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【日本】「信仰を持って進みなさい。私が働くから!」イエスと心が一つになった日本のオンライン聖書セミナー

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-11-12 23:49
閲覧数
670
自分の思いからイエスの心に合わせた証が続く
オンライン聖書セミナーを通して福音の真理を伝える

パク・オクス牧師の聖書セミナーは、1986年の韓国釜山の体育館で行われた大伝道集会を皮切りに韓国の大都市及び海外と日本でも開かれている。2020年からのパンデミック以来、すべての行事はオンラインで行うことになったので、日本の『2021聖書セミナー』もオンラインで10月24〜28日まで行われた。この間の5月の聖書セミナーは、125カ国661の放送局を通して世界中の多くの人々が福音を聞くことができた。


聖書セミナーで福音を伝えているパク・オクス牧師

60冊余りの信仰書と12冊のマインド書を出版したパク・オクス牧師は、聖書セミナーの主講師として、毎日罪によって苦しんでいる多くの人々に聖書による真の信仰と福音を伝え、人々の心に希望を与えている。

24日からの日本のオンライン聖書セミナーは、御言葉を通して罪から解放されて恵みを受けたアメリカ、南米、アフリカなどの世界中のキリスト教指導者たちの祝辞と証より始まった。


海外のキリスト教指導者の祝辞と証

▶祝辞: アメリカ国際灯台祈り会会長のチン・ロップラー牧師
「18ヶ月前、全世界はパンデミックから攻撃を受けました。このパンデミックは世界中を恐怖に陥れましたが、イエスは私たちに『恐れるな』と言われました。パンデミックの中でも引かなかったパク・オクス牧師にお祝いを申し上げます。彼は福音を止めることなく引き続いて伝え、世界中の私たちがともに聖書勉強ができる方法を見つけました。何よりイエスが私たちに与えられた救いの福音だけを伝えているパク・オクス牧師に本当に感謝します。真の福音を正確に伝える彼のメッセージは素晴らしいです。イエスだけが私たちを罪から救うことができ、永遠の贖いを成し遂げられました。皆さんも是非この恵みを受けてください」

▶証: ネパール国境宣教会のイマン・シン・ブダ牧師
「私は『主よ、私の罪を赦してください』と、ずっと悔い改めの祈りをしてきました。なぜなら、自分が悔い改めていない状態で事故でも遭って死んだら、地獄に落ちるだろうという恐怖があったからです。昨年のコロナ禍の封鎖期間中に友達が一つのリンクを送ってくれました。パク・オクス牧師が御言葉を伝えている映像でした。ちょうど罪の赦しについて述べていました。イエスによって私たちは義と認められたと言い、私たちはすでに罪人ではなく義人だと言うのです。しかし、そのメッセージはそれほどの興味はありませんでした。なぜなら、私たちは罪人だと学び、またそのように教えているからです。それでも、私は一応聞いてみようと思いました。ところが、その後彼が伝える御言葉は私の心にだんだんと響いてきました。ローマ書3章24節にある「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」この御言葉は、私の心に響きました。パク牧師が語る、罪の赦しを受けた人々の様々な例を聴きながらとうとう私の心も変わり、罪の赦しを得ることができました」


グラシアス合唱団の美しい公演


主講師であるパク・オクス牧師

パク・オクス牧師は、ヨハネの福音書11章を通して『信じる人に働かれる神』について語った。「聖書の中で、イエスの御心を発見して、どんな問題でもイエスの心に合わせれば、イエスが働きます。これは信仰において最も重要なことです。少しずつ皆さんの主張を崩し、心から御言葉を信じることがイエスと皆さんの心が一つになることです。皆さんのすべての問題がイエスの問題になり、イエスがその問題を解決してくださいます。

イエスは、ラザロを蘇らせ墓から連れ出す前に、マルタの心の中ではすでに死んでいるラザロを生かしました。ラザロが蘇れば、マルタの心がイエスと一つに繋がります。それは、マルタの心の中で死んでいたイエスが蘇る意味です。(マルタとマリヤの心はすでにつながった後ラザロがよみがえりました。)なので、上記の文は抜いたほうが良いと思いますがいかがですか。どんな問題でも、イエスの心と一つにつながれば、イエスは皆さんにも働くことができます。人々は多くの問題を抱えていますが、そのすべてはどんな問題でも解決できるイエスを信じないため起こる問題です。何よりイエスの御心に合わせることが最も大事なことで、そのときイエスの働きを見ることができます」と述べた。

続いて「私たちの心を変えましょう。イエスは私たちの中に生きておられ、皆さんのために働くことを願っておられます。皆さんもペテロに、パウロに、小さいイエスになり、神の働きを現すことができます。皆さんが一歩を踏み出してイエスの足跡についていき、イエスの御心を受け入れれば、皆さんにもイエスの働きが現れる信仰の人となれます。聖霊は、イエスの働きを私たちから現せることを願っておられます」と強調した。


YouTube 通して知らせたパク・オクス牧師の聖書セミナー

オンライン聖書セミナーを控え、Facebook 、SNS、YouTube などのオンラインを利用して日本全国に広報した。また伝道チラシを持って近くの既成教会や周りの知人、家族に聖書セミナーへの参加を勧めるなど、兄弟姉妹も教会と心を一つにして聖書セミナーを準備した。

[聖書セミナーの参加者インタビュー]


山形教会/佐藤 幸寿

今回のセミナーでは、山形教会が1993年の開拓されたときに罪の赦しを受けて数年間の信仰生活した後、25年間も教会から離れている間、様々な困難やうつ病に苦しむ状況の中で、家の郵便ポストに入っていた聖書セミナーのチラシによって、教会に戻ってきた佐藤 幸寿さんの証を聞くことができた。

「25年前に救われたが教会を去り、長い間教会は休んでいました。ある日、パク・オクス牧師の聖書セミナーのチラシが目に入り、「あ!僕も知っている牧師さんだ!」と思って電話をかけました。その後、新庄担当の牧師さんが私の家まで訪ねて、セミナーへの参加を勧めました。セミナーでは、ヨハネの福音書11章のラザロに関する御言葉が心に入り、心に慰めと力になりました。これからは聖書を学び、信仰生活を続けたいです」


東京教会/パンラット姉妹

「今回の集会でパク・オクス牧師の御言葉を聞きました。ローマ書3章23節で、私たちは罪のために地獄行きだったのですが、ローマ書3章24節には「イエス・キリストによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」と書いてあり、何の価なしに義人となったことを正確に学びました。ヨハネの福音書9章には、生まれつき盲目として生きてきた人が、イエスに出会うと目が見えるようになりました。私も罪と闇の中で苦しんできましたが、今回のセミナーを通して罪の赦しを受けることができて神とパク先生にとても感謝します。そして、東京教会の牧師先生がローマ書5章19節を個人的にその意味を教えてくださいました。アダムの不従順により、私たちの行いとは関係なく罪人になり、イエスの従順によって私たちの行いとは関係なく義人になったことを正確に知ることができました。東京教会の牧師先生にとても感謝します」


東京教会/ティンヤナウ姉妹

「私が田舎にいるときは、仏教信者として神は全く知りませんでしたが、日本に来る前に神のことを聞きました。そして、今回の聖書セミナーでパク・オクス牧師の御言葉を聞いた後、東京教会の牧師がもう一回解いてくださり、罪の赦しを得ることができました。私の行いとは関係なく罪人になり、その罪から逃れることもできないことがわかりました。そしてローマ書3章23節では地獄行きだった私が、ローマ書3章24節ではイエスの贖いのゆえに義人になりました。また、イザヤ53章6節を通しても、自分では解決できないすべての罪を全能である神が、イエスに負わせたことを知りました。今回のセミナーに参加できてとても嬉しく幸せでした。東京教会の牧師と通訳の姉妹たちにも感謝します」


東京教会/林田 秀執事

「私は人生を苦労せず、楽に生きて行きたいと思っていましたが、救われた後もその心を捨てずに生きてきたことに気付きました。自分なりには信仰生活をするつもりでしたが、問題を乗り越えたときに経験できる神の恵みや働きを見ることもできず、いつも負担から逃げることの繰り返しでした。問題の前では深く考えることもなく、適当で心のないかたちだけの信仰生活をやってきた私は、自分の考えを信じていた愚かなピリポのようでした。そのピリポは、確実に知っていることもなく、自分の不足さを知って学ぼうともせず、難しくて大変だと思うと簡単に諦めたりする私の姿でした。私はイエスの御心にも教会の導きにも従わず、自分の思い向くままに生きてきました。パク・オクス牧師の亡き父が救いを受けたときの証は何回も聞きましたが、今回再びその証を聞いて神の働きが少し見えてくるようになりました。不可能のない神が今、私にも働いておられるという心が生じて感謝しました」


東京教会/マナン姉妹

「私は罪の赦しによって生まれ変わるということが理解できませんでした。17年間もイエスを信じても罪人のままでした。ところが、グッドニュース宣教会に出会って学んだ御言葉があります。それは、ローマ書3章23節と24節の『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。』という御言葉です。グッドニュース宣教会では、人間の努力や方法で罪の赦しを得ることではなく、御言葉だけを信じて罪の赦しを得るという福音を伝えています。すべての人に罪があるが、イエスの贖いのゆえに義人になることを学びます。これが一般の教会とグッドニュース宣教会の異なるところです」


東京教会/井上 由紀子姉妹

「私は東京のジョン・グチョル牧師が導く聖書勉強会に参加していますが、今回の聖書セミナーに招待されたので参加しました。もっと多く聖書の勉強がしたくて秋学期のグッドニュース神学校にも登録しました。今回のパク・オクス牧師の聖書セミナーでは、イエスの十字架の贖いにより罪の赦しを得たことをさらに確信できました。神学校の学びが楽しみで、ますます励んでいきたいと思っています」


山形教会/高橋 レア

「今回の聖書セミナーに参加してとても幸せでした。二日目、ヨハネの福音書5章の38年もの間、病気にかかっている人の御言葉を聞きました。神は、ベテスダ池の周りの人々をふたつの部類としてご覧になり、恵みのイエスを求める38年間も病気にかかっている人と自分の行いと努力に期待する人々です。
私は38年間も病んでいる人のようではなく、自分に期待する病人たちと同じでした。私は自分の行いや努力を好み、それに慣れていました。問題などが発生すると、真っ先に『私はどうすればいいだろう?』と思うのです。今回、神が私の姿を現し、行いから恵みの方へ、自分を頼る心からイエスを頼る心へと導いてくださり、平安を得ることができて感謝します。イエスの恵みを得るためには、自分への期待を終えなければなりません。知識だけではなく、生活の中でも信仰で生きるように導いてくださる神に感謝します。また恵みの世界を教えてくださった神のしもべと教会にも感謝します」


九州教会/キム・インスン姉妹

「昨日はヨハネの福音書9章の御言葉を聞きました。生まれつきの盲目だった人がイエスに出会うと目が見えるようになり、その人生が変わりました。私の様々な問題もイエスに移され、十字架で私の罪が贖われたように、私の問題もすでにイエスが解決されたと信じるようになり、とても幸せでした。
ある一般教会の牧師は、牧会をしてきた長い間、罪の解決ができず苦しんだが、今回のセミナーで罪の赦しを得てそれまでの恐れが消え去り、神の御心を知ることができてとても幸せだと証をしました。その証を聞いて同じ職場の先輩を思い出しました。その先輩は『純福音教会』という教会に通っていますが、罪に関して質問すると、毎日犯す罪のために悔い改めの祈りをしているそうでした。私は救われた証とともに、イエスが十字架で贖われた罪の中には先輩の罪もあるから、すでに先輩の罪は赦されたと福音を伝えました。しかし、元の罪は贖われても毎日犯す罪は悔い改めるべきだと言うので、とてももどかしく思いました。毎日聖書をノートに書き移すことや一生懸命に神学の勉強をしても、真の福音は受け入れず、神とはまったく関係のない彼女の行いをみて、今の私はどれほど祝福された者なのか、改めて気づきました。その後も何回か福音を伝えようとはしましたが、私を警戒して心を閉じているので、今は先輩のために祈るだけです。ちりのような私に神の知恵によって、罪の赦しを得ることができ、盲目だった人が変わったように、私の人生もイエスとともに生きるように導いてくださった神に感謝します」


名古屋教会/大村 弘明兄弟

「昨日、4人のツァラアトに冒された人に対して聞きました。その4人のツァラアトに冒された人が町の門の入口に座り込んで、「たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」と言った彼らは、アラムの陣営に向かいました。行く途中で彼らがやったことは、転びながらやっと歩いたことだけでしたが、神は彼らの姿とは関係なく、アラムの陣営で働かれました。彼らがアラムの陣営に到着して見ると、なんと、そこには誰もいなく、 金や銀や衣服や食べ物が溢れるほどあるので、食べたり飲んだりして神の働きを経験しました。この御言葉を聞いて、名古屋で暮らしている私も、彼らと同じく何の誇ることのない者ですが、主に頼って福音を伝えるために足を踏み出せば、私にも神が働かれるだろうという心が湧きました」


ZOOMを通して聖書セミナーに参加した人々

主講師であるパク・オクス牧師は、「救われることは行いによるのではなく、神の恵みと祝福と賜物である」と語った。イエスによる福音を聞いた参加者たちは、祝福されたキリスト人だ。すべてのことに主がともにし、生きておられる神が今回の日本の聖書セミナーにも働いてくださった。神が聖書セミナーを通して新しく繋がれた人々を祝福し、その心も導いてくださることに期待する。