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「日本」<夏の修養会> 観念を捨てて福音を伝える日本の教会

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-08-16 18:49
閲覧数
1465


最終日の修養会の朝となった。皆で一緒に歌う讃美歌の時間の後、午前の修養会が始まった。
今日も午前AとBの御言葉、アカデミー、グループ交わり及び文化公演とグラシアス合唱団の合唱が準備されている。最終日の修養会の御言葉を通して聖徒たちの心に残るたくさんの証が期待される。

[午前A 新井牧師]

グッドニュース・埼玉教会の新井牧師は、第一コリント1章26節から31節までの御言葉から始め、「私は朴先生の導きで牧師になりました。教役にあたっては常に負担感が付きまとっていましたが、歩んでくる中でたくさんのことを学ぶことができました。特に若い短期たちとカンタータツアーを共にし、一緒に生活をして信仰を学びながら、彼らが自分の考えを捨てて自分の限界を超えて変わっていく姿を見ました。同じように私も負担を乗り越えるしかなかったです。
私は自慢するつもりはなくても、気がついたら自慢をしているときがあります。それは自分が正しいという思いがあるからです。そんな悪な自分の姿も見せてくださいました。
昔自動車レースをしていた時、節制自制し、仲間に助けられ知恵をもらって賞を得たことがあります。しかし今、私たちは朽ちる冠ではなく『朽ちない冠』を目指して走り続けるのです。
修養会もイエスが導き、たくさんの御言葉を聞く機会を与えてくださいました。御言葉を受け入れ今日一日も導かれることと信じます」

[午前B イ・ハンギュ牧師]



グッドニュース・ウォンジュ教会のイ・ハンギュ牧師は、出エジプト12章15節の御言葉を通してパン種を取り除く信仰について話された。
イスラエルの民は過ぎ越しの祭りの小羊の血を塗ってエジプトから出たが、民の心と生活は違ったと言い、私たちは救われたものの、私たちを救ってくださった主を信じて従うのではなく、人間的なことを許し肉に流されてしまっている間に霊的な感覚がなくなり、サタンに引きずられる生活するしかないと伝えた。
「パン種は人間的な方法、考え、知恵を言いますが、私たちが救われても人間的な方法を捨てなければ、教会を導く神から切り離されてしまいます。私たちは教会と一つのかたまりにならなければなりません。心の中のパン種を取り除き、純粋な御言葉のパンで生きるようにお願いします」

「午後のプログラム、アカデミー」

最終日のアカデミーの時間には、短期生活を主題にした大阪の短期たちの日常生活を映像で見た。日本に派遣された短期たちが教会での生活を紹介し、料理とダンスを学ぶ日課を映像で見せた。大阪教会のイ・ウォンヒ牧師夫婦が短期たちに送った映像の手紙から温かい感動が伝わった。

「グループ交わり」



午後のグループ交わりの時間になった。聖徒たちは心の重荷や問題などを自由に話す時間をもった。証とともに各グループの担当牧師の御言葉を聞いて聖徒たちは心に力を得た。

「ルカの福音書13章6節から9節までの御言葉で、いちじくの木が実を実らせなかったため、切り倒してしまいなさいと言われたとき、番人が答えました。今年一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って肥やしをやってみますから。私たちは切り倒されるしかない者ですが、番人であるイエス・キリストが私たちとともにおられるため、切り倒されることがなく教会の中にいられるのです。」

「夜のプログラム」




南太平洋のダンスとアメリカのキム・ユンオク姉妹の癌がいやされた証を聞く時間

 




グッドニュース山形教会のイ・カンウク牧師の祈りとグラシアス合唱団の合唱を聞く時間

引き続きグッドニュースカンルン教会のホン・オユン牧師の御言葉があった。



ホン・オユン牧師は「希望」という主題で使徒の働き11章19節から26節の御言葉を伝えた。
「神を離れた人は自分なりの善悪の基準を持って生きています。日本人も真実で真面目な部分があるから、人々はそれを善だと思うのです。何の理由もなく人を殺したり被害を与えたりするのは悪だと思います。しかし聖書で話す真の善は何かと言えば、真の善なる方は神お一人なので人間が神とつながるとき善だと言います。真の善は神とともにすることです。人間の考えと観念と基準を捨てた人たちが伝えた福音によって造られた教会がアンテオケ教会です。どんな手段と方法によっても救われる道がなかったのに、イエス・キリストによって義とされ、聖なる者になり全うされました。生活の中でも固定されている皆さんの観念を壊してみてください。
できないと思うときに神もできないだろうか、イエス・キリストもできないだろうかと思ってみてください。アンテオケ教会は考えと観念を捨てて福音を伝えた人たちの教会です。日本も多くの人が福音を聞いて神に立ち返り、日本から宣教師を派遣するアンテオケ教会のように、自分の観念を捨てて福音を伝えるようにお願いします。主がともにし、多くの人が神に立ち返るように祈ります」




夜の御言葉が終わった後、各自の家で準備したパンと杯をもって聖餐式を行った。


その後、最終のグループ交わりの時間があった。最終日の夜の御言葉を聞き、聖徒たちはアンテオケ教会のように福音のために自分の人生をささげたいと言った。聖徒たちは修養会を通して受け入れた信仰と希望を話した。

「インタビュー」
「私は今日から聖書を読もう、友だちに福音を伝えよう、教会に行こうと覚悟をしますが、結果的にはできないまま終わるのがほとんどです。ところがホン牧師は伝えました。『多くの人はやればできると思い。成功すると期待しますが、特に信仰生活は自分の覚悟と決心でできるものではありません。アダムから私たち人間は罪の種をもって生まれたから、私たちは神を喜ばせることができません。
イエスは神の方法でかめの水をぶどう酒に変えたり、死んだ人をよみがえらせたりしました。聖書はすべての人間は間違っていて、無能な者だと言っています。なぜ私たちが罪人ですか。善になる機能を破壊されたためです。善なる方は神お一人です。ですから私たちが努力しても無用です。私たちを導いてくださるためにイエス・キリストがこの世に来られました』
この御言葉を通して今までやればできるという自分の方法で生きようとした自分の心に気づきました。そして自分の覚悟や決心ではできないことがわかりました。信仰生活やいろいろなことに対して『やりたくない』という負担がありましたが、今回の修養会を通して神に頼って一歩進み、神の方法で働かれる恵みで生きることを学びました」(東京 上田 聡)

「インタビュー2」
「私が信仰生活をする中で一番難しかったのは、肉の思考方式を克服することでした。状況や自分の心に従う場合が多かったです。ヨハネの福音書11章にはラザロに対するイエスの心とマルタの心は異なりました。イエスの心にはラザロが寝ていましたが、マルタの心にはラザロが死んでいました。マルタはイエスと会って会話をしましたが、イエスの御言葉よりも自分の思考方式と方法を主張しました。マルタの信仰を神は喜ばれませんでした。ローマ人への手紙4章に登場するアブラハムは神を信じ、神はその信仰を義と認めてくださいました。
神の御言葉をありのまま受け入れることと、自分の考えを加えて受け入れたことの決定的な差は心です。修養会を通して聞いた御言葉の恵みはマルタのような信仰からアブラハムの信仰に心が移る貴重なきっかけとなりました」(東京 ナン・センホン)

神が日本で福音の門を開かれ、信仰の門も開かれている。神が日本の教会がアンテオケ教会のように宣教師を派遣する教会になるように導いてくださるという希望が生じた。日本の聖徒たち一人一人が観念を捨てて福音を伝えるクリスチャンになることを願う。