チェ·ヨハン伝道師(LA中央教会)
サソリの毒に勝ったみことば

 私は1981年にチェジュ島で3人兄弟のうち、末っ子に生まれた。私の家族はチェジュ島で一番大きい長老教会に通ったが、罪のために苦しんでいた長兄が先にグッドニュース宣教会に出会って救われ、続けて家族が救われた。父が事業に失敗したため、1993年に米国にいる親戚の招待で家族全員が米国に移住した。私が小学校6年生の頃だった。初めはダラスに住む叔母の家に住んでいた。私は見知らぬ環境に適応するのが大変で、2歳上の従兄のジェームスをとても頼った。中学校に入ってからは従兄の友人たちと付き合いながらタバコや酒や麻薬にだんだんはまり始めた。麻薬を初めたときはとても気分がよくて楽しかった。ところが、幻覚状態から覚めると、体があまりにも苦しく、正気に戻れないほど辛かった。二度と麻薬はしないと決心したが、時間が経つと再び麻薬の誘惑に引かれてしまった。そんな生活が繰り返されると、勉強もできず健康も悪化した。

 数日後、私の家族は他の都市へ引っ越した。従兄と離れて過ごしたが、私は相変らず学校生活に慣れず、友達と一緒に麻薬をしていた。そんなある日、叔母からジェームスが亡くなったという連絡を受けた。驚きのあまり、電話機を置いたまま何時間もぼうっとしていた。その前夜に電話で話をしていたのに、信じられなかった。愛する人との別れはとても悲しかった。私もいつかはそのように死ぬだろうということが恐ろしくなった。

 その冬、私はアメリカの西部の修養会に参加した。以前からよく聞いていた福音だったが、そのとき、私の心にみことばが入ってきた。「その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。『見よ。世の罪を取り除く神の小羊。』」(ヨハネ1:29)私のすべての罪をイエスが負って行き、すべて贖ってくださったのが信じられた。心がとても安らかで、自然と麻薬とも遠のいた。

 高校に入って思春期になると、ますます両親と教会の干渉が嫌になった。自分勝手に友達と付き合いながら再び世の中の快楽を追った。人前で強くなりたくてギャング集団に入り、もっと強い人になりたくて銃も購入した。お金が必要なら店を荒らし、絶え間なく喧嘩し、追い回されることを繰り返した。抜け出したかったが、ギャング集団の報復を恐れてそうすることもできなかった。そのように過ごして2001年に両親の勧めで韓国で開かれた第1回ワールドキャンプに参加した。そのとき、パク·オクス牧師は「明日の今頃、皆さんは宣教師となり、福音のために生きるでしょう。」と言った。その日、みことばの時間が終わってから知り合いの先輩と一緒に隠れて煙草を吸った。偶然に先輩は‘THIS’、私は‘TIME’というタバコを吸っていたのを見て牧師さんの話が思い浮かんでふたりで笑った。私が先輩に「Tomorrow about This Time?明日の今頃、私たちも変われるかな。」と言うと、先輩は「黙れ!」と言った。私も牧師さんのみことばを信じなかった。

 高等学校3年生になると、勉強するだけでは自分の未来が見えなかったので、金を稼ごうと学校を辞め、電気技術会社に就職した。そしてクリーニング店、ドーナツ店、中華料理店、アメリカ料理店などで手当たり次第に働いた。忙しい生活をしているとギャング集団と会う機会が減り、教会とも遠くなった。頑張ってお金を貯めて食堂を運営し、結婚して幸せに暮らす素朴な夢を見た。「やればできる」と思ったが簡単ではなかった。それまで吸っていた大麻もやめられず、お金も儲け次第使っていたので、貯蓄どころかカード負債ばかりがどんどん増えていった。未来に対する計画を立ててみたが、私にはその計画を成す能力と知恵がなかった。長い間信じていた友達に裏切られ、さらに自分の姿は惨めだった。ある日はそんな自分が変人のように見えて嫌になった。それで喉が枯れるまで自分自身に悪口を浴びせかけながら叫んだ。ある日、母が私に近寄って来た。私が苦しかった自分の心を打ち明けると、母はすべてが神様が私を愛していたから、神様のほうに振り向かせようとしたことだと言って、私を再び教会に導いてくれた。みことばを聞きながら、神様が私の人生を幸せへと導こうと、このような人生を与えていたことを知った。平安で感謝した。教会に行くようになって2週間程度たった頃、出勤途中に二重衝突の大事故が起こった。その場で即死か大けがをするほどの大事故だったが、私はどこも怪我はなかった。神様が私を助けてくださったのだった。神様の御心を思い、とても感謝した。健康も精神も良くなく、毎朝早く起きて町を一周しながらイエスに祈り、話し合う時間を持った。何も持っていないが、神様が私と一緒にいるという事実だけで大きな力となった。

 アフリカへボランティア活動に行って来た学生たちの明るいエネルギーに強く引かれ、私はリベリアへ短期宣教に行った。最初は、すべてが不慣れで適応できなかったが、人々に福音を伝えながら幸せな時間を過ごした。2009年3月末のある日、蚊帳を張って寝ていたところ、急に右の足首がチクチクしはじめ激痛で目が覚めた。時刻を見ると夜明けの4時頃だった。右の足首がとても痛くてたまらなかった。まるで誰かが私の足首に針を密かに刺したかのようだった。朝起きて足首を見たら、赤い点が4つと黒い点が1つあった。周りの人に聞いたら、アリに噛まれた跡だと言われ軽く思った。ところが、少しずつ痛みがひどくなり、まともに歩けなくなった。体力もますますなくなり、宣教師と近くの病院へ行って薬を処方されて帰ってきて休んだ。

 その日の夕方、宣教師が血圧を測ってみようと、血圧の機械を取りに部屋に行ったとき、急に心臓が締め付けられ始めた。吐き気がしてトイレに行く途中、気を失って倒れた。宣教師が、私の名前を叫んで呼んだ。瞳孔は開かれ、小便と大便をもらし、脈も心臓も全く動かなかったらしい。宣教師は私を背負って飛び出してタクシーを拾い、町で一番良いカトリック病院に行った。タクシーの中でも宣教師はずっと私の胸を叩きながら私の名前を叫んだ。

「チェ・ヨハン!チェ・ヨハン! しっかりしろ!チェ・ヨハン! 起きて、チェ・ヨハン!」

私は真っ暗で空虚な状態だったが、遠くから宣教師の声がかすかに聞こえた。そのかすかな声がだんだん大きく聞こえ、意識が戻った。

「ヨハン!目が覚めたか?大丈夫か?」

 目は開けたが、依然として力がなく、目まいがして、自分が非常に深刻な状態で病院に向かっていることを感じていた。医師は、正確な原因は分からないが、ある毒性が全身に広がって心臓を攻撃しているとし、もう手遅れだと言った。血圧も低く、体温も下がり、心臓はかろうじて動いてはいるが、これ以上、手の施しようがないと言った。そして、他の病院に行くようにと冷静に言い渡された。宣教師は、普段から知っていた中国人の医師に駆けつけて頼んだが、その医師も同じ反応だった。生きる見込みがないとし、とても残念で申し訳ないと言いながら私たちを帰らせた。希望を失って家に戻って横になろうとすると、また心臓が締め付けられ気を失った。しばらくして意識が戻ると、宣教師は私を連れてまた病院に行った。当時、私の体は冷たく固まっていた。私の姿を見た隣人たちは、それが私の最後の姿だと思ったと言う。

 車に乗って行くうちに、私の意識は薄れていった。宣教師は引き続き私の名前を叫びながら胸をたたいた。私はこのままぐっすり寝たかった。一緒に行った先輩短期宣教師が、私の頬を殴りながら私を起こしていた。そのとき、初めて‘ああ、こうして人が死んでいくんだ。私は死んでいく。病院に行ったとしても結局、何の意味もない。’という考えで望みが消えていった。アフリカに来る前、私を暖かく抱きしめてくれた父の姿が懐かしかった。アメリカにいる家族や教会の家族にも会いたかった。彼らに二度と会えずに逝くというのが悲しかった。このようには死にたくなかったが、死を待たざるを得なかった。他の病院では受付もしてくれなかった。最後に、また違う病院を訪ねた。夜遅い時間だったので医者はいなくて、看護師だけがいた。宣教師はずっと私の胸を叩いていた。そのとき、私の心臓の鼓動を測っていた機械が「ピー」という音を鳴らして止まった。宣教師と短期宣教師が再び私の胸を叩くと、心臓はまた弱く動いたが、すぐまた心臓が止まったりまた動いたりしながら、かすかに息をしているだけだった。

 遅い時間に医者が戻ってきた。私の右足の傷跡を見て、これはサソリに刺された跡だと言い、全身に毒が広がり、今は心臓を攻撃し続けているので、助かる見こみがないと断定した。そのとき、私は意識がほんの少し残っていた。宣教師も私を諦めて、私が死ぬことを報告するために韓国に電話をした。すると宣教師が「ヨハン、パク牧師だよ。電話に出て。」と言って電話機を渡した。

「ヨハン!ヨハン!私の声が聞こえるか?」

「はい…牧師先生…」

「君はアフリカのサソリに刺された。それで死にかけているって。そこにいる医者も、誰も君を救うことができないと言う。どんな薬や治療でも君を治すことができないんだって。今お前は死にかけている。だけどお前に生きられる道があるんだ。だからお前の体の中に入った毒に勝つ力が必要だ。お前に新しい力が入れば、お前の中に入った毒に勝てるよ。私は牧師だから毎日聖書を読む。今朝も聖書を読んだ。イザヤ書40章31節のみことばだった。『しかし、主を待ち望む者は新しい力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』ヨハン、お前は今、サソリの毒に負けているよ。でも、聖書にはあなたが主を待ち望むと、新しい力を得ると書いてあるんだ。だから神様を待ち望まなければならないのだ。聖書は神様のみことばだ。神様のみことばの中には君の体の中にある毒に勝つ力が十分にある。お前はこのみことばを心に受け止めてくれればいい。聖書はただの一度も私に嘘をつかなかった。神様はすべての約束を守る。お前がただ神様を待ち望めば、神様が新しい力をくださるはずだ。神様の新しい力がお前に臨めば、その毒は何でもない。死さえも何でもない。神様だけ待ち望みなさい。神様の助けの御手を待ちなさい。分かったか?」

「はい…」

「どんな話か理解できたか?」

「はい…牧師先生…」

 話が終わり、牧師さんが祈ってから電話を切った。牧師さんと電話する前には生きていけるという望みが全くなく、ただ死だけを待っていた。ところが牧師さんのみことばを聞いてから私の心に希望が起こり始めた。医者も看護師も私が生きるなんて言わなかった。私の周りの人たちも私がもう死んだかのように私を見ていた。私自身さえ生きられる力が全然なかった。しかし牧師さんは、私が生きると言いながら、私に神様のみことばを話してくださった。みことばを聞いて私は選択した。本当に生きたかった。私の生きられる道は、主を待ち望むほか道がなかった。私はどうやって主を待ち望むのか、どうやって神様を仰ぐのか分からなかったが、その他には道がなかったので、みことばの道に行くことを心に決めて、そのみことばを心に受け入れた。そして切実に神様を待ち望みながら神様に求めた。

「父なる神様。どうか私を助けてください。私に新しい力をください。」

そのように心で神様を待ち望みながら眠りに入った。

 何時間も過ぎた。明け方に看護師が救急室を見て回りながら私がいる所に来た。すでに死んだものと思って私を見たが、私の心臓の鼓動がますます高くなっていたと言う。血圧も上がり、体温も上がっていたのだ。あまりも驚いて医者に駆けつけて話すと、医者も来た。

「これはとんでもない。 どうしてこんなことが?この患者は復活している!」

 朝早く目が覚めた。生まれて初めてすごくすっきりして全身に力も出た。周りを見回すと、病院だった。体がとても軽くなっていて前夜に何が起こったかさえよく覚えていなかった。ところが、急に大便の臭いがしてきて体を洗いたくなった。しかしここは病院だったし、ある兄弟が私の足の横でうつぶせになって寝ていた。それで足で‘トントン’と叩きながら起こした。


 彼は「大丈夫なの?」と叫んだ。

 私が「大丈夫だから早く洗いに行こう。」と言うと、兄弟が怒って言った。

「先輩、昨日何が起こったか知ってるの?先輩は昨日、死んでいたよ。覚えてない?今早く洗いに行こうって?私が先輩せいでどれだけ苦労したのか知ってる?」

 そうして私は生き返った。周りからは、私が復活したと言われた。医者が医療過程を記録しなければならないと言うが、自分たちは何もしていないし、何をどう書いたらいいのか分からないと言った。私はそこにイザヤ書40章31節のみことばを書きたかった。医師は、このようなことはありえないことだとし、あなたたちが信じている神様が助けたと話した。そしてサソリの毒から生き延びたため、毒に対する免疫ができてサソリの毒で絶対に死ぬことがないと言った。神様に感謝と栄光をささげた。    

 そうやって体は生き延びたが、もう一つの問題が私を待っていた。毒のせいで右足が腫れて炎症ができ始めたのだ。病院では抗生剤を投与して軟膏を塗ったらいいと言われて大きく心配していなかったが、2週間が経つと、状態がますます深刻になった。後で知ったが、足が腐っていた。病院では、足を切断するほか方法がないとし、大変申し訳ないと言った。言葉を失った。死から生き返って感謝したが、再び心に絶望が訪れた。

 そのとき、神様は私に再び恵みを施した。私の話を聞いたある韓国人の方が、自分が知っている国連病院を訪ねて、私の状況を話してくれたのだ。国連病院には民間人は出入りできないが、院長が彼の頼みを聞いてくれた。しかし、その医者も私の傷を見て怒りながら、こんな状態になるまで、なぜ今まで何もしなかったかとし、一刻も早く足を切断しなければならないと言った。片足だけで生きることは想像もしなかった。私は絶対に足を切ることはできないと言った。しかしそうするためには腐った部位をえぐり出すしか道がなく、心臓が4回も止まったことがあるので、麻酔はできないと言った。そうして1日に足の腐った部位を少しずつえぐり出す手術を受けた。麻酔なしで足の肉をえぐり抜く苦痛は何とも言えないほど残酷だった。あまりの痛さに耐え切れなかった。しかしそのときも神様がイザヤ40章31節のみことばをもう一度思い出させてくれた。

「しかし、主を待ち望む者は新しい力を得…」(イザヤ書40:31)

「神様、私を死の中でも生かしてくださったのに、どうしてこんな困難がまたやってくるのですか。本当につらいです。神様、どうか助けてください。とても苦しいです。」

 私が神様を待ち望む間、また新しい心が私に流れてきた。

「わたしがこのことをお前にするのは、わたしがお前と一緒であることを見せたいからだ。お前を通してわたしの力を見せたい。ずっとお前を助けてあげたい。このことを通して栄光をもらいたい。」

「神様が私と一緒におられ、私を助けて守ってくださるのなら、神様が私の足もきれいに治してくださるはずだ。」

 医者は手術をしながら何度もやめるように言ったが、私は神様から与えられた望みを抱いてずっと手術を受けた。外部の人たちとも面会もできなかったため、1か月以上、一人で病室で過ごした。しかしパク牧師さんが話してくださったみことばが私の心を癒し、毎日新しい力をくださっていた。その時間がとても嬉しくて感謝した。すべての手術を終えて医者が言った。

「悪いけど、皮膚をあまりにも多くえぐり出したので、今後、ちゃんと歩けるかどうか断言できません。」

 しかし、神様は約束どおり、私の足を治してくださった。時間が経つと足首に新しい肉が出始め、最初はあまりの痛みで歩くことができなかったが、その後は正常に歩くことができた。神様の大きな恵みに驚き、感謝した。


 アフリカから帰った後、福音のために生きたかった。しかし、教会の導きを受けることができず、再び教会を離れた。再びむなしく苦しい時間が始まった。その生活が10か月ほど過ぎた頃、長兄が訪ねてきた。長兄は私と交わりをしようとしたが、私が聞かなかったので、パク·オクス牧師に電話をして、牧師さんが直接交わりをしてくださいとお願いした。パク牧師さんは私に、最近どう過ごしているかを聞いて、「 ヨハン、私たちは福音のために生きるべきではないか。」と言った。そのとき、突然「私はここで何をしているの?」という思いがし、福音のために暮らしていたときにとても幸せだった思い出が浮かんだ。牧師さんは私に、韓国に来たら福音のために生きられるように道を開いてくれると言って電話を切った。通話が終わって職場に出勤する間、涙があふれ出た。

 自分が偉いという考えを折ることができず、教会を去った者なのに、そんな私を牧師さんが受け止め、抱きしめてくれることが理解できなかった。しかしそのとき出会った牧師さんの心に私の心はすべて溶けた。それがきっかけで私は教会に戻り、2011年2月に韓国のマハナイム宣教学校に入学した。そして31歳で軍に入隊した。2年間の軍服務を終えて2013年8月にアメリカに宣教師として派遣された。ニューヨークで1年間を過ごして、今はLAグッドニュース中央教会で牧会をしている。

 アメリカでは毎年9月になると、グラシアス合唱団が全米を回りながらクリスマスカンタータ公演をする。そのとき私は舞台スタッフとして一緒に回りながら恵みを受けている。バスの中で丸まって寝ながら1か月間、全国を巡回したら疲れるときもあるが、その度にパク牧師さんが宣教師たちに伝えてくださったみことばが新しい力を与えている。そして、自分の人生を福音のためにささげて生きている方々を見て、神様が私の人生もそのように導いてくださるという望みを持つ。クリスマスカンタータ巡回公演の中で何よりも感謝したことは、市民たちにアフリカで私に働いてくださった神様の働きを証する時間を割り当ててくださることだ。パク・オクス牧師が電話で伝えてくださったイザヤ書40章31節「主を待ち望む者は新しい力を得、」というみことばを私の心に受け入れ、そのみことばの力でサソリの毒に勝ち、新しく生き返った証をするとき、公演場に来た数千人の観客たちが驚いて、皆か拍手をしながら心を開いた。そしてパク牧師さんが伝える福音を彼らが心に受け入れるのを見ると、驚きであり感謝する。クリスマスのカンタータで福音を伝えるのも、見えないところで働くのも、私が生きてやっているすべてのことがまさに命のための仕事だという事実にも感謝している。私のようにみすぼらしい者に神様ご自身を表して、ご自身の能力をお見せになり、それらを明らかになさったことを思うと、この上なく感謝し、また感謝したい。

 今年はLAで、イースターカンタータと聖書セミナー、そしてキリスト教指導者の会を開いたが、500人を超える牧師たちと教会のリーダーたちが出席した。そして 訪れた牧師たちはパク牧師さんのみことばを聞いてみな驚いている。私も多くの教会を訪ね、牧師たちと人々に、サソリの毒に勝って生き返った証を聞かせると、その度に皆が驚いて神様を称賛し、いつでも自分たちの教会で証をしてほしいと要請した。平日でも週末でも、招待されて教会に行って証をすると、彼らも皆驚いていた。私の証を聞いた人々のうち、病に冒されたある人たちは、神様が自分にも新しい力を与えてくださるのを信じ、病気から心が解放されたと話す。またある人は、自分は長い間、神様のみことばを無視して生きてきたが、自分にも神様が働くという望みを持つようになったと言った。

 私は最近幸せな日々を過ごしている。時には難しいという考えに捕らわれたりもするが、その度にパク牧師さんに会うと、牧師さんが見ている私は、いつも恵みの中にいて、どこへ行っても神様が生きていることを証し、神様に栄光をささげながら幸せに暮らしている人だ。

 暗かった過去の人生を振り返り、アフリカで死んでいくときを思えば、私には最初から何の道もなかった。神様だけが私の道となった。私はすでに墓に入り、腐ってしまったはずの者だ。そんな私をパク牧師さんの心の中にあった神様のみことばが私を生かしてくださった。誰も私に希望の話を言ってくれなかったが、パク牧師さんだけは私に神様のみことばで希望をくださった。神様のみことばは生きている。牧師さんが私に言った。

「ヨハン。サソリの毒からお前を守った神様が今もお前と一緒にいる。そしてお前を助けるから世の中で恐れるものなどない。」

 牧師さんが話してくださったこのみことばが、今日も私を一番祝福された所へ導いてくださっている。神様に感謝と栄光をささげる。