グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。

「今月の説教」義人になろうとする人と義と認められたことを信じる人

投稿者
goodnews2
投稿日
2021-10-27 18:31
閲覧数
439



神を信じる信仰によって進むしかなかったヨナタン

人が生きている間に安らかなことばかりあるのではなく、さまざまな困難や問題が多い。それは個人も国家も同じだ。昔イスラエルとペリシテの間で戦争が起きた。ペリシテが大軍となりイスラエルを攻めて来た。当時は馬が引く戦車に乗り込んで敵陣に入り、槍を振り回すと多くの兵士を殺すことができたため、戦争で戦車の活躍は大きかった。ところがペリシテの戦車は三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった。
当時イスラエルの王はサウルだった。イスラエルには槍や剣を持っている人たちが少なく、サウルと一緒だった兵士たちも恐れて逃げてしまい、残ったのは600人しかいなかった。国が危機に瀕しているとき、サウルの息子ヨナタンがいた。ヨナタンがいくら考えてもペリシテに勝つということは不可能だった。戦争で負けたら王である父は死ぬはずだし、王子である自分も王位を継げず死ぬことが怖かった。そうだとしてその危機を解決する方法があるわけでもなかった。
そのときヨナタンの心では『私が神の恵みを受ければ、神が私を助けてくだされば、…』と思いがした。ヨナタンはそのときまで信仰によって生きてはおらず、必ずしも神を信じなくても大丈夫だった。しかしペリシテに勝つということは不可能だったため、信仰がなくても神を信じる信仰をもって進むしかなかった。
ヨナタンは、道具持ちの若者に言った。
「さあ、あの割礼を受けていない者どもの先陣のところへ渡って行こう。戦争の勝敗は神の手にかかっている。神が助けてくだされば私たちは勝つだろう。」
「私たちがペリシテ人の前に身を現すと、もしも彼らが、『おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ』と言われたら、われわれはその場に立ちとどまり、反対に『おれたちのところに上って来い』と言えば、われわれは上って行こう。主が彼らを、われわれの手に渡されたのだから。これがわれわれへのしるしである。」
そのようにしてヨナタンが道具もちと一緒にペリシテ人の前に身を現した。するとペリシテ人が言った。「やあ、ヘブル人が、隠れていた穴から出て来るぞ。」と自分たちがいるところに上がって来いと言った。
2人がペリシテ人の陣営に上って行った時神が助けてくださらなければすぐに死んでしまうしかないが、ヨナタンは神が守ってくださると信じたため、道具もちと一緒に岩に上って行った。2人が大きい岩に上ってペリシテ人の陣営に着くと、ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具もちがそのあとから彼らを打ち殺し、ヨナタンと道具もちが最初に殺したのは約20人だった。こうして陣営にも、野外にも、また民全体のうちにも恐れが起こった。すでにヨナタンの信仰によってペリシテ人を退けて勝利を得た。

 

罪を自ら解決しようとすることとイエスの血によって洗えることの差
聖書にあるこのような話は私たちが信仰を持てるように助けてくれる。人々が神を信じるとしても、自ら解決できそうなことは人間的な方法で解決し、神を頼りにして解決しようとしない。しかしヨナタンのように危機が迫り、ダビデのように苦しい状況が訪れたり人間の方法を使えないとき神を求める。私の場合も19歳のとき全く希望がなく、先が見えず神を求めるしかなかった。
私たちの罪を洗うこともイエスがしなければならない。しかし自分が少し大丈夫だと思ったら、真面目に生きようとか十分の一の献金をよくするなど、信仰生活をちゃんとして義と認められようとする方向に傾く。自らの方法で罪を解決して義と認められようとすることと、自分には方法がなく、自分では何もせず、神に委ねてイエスの血によって罪が洗い流されることは天地の差である。
人間の力と努力では罪を洗うことができないため神はイエスを遣わし、私たちのすべての罪がイエスに移されたため、私たちが受けるべき罪の報酬をイエスがお受けになり、十字架の上で血を流して死なれた。イエスが十字架の上で血を流して死んだ理由は、私たちの罪の報酬を代わりに支払ったほかない。
私たちが罪を犯し、何をやっても罪を贖うことはできない。罪の報酬は死であるため呪われて滅びるしかなかった。しかし私たちが受けるべき呪いと滅亡をイエスがすべてお受けになった。そういうわけで、私たちはイエスが十字架で流した血が私の罪をすべて贖ったことを信じ、心に受け入れるべきだ。人々がこの事実を受け入れないために今日も罪のために苦しんでいる。
多くの人々が神に罪を赦してくださいと切に祈っている。
イエスが十字架で私たちの罪を贖ったことを信じて心に受け入れると、私たちの心に変化が起きる。『イエスが私の罪のために死んで私の罪が洗われた。だから私は義と認められた。私はもう義人だ。』心からこのような答えが出る。このように信じてこそ正しく信じることだ。しかし人々は、イエスが自分の罪のために十字架に付けられて死なれたと言いながら自分は罪人だという。だから自分がもう少し善良に生き罪を少なくし、祈りをもっと捧げ、悔い改めて解決しようとする。それは神の御心と異なる人間の思いに過ぎない。

 

私を驚かせたローマ書3章23節と24節
私が19歳の時、罪のために葛藤して聖書を読んだ。ある日祈りをしているうちに私の罪が洗われたという気がして、それについて本当に知りたくて聖書を読んだ。ある日ローマ書3章23、24節の御言葉が私を驚かせた。
23節には「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」と記録してある。23節で、人間は皆罪を犯して神の栄誉を受けることができなかった。ところが24節には「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」と言われた。神が私たちを見て『義と認められるのです』と言われた。
イエスが十字架に付けられて死んで、私たちの罪を贖い私たちが値なしに義と認められた。しかし今日多くの人々が罪人だという。罪人なら, イエスは私たちの罪を償っていないことになる。しかし聖書を読んでみると、ローマ書3章23、24節では義と認めれたとはっきり言われた。私たちがしたことが何もなく、神の恵みにより値なしに義と認められた。
多くの人々が未だに義と認められたことを信じずに、自ら義人になろうとして頑張っている。義と認められようとして頑張るのは義と認められたことを信じないからである。義人になったことを信じないのは、イエスの血が罪を償うことができなかったということで、結果的にイエスを敵対することになる。
ローマ書4章25節では「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」と言われた。イエスが私たちに「わたしがあなたの罪をすべて贖ったためあなたは義人だ。」そうしてこそよみがえられたのに、教会に通う多くの人々が今でも自分が罪人だという。

 

考えが空っぽになった人は、神が義と認めれば自分も義と認められたという
神の御言葉を聞くとき、心を空にしてこそ御言葉が心に入ってとどまる。考えがぎっしり詰まっていると神の御言葉がはいらず自分の心ばかりがある。ローマ書3章24節の御言葉通りに、神が義と認めてくだされば私たちは義人だ。御言葉をそのまま受け入れると私たちが義と認められるのが正しい。ところが人々はそのようには信じない。自分が罪人だと信じる。私たちが神の御言葉を受け入れるために自分の考えを捨てなければならない。水をいっぱい入れたかめには何を注いでも入らない。私たちの心に御言葉を受け入れるため、私たちがもっているすべての考えを下さなければならない。
自分の考えが空っぽになった人は、神が義と認められたなら、そのまま受け入れて自分も義と認められたと言える。反対に自分の考えがぎっしり詰まっている人は、神が義と認められても自分は罪人だという。その人は神を信じる人ではない。自分が良くやったことや、善良なことをすべて後にして御言葉の前に進み、神に義と認められるとき『神が義と認めてくだされば私は義人だ。』と信じるのが正しい信仰である。神が私の罪を洗われたというのなら私の罪がすべて洗われたと信じ、神が私を義と認めてくだされば、私は義と認められたと信じるのが真の信仰である。
ローマ書3章24節の御言葉どおりに、私たちはイエスが成し遂げられた贖いのゆえに、神の恵みにより値なしに『義と認められる』者となった。神が私たちを見て『義と認められるのです』と言われたのなら私たちは義人だ。私たちがこういう信仰をもって神の前に進むとき神が最も喜び、私たちの心が神と一つになって神が働ける。
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