グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。
「今月の御言葉」 ダビデの心に信仰があって
ダビデの心に信仰があって
「このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」(第1サム17:36)
文|パク・オクス(グッドニュースカンナム教会牧師)
第1サムエル記17章でイスラエル人とペリシテ人の間で戦争が起きたとき、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半で巨人だった。頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。普通の人はこのような巨人の将軍とどうやって戦うことができるだろうか。
私たちは神の子である。そのために神の力が私たちを守って下さる。問題は私たちには信じる神がおられますが、目に見えない神だということだ。私たちが信じる神は天地を創造された偉大な力のある方ですが、私たちの目には背の高いゴリヤテは見えても神は見えない。ゴリヤテが勝つか、神が勝つか、もちろん神様が勝つ。しかしながら私たちの目には神が見えないため、私たちは神を信じると言いながらも目に見えるゴリヤテを恐れる。
ダビデがほかのイスラエル人たちと違ったのは
人々は誰でも神を簡単に信じる。然りとて皆神を信じるわけではない。真の信仰を持つことが重要だ。イスラエル人は皆神を信じていた。ところがペリシテ人の陣営からゴリヤテ将軍が戦うために現れたとき誰もが怖がり震えた。そこにゴリヤテを恐れない人が一人いた。その人はダビデだ。ダビデはイスラエルの王サウルにこう話した。
「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」(第Ⅰサム17:34~36)
ダビデが他のイスラエルの人々と違っていたことは、彼の心に神を
信じる信仰があったということだ。ダビデ以外の人々の心には神が守ってくださるという信仰がなかったため、ゴリヤテの前で恐れざるを得なかった。信仰があったダビデは自分の言った通り戦うためにゴリヤテの前に大胆に進み、彼を打ち殺してイスラエル軍を勝利に導いた。
神を信じる信仰は迫る困難に勝たせてくれる
信仰は人の心の中で造られる。ダビデのその心に神の信仰が芽生え始め、芽生えた 信仰がしっかり根付いた。それが他の人と違った。ダビデはゴリヤテとの戦いの前に熊や獅子と戦って勝ち、神が働いてくださることをすでに何度も経験した。だからダビデが思うには、熊や獅子から自分を守って下さった神が共におられるのに、ゴリヤテだからといって勝てないはずがなかった。ダビデの心にある神を信じる信仰がゴリヤテの前に進み、信仰通りにゴリヤテに勝利した。
私たちの信仰生活はこのようなものだ。神を信じる信仰が私たちの前に迫りくる困難に勝つ。信仰がなければ、信仰について理論的にいくら理解しても、問題が迫ってくると恐れるしかない。神は私たちに新しい事を行なう。神を信じる信仰によって足を踏み出せば神が働いてくださる。そのため、私たちもダビデのように最初は小さな問題から信仰をもって勝ち抜けば、信仰が次第に強くなって大きな問題にも勝てる。
ダビデは神を信じて生きていたため、彼の心に信仰が次第に大きくなり、ゴリヤテが現れたときには彼に勝つという信仰がダビデの心にあり、その信仰がゴリヤテの前に堂々と進み神が助けてくださると信じたためにダビデは恐れなかった。そして獅子や熊を撃ち殺したようにゴリヤテを殺して勝利を得た。
救われて神の子となった私たちも小さなことから一つ一つ信仰によって進めば神が私たちと共におられて私たちの前にある問題や対敵に勝てる。はじめから心に信仰があって信仰によって生きる人は誰もいない。ある問題の前で神を信じる信仰によって足を踏み出し、そのとき神が働く経験をしながら信仰が育つ。
神は難事を通して私たちの信仰を育てる
誰でも暮らしの中で難事に遭遇する。ダビデも羊を飼いながら時々獅子や熊に会った。その問題の前で逃げず神に頼って戦っているうちに熊が倒れ獅子が死ぬのを経験する。つまりダビデは多くの危険な経験をし、そのたび神が彼を助けてくれるのを味わった。
誰でも最初は弱くて信仰のない状態で問題と出会う。その都度恐れる。ある時には道が見えなくて『もう私は死にそうだ。』ということに出会う。しかしその時神を頼れば神が御自身の力で私たちが直面する問題と困難を解決してくださる。ダビデのように獅子に勝ち、熊にも勝つ。その都度それは神が成し遂げてくださったと信じるようになる。『今回、私が死ぬかと思ったけど 神が助けてくださったのだ』という経験を一つ一つ得ることができる。ダビデはゴリヤテを殺した後にも多くの困難に会う。絶えずダビデを殺そうとしてサウル王から逃げ続けなければならなかった。結局ダビデはペリシテに行ってツィケラグに留まった。ところがそこでも困難なことに会いアマレク人がツィケラグを攻撃して火で焼き払い女たちと子どもも大人もみなとりこにし、自分たちの所に連れ去った。ダビデとその部下たちが戦争場からツィケラグに戻って来てその光景を見て声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。そうしたからといって問題が解決するわけではない。ダビデの部下たちは妻子を取り戻せないと思い、ダビデを石で打ち殺そうした。
ダビデは非常に悩んで神に伺った。すると神は答えた。ツィケラグを攻撃した人たちに『追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。』ダビデは立ちあがって部下たちを連れて追いかけ、途中で道に倒れているひとりの青年に会った。彼はアマレク人の奴隷だったが、病気になって主人に捨てられた青年だった。彼の話によってアマレク人がツィケラグを火で焼き払い逃げたことがわかった。その青年がアマレク人の住んでいる所を案内できたため、彼について行ってアマレク人たちを打ち滅ぼして妻子たちをみな取り戻せた。
これこそ神の人が歩む道である。私たちは困難に会い、神はその困難を通して私たちの信仰を育てる。それでこの地上には信仰を持っている人が日増しに増える。本当に驚くべきことだ。私たちが信仰を持って神の志に従えば神が働く。ダビデやペテロのような信仰の人たちは神を信じて走り出し、その都度神の働きが起きた。それで堅固な信仰をもつ人になった。