と一緒に観光でもしてください。」と言った。姉妹と一緒にゲッティンゲン教会とベルリン教会を見て回り、周辺の観光地を見物した。切迫した状況の前で、他の人々が見たら理解できないことだったが、私たちは楽しい時間を過ごして神様に感謝した。手術が終わった後、ヘジンは予想とは違ってとても苦しんでいた。そのすべての苦難を乗り越えた後、医者がレントゲンフィルムを見せて、ヘジンの状況を説明してくれた。

「人間にできることは100%尽くしました。これから歩くのも走るのも神様のすべきことです。もう神様が働くことしか残っていません。」

 手術はとてもうまくいった。実は、私は手術が終わればヘジンはすぐ回復できると思った。しかし、神様はそうしなかった。心がとても重かった。母親の私が無能すぎると思い、これまで気苦労しながら生きてきたヘジンにしてあげられることが何もないという事実に胸が張り裂けそうだった。娘の前ではそぶりを見せなかったが、心では多くの涙をのんだ。

 ヘジンの体は早い速度で回復し、手術を受けた跡もよく治った。へジンがフランクフルト大学病院で20日間入院したが、いつも明るい笑顔と肯定的な心で病院の人々と接していた。そんなへジンを見て、娘だが不思議だった。彼らはヘジンに「天使」というあだ名をつけてあげた。へジンの心の平安はどこから来たのか。神様のしもべと教会の導きがなかったら、ヘジンは絶望の中で苦しんだだろう。状況は絶望的だったが、心は絶望から逃れて希望と感謝の中で留まるように導いてくださった神様に心から感謝する。

 事故があった2007年8月から、6年間、病院生活をした。その間、中国広州で治療を受けた日々を忘れることができない。イ・ガンテ長老の紹介で、長老の師匠から鍼治療を受けたことがきっかけで中国まで行くことができた。広州のある病院で6か月間、按腹鍼治療を受けながらリハビリ治療も受けた。近くにいた宣教師と中国の兄弟姉妹たちが心をたくさん注いでくれた。限りない真心に報いるように、へジンの体の麻痺がほぐれるようだった。しかし、ある程度時間が経つと、改善が見られなかった。ある日、入院先の主治医が、当時、通訳をしてくれる宣教師の奥さんと私を呼んで、乾いた口調で静かに話した。その主治医の話を聞き終えて奥さんが私に言った。

「この病院でこれ以上の治療を受けることは無意味であり、ヘジンがここにずっどいれば、病院の地位が下がってしまうので、もう自分の国に帰れと言っています。」

 地が崩れたという表現はそんな時に使うようだった。‘神様、私たちをここに送ったのはヘジンを治すためではないですか?どうして医者が帰れと言うのですか?’悔しい思いや医者に取りすがりたい思いなど、様々な考えが心を乱していた。へジンにこの事実を知らせる前に少し目を閉じてみことばを黙想すると、神様がローマ書8章11節のみことばを思い出させてくださった。

「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」

「そうだ。死ぬべき体も生かしてくださる方はイエスだ。医師は帰れと言うが、これからは神様が働かれる。」

 乱れていた心が落ち着きを取り戻した。主治医から聞いたことをへジンに伝えると、静かに聞いていたへジンが突然激しく泣き出した。私は大声で言った。

「どうして泣くの?泣けて治るものなら10日間泣いてもいい!」

「私は泣くこともできないの?」

 事故後、ヘジンは初めて怒った。私は娘とふたりで話し合った。そしてローマ書8章11節をへジンに見せながら話した。

「これが真理だ。この状態はすべて偽りで、私たちはみことばだけ信じなければならない。」

 聖書を見たヘジンは泣き止み、すぐに平安を取り戻した。病院では1か月間、さらに治療を受けるようにしてくれるといった。主治医が入れ替わって治療が進んだ。 その1か月の間に神様が恵みを施し、ヘジンの体がへそ下5cmまでの感覚を取り戻した。

 韓国に帰ってから、私は終わりのない病院生活で疲れ果て、夫もひとりで苦労していた。平日は病院で過ごして週末に家に帰ると、夫がヘジンと私に冷たくした。そんな夫を見ると寂しくなった。そのことで私たち家族はパク牧師さんに相談する時間を持った。牧師さんは温かい言葉で夫の心を慰めながら、へジンに対して希望に満ちた牧師さんの心を私たちに流してくれた。牧師さんの話を聞いてみると、一人で寂しく過ごしている夫の立場を全く考えていない私の姿が見えた。夫もそれなりにどれほど多くの考えと悩みがあっただろうか。私は高慢な妻だったのだ。牧師さんと交わりをした後、久しぶりに夫との長い時間、もつれた糸を解き放つように、互いに心のわだかまりを晴らすことができた。私は自分の過ちを打ち明けて、心から夫に跪いた。

 以後、夫はへジンに一番良い友達になってくれた。へジンは体が麻痺して食べ物がよく消化できないが、夫が作ってくれた食べ物は問題なくよく食べていた。夫は「私が家の専属シェフなので、私の家の女性たちのために手が乾く日がない」と冗談を言い、幸せに暮らしている。

 6年の病院生活を終え退院した後、ヘジンはこれまで体力を磨いてきて、競走に出る選手のように忙しく過ごした。体調を崩して通っていた大学を退学していたが、編入試験を受けて中央大学に合格した。学校で障害者だからと合格を決めないでいるとき、娘と私は学校へ行って神様が私たちに希望をくださったことを話した。関係者たちは私たちの話に吸い込まれるように聞き、ついに合格の決定を下した。そして卒業するまで、へジンが属しているクラスの講義室をエレベーターのある建物に割り当てた。へジンは学校に通いながら、マインド講演や教会の仕事を並行していたため、徹夜する日が多かった。それを見ると大変そうだが、へジンは自分を呼んでくれる教会と神様に感謝していた。試験の度に教会の仕事があったが、神様に知恵をいただき、良い成績で卒業することができた。体に気を付けずに暮らす娘が気の毒で、「お前がしなくてもそのことはすべて上手く行く」と言ったこともあったが、神様はいつもへジンを弱い体から、また弱い考えから抜け出すように娘の心を導いてくださった。

 へジンは1週間に3回、水泳をしながらリハビリ治療を受けている。初めて水に入ったときは、体が沈むのを防ぐために首と腰、手首と足首に浮き輪をつけた。へジンはまるで雲の上を漂うような気分だと言って、横になって水の上をふわふわと浮いていた。水泳が終われば浮き輪を外し、腹筋運動と足を伸ばしたり縮めたりしながら筋力運動などを行った。今は、体に何の装置もつけず、自由にイルカのように水泳がうまい。水泳を指導する先生たちが「ヘジン、オリンピックに出よう」と冗談を言うほどだ。

 水中に足を踏み入れる練習、バーをつかんで歩く練習もする。水の中に自由に出入りする娘の姿を見ていると、私の心が幸せになる。脊髄障害を持った人は時間が経つほど足が衰えて、筋肉がなくなり、下半身は力がなくなりぶら下がっている形になる。いくら運動をしても神経が繋がらないので筋肉が生まれない。ところが、へジンは日増しに足が正常の人のように太くなり、微細に震える筋肉も生じた。神様が守っておられるのがはっきりと見える。以前は平泳ぎをするときは足に力が全く入らなかったが、最近は足を伸ばして水を押し出している。へジンがマインド講演をしながらいろんなところに行くので、運動を続けることはできないが、だんだん良くなる娘の姿を見る度に、「わぁ! これは本当に神様の御業だ!」と言うしかなく、心に熱い感謝の涙がわく。

 パク·オクス牧師が説教の間に時々ヘジンの話をする時は、「私が発見できなかった神様の愛を牧師さんのみことばの中で発見する。ヘジンを心に受け止めている牧師さんを見ると、それが神様から出た愛であることが分かる。だから神様がヘジンを見守っておられるのを感じる。私たちに向かう神様の愛を感じることができて心が本当に暖かくなる。
ある日、へジンの子宮から出血が続き、めまいがひどかった。近くの産婦人科で検査してみると、子宮にポリープが多くできたとした。それでへジンが動くたびにそのポリープ同士でぶつかり合い、出血していたのだ。その出血でヘモグロビンの数値が下がり、がんに発展する可能性もあるため、大きな病院に行って手術するよう、所見書を書いてくれた。早いうちに治療を受けろというが、大変なことが多くて心が鍛えられたせいか、それほど心配にはならなかった。その代わり‘神がこのことをどう変えてくださるか’が期待になった。
へジンと一緒に家に帰って神様に祈りをささげた。

「神様、へジンはまだ結婚もしていないのに子宮の手術をしなければなりませんか。 がんに勝った多くの兄弟姉妹の証のように、ヘジンも神様が哀れんでください。神様の御手で元気になるようにしてください。」

 祈りを終えた後、キンポにある「ソウル女性病院」のキム・ソウン副院長に連絡して1月に病院に行く日を決めた。しかし、その日にヘジンがマインド専門講師の教育に参加しなければならず、翌月はタイのワールドキャンプに参加するため行けなかった。結局、3月になってようやく病院に行ったが、検査の結果、ポリープが一つも見えなかった。私たちの目で多くのポリープを見たが、全くなくなったのだ。私たちは検査結果を見ながらも信じられなかった。

 しかし、喜びもつかの間、へジンのヘモグロビンの数値が6.1になり、副院長が驚いて血液注射を処方してくれた。数値が6.5以下ならば輸血を受けなければならないが、これまでどのように生活したのかと言いながら、子宮のポリープよりさらに深刻な問題だとした。その後、ヘジンはずっとめまいを訴え、髪の毛もたくさん抜けた。ある日、娘が夜明けから嘔吐し、目を開けることもできず、頭も上げられなかった。その日が日曜日だったので、パク牧師さんに駆けつけた。その日の説教はエペソ2章1節から10節のみことばだったが、牧師さんが1節の「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」というみことばを読み上げながら、目に見える状況を信じるのは空中の権勢を握った者に従順することだとした。

「そうなんだ。へジンの具合が悪いのは目に見える状況だ。罪過と罪で死んだヘジンを神様が助け、救ったから、これは困難ではない。もっと大きな祝福をもらえるためである。」

 みことばは私に力を与えた。家に帰ってから苦しんでいるへジンに、牧師さんから受けた心をそのまま伝えた。すると、へジンもそのみことばを心に受け止めて力を得、翌日、元気になれた。3か月後の検査を受けた際には、ヘモグロビンの数値が13で、大変正常と出た。私たちは、様々なことの中で神様のみことばが大いに働かれるのをしきりに経験した。そして神様が生きておられるのを肌で感じながら生きている。時々「なぜ神様が私には働かないの?」と言う人を見るが、それは目に見える苦しい状況に溺れ、神様の御業を見つけることができなかっただけであり、それまでの日々を振り返れば、細密に働いた神の痕跡と大きな愛を感じることができるはずだ。へジンと私はその神様の愛を知ったので、幸せと感謝に浸って生きているのだ。

 現在、私の家族が住んでいる家も神様がくださった。2013年に私の家族はグッドニュース・カンナム教会から遠く離れたナムヤンジュに住んでいた。ある日、ムン·ヨンジュン牧師が「なぜこんなに遠くに住んでいるんですか。教会の近くに引っ越して来てください。」と言った。牧師の導きで住所をソウルに移し、へジンの名前で市営住宅申込みのために通帳を開設した。そして3か月後、カンナム区とソチョ区で行われる居住者募集申込書に書類を出した。結果を待っている間に私たちが住んでいた家が売れ、すぐに引っ越さなければならなかった。引っ越し先が見つからず、どうしたらいいのかわかわなかった。その頃の日曜礼拝時間に、パク牧師さんが出エジプト記12章13節のみことばを聞かせてくださった。

「…わたしが血を見て、あなたがたの所を通り越そう。あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。」

 まるで私個人に聞かせてくださるみことばのように思えた。牧師さんは「ダビデがゴリアテに立ち向かうとき、槍と剣に頼らず、万軍の主の御名によって立ち向かった。」と力強く話してくださった。神様とつながればどんなことでも乗り越えられるとおっしゃった。私の心にイエスの血があるので困難が越え、神様が家をくださるはずだと確信した。私の家を買った新しい家主に‘私たちが来年3月になったら引越し先が決まるので、そのときまで待ってほしい’と頼んだ。すると新しい家主は自分の引越しも5か月後になることで少し悩んだが、気持ち良く許してくれた。申し込みの結果が発表された状態でもなく、住宅を購入する金ができたわけでもないが、神様がそうしてくださると信じた。時間が流れ3月になり、申請した多くの申し込み件のうち、3月に入居できるマンションが当たった。不思議すぎて飛び跳ねるほど嬉しくて感謝だった。引っ越し先が決まった後、引っ越しに必要なすべてのものも神様が準備してくださった。

神様の仕事はいつも美しく仕上がる。それでヘジンの人生も神様が美しく仕上げるという信仰がある。だから、私たちは希望の中で生きることができ、毎日を笑いながら過ごすことができるのだ。私が生きてきた日々を振り返ってみれば、波乱万丈だったようだ。そして逆境が多かっただけに神様の多くの恵みの中で生きたという気がする。神様の愛の中で家庭の平安も得て、何よりも神様のみことばを信じる人生を承諾してくださった神様に感謝する。「いつも喜んでいなさい。」というみことばが私の心に染み込み、今はどんな事に出会っても喜んで受け取れるように神様が私の心を造ってくださった。

 娘がいつも自分を助けてくれる人と出会えるようにし、具合が悪い時も病気にとらわれず神様ともっと親しくなる時間を作ってくださった神様。様々なことや状況にとらわれず、大胆に生きるようにしてくださった神様。その神様と私の間でつながれた紐は時間が経つほど強くなり、いつも神様と一緒にいることに感謝する。神様がヘジンをすでに全うさせたというみことばを信じているから、ヘジンがまだ歩けないことに執着しない。神様が今日にでもへジンを起き上がらせれば、娘は走り回るだろう。 しかし、神様はへジンを長い間、車椅子の中に置いて、あなたの愛と完全な世界を教えてくださっているという気がする。車椅子に乗っている中に感じることができる心の世界が、ヘジンの人生の土台となって、神様の計画の中で様々な栄光を見る日が来ることを信じる。限りない神様の愛、神様がくださった平安な家庭、私たちを導いてくださる神様のしもべと教会、この中で私の人生が流れることにこの上なく感謝する。