信仰の手引き(日本語)

御言葉を捨てたサウロ

Author
goodnews2
Date
2025-01-19 21:05
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817


神を信じることにおいて最も重要なことは自分の考えを捨てて御言葉をそのまま受け入れることです。自分の考えを少しでも加えて神と異なる心を持つとき、神は私たちと共にすることができません。それで神は自分の考えに従ったサウロと捨て、サウロはイスラエルの王だったけれど悲惨な死を遂げました。

自分の考えに従ったサウロ王
B.C.1,000年ごろ、神はサウロをイスラエルの初代王として立たせました。サウロが王になって何年か経った時、預言者サムエルがサウロのところを訪れました。
「主はあなたに油をそそぎ、その民イスラエルの王とされた。今、主の言われることを聞きなさい。今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」
サウロは20万人以上の軍人を集めてアマレクを攻めました。そしてアマレクの王アガクをいけどりにし、民たちは殺しました。
しかしアガク王を生かしておいて、羊や牛の中で肥えたものは残しておきました。それを見て神がサムエルに言われました。
「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」
サウロは自分の目に良いものを残しておきました。なぜそうしたでしょうか。サウロは神とは心が違いました。もしサウロの心が神の御心と同じだったなら、『この小羊は太って良いな。殺すにはもったいない。けれども神様が全部殺せと言われた』と御言葉に従ったはずです。しかしサウロは自分の考えについて行きました。神は自分の考えについて行ったサウロを捨てました。そしてサウロは悲惨な死を迎えました。

御言葉ではなく考えを信じた人々
私が子供の時、朝鮮戦争が終わって韓国はとても貧しく大変でした。家に食べ物がなく、ひもじい幼年時代を送りました。仕方なく友達と一緒に人の畑に入ってリンゴも柿も取って食べました。私は人のものを盗んだ罪のためにとても心がつらかったです。それで早朝の礼拝に出て神に罪を告白して赦してくださいという祈りをたくさんしました。しかし、本当に自分の罪が赦されたのかわかるすべがありませんでした。
それで私は聖書をたくさん読みました。1回、2回と読み続けていたのですが、ある日、聖書の中で神が十字架に付けられた時に世の中の罪を全て洗われたことを発見しました。私の罪が雪のように白くなった事実を悟ったのでした。
その時から私は人々に「私たちの罪が洗われた。神はイエスを送り、私たちの罪を全部洗われ、私たちを義人にしてくださった」と伝えました。しかし人々は相変わらず自分の考えに従って罪があると信じて聖書の御言葉を信じませんでした。




神の判決文
私は2012年にガーナのワールドキャンプに行きました。そこでガーナの大統領と会いました。大統領が私に言いました。
「先生、私はガーナで最も信仰が良い大統領として認められています。しかし私には罪があります。罪があれば地獄に行くのですがそれがとても恐ろしいです」
「大統領が罪人だとどうやってお知りになりましたか」
「私が罪を犯したから罪人ではありませんか」
「そうではありません。ガーナでは罪を犯した人が自分の罪に対して自ら判決を下しますか。罪に対する判決は判事がするものです。このように大統領の罪は神が判決をなさいます。神が大統領の罪について裁かれた御言葉があります」
私はローマ書3章の23節と24節を開いて見せました。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
「この御言葉は罪に対する判決文です。大統領は罪を犯し、その罪において罰を受けなければなりません。しかしイエスが十字架に付けられ死なれたことにより、大統領の全ての罪が洗われました。それで神が大統領を義人だと認められています」
その日、大統領は御言葉をそのまま受け入れて救われました。




御言葉をそのまま信じて受け入れるように
私たちが神を信じることにおいて最も重要なことは自分の考えを捨てて御言葉をそのまま受け入れることです。神の考えと自分の考えが異なる時、自分の考えを捨てて神の御心に従わなければなりません。私たちが神の御心と一つになれば神が私たちの生活の中で働きます。しかし自分の考えを少しでも加えて、神と異なる御心を持つとき、神は私たちと共にいられません。
今日、ほとんどの教会はイエスが私たちの罪のために十字架に付けられたと言いながら罪人だと教えます。もしイエスが私たちの罪のために十字架に付けられたのに私たちが罪人ならイエスが失敗したと言うことになります。しかしイエスは私たちの罪を洗うのに失敗しませんでした。ヨハネの福音書19章の30節に「完了した」と言われながら十字架で亡くなられました。私たちはイエスが言われたことをそのまま信じて受け入れれば良いのです。サウロのように自分の考えについて行かないで、神の御言葉をそのまま信じて従い、感謝しながら喜びをもって生活することを願います。