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【2023年 新年の辞】「きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。」

投稿者
goodnews2
投稿日
2023-01-14 19:44
閲覧数
37
彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」 (列王記Ⅱ7:9)


私は1962年に救われました。誰一人私を導いてくれる人もなく、罪のゆえにさまよって苦しんだ末、聖書の中に私の罪が赦されたということを知りました。本当に夢のような話でした。神様が私のような者に神様の御心を伝えようと聖書をお与えになったのですが、私は多くの説教を聞いて聖書を読んでも依然として罪人でした。
1962年10月7日の秋でした。神様は私の暗い心に御言葉が入って主が光と光栄になることを望んでおられました。しかし私はサタンに属していたので聖書を読んでも私の罪が赦されたということは全く知りませんでした。
1962年10月7日未明に聖書で私の罪が赦されたと言うことを悟りました。どうして神様がそう働いたのかは分かりませんが、『私の罪が赦された!』と悟り、私の罪が赦されました。
その時から、私が通っていたソンサン教会で罪の赦しを得たことを話し始めました。
「牧師さんも罪人だと言って長老も罪人だと言うのに、偉くも裕福でもなく学歴も浅いやつが何を言うんだ!」皆そのように話していました。しかし、私の心にはイエス様の血によって罪が赦されたことは確かなことでした。
ある日、牧師さんは私が日曜日に車に乗ったので聖餐式の参加を禁じました。
「牧師先生、どうして聖餐を禁じるのですか。」
「主日に車に乗る罪を犯したから聖餐式には参加するな。」
『牧師先生の娘さんは?』
牧師の娘はテグで学校に通っています。そのため日曜日の昼食を食べてから、車に乗ってテグに行き、土曜日になるとまたソンサンに帰って来ます。しかし私は車に乗るお金もないし、たまたま他人の車に一度乗っただけでした。それで『牧師先生の娘さんは?』と叫びたかったのですが、そうすると牧師の立場が困るかと思ってその言葉は言えませんでした。それから私は教会で除け者にされました。
ある日、教会の青年たちが集まっている部屋に入ろうとしたとき、中から私のことを話しているのが聞こえました。
「パク・オクスは本当におかしいやつだ。私があいつのことをよく知っているのに、自分に罪がないって?」
そうです。彼らは私が自分たちと悪い事を一緒にしたから私をとてもよく知っていました。それでも私は罪が赦されたことを確実に信じました。本当に感謝しました。彼らに除け者にされていたその頃、私は宣教学校に入りました。そして宣教学校を卒業しましたが、私を呼んでくれる人が誰もいませんでした。仕方なく私は知り合いが一人もいないアプコットンに行き、そこで9ヵ月を過ごしました。その間、神様が私を養ってくださいました。一度も人々には頼らず、盗みもせず、9ヵ月を生きられたのがとても不思議でした。
時にはその村で開かれる市場に伝道に行く途中、小便をするために道の端を歩くと、その下に赤くなったイチゴがたくさん実っていました。まるで誰かが栽培しているかのようにたくさん実っていました。夢中でイチゴを取って食べる間に市場が終わってしまったこともあります。神様の御言葉が私の心の中に入ってきて以後、私がどんなことに遭ってもどこへ行っても神様はいつも私と一緒におられました。

列王記Ⅱ7章を見ると、
エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」
しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」
皆さん、列王記Ⅱ7章は本当に神秘的です。町の門の入口に座っていた四人のツァラアトに冒された人たちが、
「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。
たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」
今までツァラアトに冒された人たちは自分の考えに従って生きましたが、神様の御心が彼らの心に入った後は神様の御心が彼らを導きました。神様の知恵が入ると、彼らはこう言いました。「ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」
一度も考えたこともなかったのですが、神様の聖霊がそんな心を与えて彼らは行きました。
特に、9節にこんな御言葉があります。
「彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
ツァラアトに冒された人の話は私たちの話です。多くの人が福音を知りながら黙っているから、神様が私たちの心に「王の家に知らせよう」とおっしゃるのです。しかし彼らが行って伝えても、初めは誰も信じませんでした。神様は飢え死にしているサマリヤの人たちを救うためにツァラアトに冒された人たちを遣わしましたが、先に彼らのお腹を満たしてあげて、神様がどのように働いているのかを見せた後、彼らを遣わしたのです。
「私たちの話を聞いてください。」
「何だ。ツァラアトに冒された人たちじゃないか。」
「アラム陣営に入ってみると、そこには誰もおらず、天幕や食べ物もそっくりそのままでした。」
王が夜中にそれを聞いて
「それはアラムが私たちを騙すための戦略だ。私たちが出たら捕まえようとしている。」
王は飢えていないからそんなことが言えるのです。
「馬に乗って一度行ってみましょう。」
アラム陣営に行ってみたら、本当に食べ物がいっぱいありました。



これは私たちの救いに関する話です。救われる前の私たちは罪の中にいましたが、神様の御言葉が私たちの心に入ってきました。ツァラアトに冒された人たちも町の門の入口に座っていただけですが、神様の御心が入ってくると、今までにはなかった新しい生命、新しい考えが一つ入ってきました。
「ここにいれば死んでしまうだろう。町中も飢えているので誰も食べ物を持ってきてくれるはずがない。」
「そうだね。アラムの陣営に行けばそこには食べ物がある。もしかしてご飯を食べるのを見ることだけでもできる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」
彼らはそう考えながらアラムの陣営に向かいました。
教会の兄弟や姉妹たちを見ると、いくら話しても福音を受け入れない人がいます。そして福音を受け入れても、ただ町の門の入口に座っている人がいます。しかしイエス様の新しい聖霊は私たちのうちに入ってきて、私たちを昔の人ではなくイエス様のような人にさせようと私たちのうちで働いておられます。その御言葉が私たちの心に入って働けば、福音を伝えずにはいられません。
私がタンザニアに行ったとき、2千人余りの人がこのような大きなホールにたくさん集まりました。しばらく御言葉を伝えていると、突然3~4人が席から立ち上がって踊り出しました。何事かと思って見たら、彼らは喜びのあまり踊っていたのです。福音を伝えたら胸が熱く感激するときがとても多いです。牧師や長老たちが救われ、喜ぶ人々が今私たちの周りにとても多いです。
今年もキャンプを開催すれば海外からたくさん来ると思います。その方々の願いは韓国に一度行くことです。彼らは韓国に来て1週間や10日ほど滞在しながら福音の中にある世界を見てとても驚いています。
神様は今も多くの人に福音を伝えることを喜んでおられます。しかしこの福音が聖書に詳しく記録されていてもサタンが人々の目を隠しているので、教会に熱心に通いながら十分の一の献金をささげ善を行っても、神様の声ではなく自分の考えに従って生きる人がとても多いです。

ある日、ツァラアトに冒された人たちが悟りました。「ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」
神様は彼らの心をアラムの陣営に導きました。そして彼らは足を引きずったり倒れたりしながらアラムの陣営に向かって歩き出しました。それは世界で最も美しい歩みでした。
皆さん、かばんの中に小さな聖書を一つ入れて持ち歩いてください。いつでも聖書を開いて福音を伝えてみてください。車の中でもどこでも。そうすれば神様の恵みの御心が私たちを通してその人を変えてくださるのを見ることができます。本当に感謝します。

先日、私たちはアメリカでカンタータが始まる前にキリスト教指導者フォーラムを行いました。牧師たちに3時間前に予め来てほしいと言いました。そして彼らに2時間ほど福音を伝えました。その後、ハンバーガーを一つずつ渡しました。そしてカンタータを観るときはロイヤル席、つまり一番良い席を提供しました。そのようにしてアメリカの牧師たちと親しくなり、その方々のほとんどが救われました。
神様は四人のツァラアトに冒された人たちに新しい心を与えました。
「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここに座っていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。」
神様がツァラアトに冒された人たちに新しい心を与えたのです。
漠然と町の門の入口に座って
「あぁ…お腹すいた。」
うとうとしていた彼らに新しい心を与えました。
「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。」
彼らは神様に導かれてアラム陣営に向かいました。アラム陣営に行ってみると、驚いたことに、アラム人が誰もいなかったので彼らはお腹いっぱい食べて飲んで楽しみました。列王記Ⅱ7章9節を見ると、
彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
ツァラアトに冒された人たちは空腹や貧しさだけを考えていましたが、神様の聖霊が彼らの心に新しい心を与えたのです。
「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。」
1962年10月7日、私も以前は持っていなかった心をいただきました。それまでの私は罪を犯して盗みや嘘をついていたので罪人だと話していました。その時、ある新しい心が私の心に入ってきました。『私が罪人であることは確かだが、イエス様が十字架につけられて死なれたことで私の受けるべきすべての罪の罰をイエス様が代わりに受けた。そのため、私の罪が洗い流され、私は義と認められた。』それを信じるようになったのです。
もちろんその後に困難なことや問題もありました。しかし私が立派な牧会やそれができる資格がある人ではありませんが、神様が福音を伝える間に道を開き、全世界の人がこの福音を聞いて救われるように道を開いてくださいました。



ツァラアトに冒された人は自分たちのことしか考えていませんでした。そのため漠然と町の門の入口に座っていたのです。ある日、神様が彼らに神様の心を入れてあげました。彼らが神様の心で自分たちを見ると、今まで町の門の入口にいることがいいと思っていましたが、神様の御言葉が入ってきてからは自分たちのすることが愚かに見えました。「王の家に知らせよう。」「福音を伝えに行こう。」
このことです。神様が皆さんの心の中にこんな心を起こし続けます。皆さんが神様に導かれると福音を伝えたい心が生じます。皆さん、その心に導かれて福音を伝えれば、その後の数々の問題を全て神様が解決してくださいます。
私を拘束しようとする悪い人たちによって裁判も受け、他にも様々なことを経験しました。 検事は金曜日の朝10 時から夜 10 時まで私を尋問し、そして月曜日に裁判を行っていました。しかし金曜日の夜に検察庁を出たら銀行に行って通帳の残高整理や裁判の準備がまったくできませんでした。担当の検事が故意にそのようにしたのです。ところが、検事の義母が急に亡くなって検事が葬儀を行わなければならなかったので、仕方なく裁判の日程が延期されました。そのおかげで私たちは裁判に向けて準備をすることができました。
神様が細かい部分まで私たちを導いておられます。皆さんが適当に生きているようでも、もし皆さんが神様の声を聞けば、その時から神様が皆さんを導きます。「もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」アラムの陣営に行った四人のツァラアトに冒された人たちがサマリヤに行って福音を伝えました。彼らの心には神様の御言葉が込められていました。彼らが町に行って知らせると、民たちが馬車や馬に乗ってアラム陣営に行きました。その日の夜、アラム人は美味しい鍋料理を食べようとした矢先に、大きな音が聞こえてきたので皆逃げてしまい誰もいませんでした。民たちはアラムの陣営に着いて美味しい料理を食べました。何日も飢えていた彼らがどれほど幸せだったでしょうか。
御言葉どおり、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルになりました。このように、神様の恵みを聖霊が悟らせるとき、それに気づいて主の福音を伝え、また私たちの罪が贖われたことと私たちが義とされたことを伝えられるように神様が働いてくださいました。
ところが、本当に多くの人がまだ人間的な考えに溺れて負担に思っています。負担になるなら一度やってみて、2回、3回、10回、100回ほどやってみれば全く負担にならないと思います。100回まで行かなくても5回だけでも大丈夫です。しかし多くの人が罪の赦しを得ても何もしないでそのまま生きている方が本当に多いです。

2023年からは私たちも叫びましょう。神様が私たちをそのように導いておられます。おそらく、サマリヤの門の入口には、四人のツァラアトに冒された人たちを記念する銅像が建てられたかもしれません。私たちを救ってくれた本当にありがたいツァラアトに冒された人たち。彼らは人々に無視されて蔑視される人でしたが、神様の聖霊に導かれて生きている間に愛する彼らが民となり、家族となったことにとても感謝します。
神様は今も、私たちの心の中に福音を伝えるようにしきりに話していらっしゃいます。皆さんが神様の声を殺しているからであって、神様の御言葉に従って生きていけば不思議なことに、皆さんを通して神様の働きと救いの働きが起きます。
そこに到達すれば、その時からは私の人生を私が導くのではなく、主がすべて導いてくださいます。困難や苦難、また病気になってもです。私は主と共に生きる間、病を患って困難があっても、すべてを勝ち抜いて神様の恵みで幸せに暮らしています。
この地球には多くの人がいますが、この救いを大まかに知っている人は多くても正確に知っている人はいません。私たちによって世界中に福音が伝わったら、神様が皆さんをどれほど尊く見てくれるでしょうか。神様が救おうとする人のところに私たちが行って福音を伝え、彼らが救われて喜べるように、絶え間なく私たちの中にその心を起こします。ところが、私たちの中には心が暗くて何もしない人がとても多いです。
「彼らは話し合って言った。『私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。』」
ツァラアトに冒された人たちがこのように話し合いました。そのおかげでサマリヤのすべての人々の命を助けることができました。
私たちもこの時代においてツァラアトに冒された人たちです。私たちが口を開けば神様が働きます。私も最初に一度、そして二度、そして何度もそうしましたが、続けて福音を伝えるうちに救われる方が増えてきたのでとても嬉しかったです。
新年には皆さんが個人的に伝道をして救われる働きが起きることを願い、一生この福音を伝えながら主の前に立つ皆さんになれば、それ以上の祝福はなく、栄光に満たされると信じます。神様の御前に感謝を申し上げます。
神様は2023年、皆さんをこのツァラアトに冒された人たちのように、尊いしもべにしたいと計画しておられます。
町の門の入口に座っているツァラアトに冒された人たちがイスラエルの民を救う人になるとは誰も想像しませんでした。これから神様の御言葉に従い、神様と共に歩むことを願い、2023年は皆さんの心をいつも神様が導き、祝福してくださることを願います。
ありがとうございます。

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