グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。
「今月の説教」ニコデモが謙遜にしていたら
投稿者
goodnews2
投稿日
2021-12-27 20:25
閲覧数
440
新しいいのちを得る機会を失ったニコデモ
ヨハネの福音書3章でニコデモが、夜、イエスのもとに来て言った。
「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
イエスは答えて言われた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
イエスの御言葉にニコデモの答えはこうだった。
「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
ニコデモはイエスの御言葉を受け入れようとはせず、理解できない自分の心を表した。
もしニコデモが謙遜な人だったらこう話しただろう。
「先生は生まれ変わらなければならないとおっしゃいましたが、私は無知でどうすれば生まれ変われるのかよくわかりません。私が生まれ変わらなければならないのなら、愚かな私に教えてください。私も新しく生まれ変わって神の御国に行きたいです。」
ニコデモがこう言ったなら、イエスが彼に生まれ変わる道について詳しく説明してくださったのに。イエスの御言葉を聞き入れニコデモは新しく生まれイエスの心を持つ人となり帰ったことでしょう。
ところがニコデモは心が高く生まれ変わらなければならないというイエスの御言葉が理解できなかった、自分が知らないという心で聞くのではなく、人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。『彼がイエスに訪ね、イエスの説明を詳しく聞き入れていたなら生まれ変わり、どんなに有り難い人生を送っていただろうか…』と思う。ニコデモはイエスが神のもとから来られた教師であることを知っていた。しかし気の毒にイエスを神の御子としては信じる事が出来ず、イエスのおっしゃることを受け入れられなかった。彼が、夜、イエスのもとに来たが、生まれ変わって新しいいのちを得る機会を失いそのまま帰る最大の過ちを犯した。原因は何か、自分自身を信じる高慢な心のせいだった。聖書で『高ぶりは破滅に先立ち』と言う。ニコデモが果してイエスより優れた人なのか、そうではない。それでもイエスの御言葉よりも自分の考えをより信じて新しいいのちを得る機会を失ったのだ。
『私のようによく福音を伝えて 説教が上手な人がどこにいる?』
神の恵みで1976年に宣教学校を始めた。40年以上の歳月が流れる間に、80期以上の学生が入学し、神は学生たちをご自分の尊いしもべとして育てあげ、福音伝道者として立てられた。神が働かれるとき、人はみんな同じではなくて違う面があるけど、学生たちは福音の働き手になって福音を伝え、教会を立てて信仰によって神の教役に使われた。全世界で福音を伝えながら神に尊く使われる伝道者たちが多くなりとても感謝した。
しかし、伝道者の中には高い心を抱く者もいた。ある伝道者は福音を伝えて罪の赦しを受けた人々が教会に来て聖徒が1人2人増えるという嬉しい出来事を経験すると、そのときに彼の心にサタンが働いて高慢な心を抱くようにする。
『私はよく福音を伝える。私は同期の中で私のようによく福音を伝えて説教が上手な人がいるのかな? いたら出て来いと言って。 私が最高だよ。』
口では自分が最高だとは言わないが、このような心を持つ人が現れた。自分が最高だという心を抱くと、その人はその時から他の人を見下して自分だけ立てようとする。その人がいくらそうじゃないふりをしても 高慢な心が強く出始めるまた、そのような人は、日に日に堕落していく様子を目にすることができた。
もしニコデモが神をよく知らずにユダヤ人の指導者でもなくただの平凡で、駄目な人間だったとしたら、彼がイエスのおっしゃることを謙虚に聞き入れた時、どうしただろうか。
「神の人よ、私はどうしたら生まれ変わるのかよくわかりません。私に教えてくださり、私も生まれ変わることが出来るようにしてください。私も新しく生まれて御国に行きたいです。」
確かにこう言ったはずだ。すると、その日彼がイエスの御言葉を聞いて生まれ変わり、真の神のしもべとなり、イエスの弟子になってペテロのように力強く使われたはずだ。
神は私を使う前にまず駄目な愚かなものにした
私は1962年10月に生まれ変わった。私の心ではない新しい心、すなわちイエスの御言葉を心に受け入れて新しい人生をはじめた。その前に神が私をかなり低くした。生まれ変わる前に私にできることは一つもなかった。生まれ変わって60年近く経って今思えば、神は私を使う前にまず私を賢く優れた人にしたのではなく、本当に駄目で、愚かでどうしようもない人にした。何も出来ない、しても無駄だ。私は愚かで、貧しくて滅びる人だった。私より虚しい人は誰もいないようだった。私は盗みをし、嘘も平気でついた。そのとき私は悪な者であり罪が多くて死んでしまうと地獄に落ちるしかなかった。
何の望みもなかった。
1962年10月に私は宣教学校に入ることができた。学生たちの中で私みたいな駄目な人間はいなかった。私はすべての面で足りなくて恥ずかしいかった。そんな私のうちにいるイエスはとても働きやすかった。今もサタンが私は上手だという考えを時々入れてくる事がある。その都度『私がこの心を持てば滅びる』という気がして心を低くする。
福音のために働いていると、その瞬間にサタンが考えをいれる。『あなたは賢い、あなたは信仰がある』その考えを受け入れるとその人はすぐに堕落する。今、私たちの宣教会で働いていた人が立ち去り堕落した人生を送る人々が何人かいる。みんながそうではないが優れて頭が良くて賢い人がサタンにだまされやすく自分が偉いと信じる。そういう心で教会や神のしもべの御言葉を無視して出て行った人々がみな堕落するのが見られる。
信仰生活は心が謙遜な人にできる幸いである。誰でも自分が上手だと思う瞬間、イエスを離れ高慢になり、やがて破滅する。
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