グッドニュース誌(日本語)
月刊「グッドニュース誌」は救いの福音と恵みの証を伝え、多くの人々をイエス・キリストの世界へ導いています。
「今月の説教」神を訪ねた預言者のともがらの妻
預言者のともがらの妻がいた。不足のない人だった。何よりも夫が本当に良い人だった。ある日、夫が預言者エリシャに会い御言葉を聞いた。
『このような方がいらっしゃるんだ!私はたくさんの人々に会ってみたが、人によっては良い点もあるが、 足りない部分もある、エリシャは本当に神の人だ。あの方には神が共におられる。神でなければどうしてあのように働くことができるだろうか』
夫は預言者エリシャの御言葉を聞くのが大好きだった。
『もうわかった。私がどのようにして今まで生きていたのか、サタンが私を欲望に、肉的に導いたからだ。そうやって私の人生が無駄になっていた』
それでも妻は夫のことが好きだった。夫が神と預言者にますます深くはまってしまったが、子供たちにも自分にも良くしてくれたため、妻は幸せだった。夫が自分をすごく気遣ってくれたから文句が言えなかった。ところが妻の心は夫とは違った。この世が大好きだった。素敵な服を買いたいし、礼拝の度に良い服を着たくて…、世の中の友だちが好きで信仰には心が向かなかった。
世間好きで預言者学校に入りたくなかったが
ある日、夫が妻に静かに話した。
「あなたに話したいことがある。私は今まで無駄な人生を送ってきた。もうこれ以上このまま生きたくはない。私は預言者エリシャともっと深く学びたい。信仰に対して、神に対して、そして信じることに対して。」
妻はただ聞いていた。
「今回預言者学校で学生募集がある。私もそこに行って信仰をもっと学び、恵みの御言葉を多くの人々に伝えたい。そのことについてあなたの意見を聞きたい。あなたは私の妻だから。」
妻は何を話せばいいかわからなかった。
『私は本当に嫌であるが、夫があんなに喜ぶのに、私が止めることはできない。正直に言って私は今の方が良く、そこに行って一日中祈りをし、御言葉を学べると私には自由がないはずだが…、それでも夫がとても喜ぶ。しかし、なぜ私は夫のようにならないのか。私が止めると預言者学校には行かずに済むかも知らないが、夫の心を世の中に移すことはできない。そうすると夫は苦しむだろうし、そのような夫の姿を見て私も安らかになることはない。そうだ。夫に従うことにしよう』
妻はそのように思って夫に気持ちよく話した。
「あなたは信仰のある人です。当然そうするべきでしょう。私があなたのように信仰に至らなくても、私も頑張ります。預言者学校に行くのを私も賛成です。」
「あなた、ありがとう。私はあなたが嫌がると思ったのに、ありがとう。私たち神のために生きましょう。」
夫は大変嬉しかった。妻は世間好きで預言者学校に行きたくなかったが、『それでも夫に従おう』と笑ってあげた。夫は何度も感謝した。
「私はあなたが嫌がると思ったよ。あなたが私のためにこんなに心を込めて従ってくれるとは思わなかった。あなたはこの世に2人とない最高の妻だ!」
夫は子どもみたいに喜んだ。妻が思った。『あんなに喜ぶことを妨げるなら、どれだけ寂しかっただろうか』夫は妻に何度も感謝し、愛していると言った。妻は預言者学校に入りたくない思いをどうしても言えなかった。そして1人で考えた。
『夫は神に仕えるのがあんなに好きなのに、私はどうして世の中が大好きか分からない。私は肉的で世間好きで、友だちにあっておしゃべりをして遊びたいし、良い服を着て良い食べ物も食べたいし…、私はなぜ夫と違うのか。私はなぜ神が好きではないのか。私も信仰のある人になりたいのに、心の中心では正直に世の中が好き。大好きだ』
夫は尊い預言者になりつつあるが…
妻はただ夫に従って預言者学校に入り、そこで皆さんと共に過ごした。しかし大変だった。まずとても疲れた。寝不足で御言葉の時間には良く居眠りをした。それでも従おうとした。しかし、いくら従おうとしても心が違うから大変だった。妻は『私も夫のように信仰があれば…』と思いながらも依然として世の中が大好きだった。考えでは今すぐ飛び出したいが、夫を思うとそうはできなかった。
夫は日に日に変わった。御言葉を伝えるときには感激した。妻は心にもないことをして疲れて居眠りしたが、夫は水を得た魚のようだった。祈りも、伝道も毎日変わった。そのような夫について行けない妻は自分が悔しかったが、どんなに頑張っても駄目だった。他の人たちと仕事をしても心は常に世の中にあり、肉に支配された。
いつの間にか6ヶ月が経ち 1年が経った。夫はもう尊い預言者になっていた。夫は妻に「あなたごめんね。あなたが大変なのは私も知っている。でも頑張ってね。」と慰めた。妻はいくら共にしようとしてもできなくて『なぜ私には信仰がないか。夫に従おうとどんなに決心しても私は世の中が良くて肉的だ。私は駄目だ』という考えがあった。
これは私のせいだ、私が悪いからだ
1年と数ヶ月が過ぎたある日、問題が生じた。どういうことか夫が以前と違っていた。妻が夫に聞いた。
「あなたどうしたの。」
「私も知らない。昨日の過労から来ているらしい。 そのうちよくなるでしょう。」
「ちょっと休みなさい。」
それでも夫は休まなかった。そしてなぜか夫の病気がますますひどくなった。これは何事か、妻は思った。『これは私のせいだ。私が悪いからだ』それで夫に申し訳なかった。
「あなたごめんなさい。私が悪くて…」
「違う。あなたのせいではない、最近体の調子がちょっと良くなかった。でも良くなると思ったのにどんどんひどくなるね。」
結局、夫は横になってしまい、2日後に息を引き取ってしまった。妻は泣くことさえできなかった。泣くつもりもなかった。ただ頭が複雑になるだけだった。『夫が死ぬなんて、信じられなかった。夢のようだった。『明日、目が覚めたら夫が生きているだろう』と思った。しかし夫は生きてはいなかった。死んだのが事実だった。ところが妻の心は夫が死んではいなかった。夫が死んだと言うことが心では認めたくなかった。数多くの考えが妻の心に入り、出たりした。たくさんの考えがあったが、『私に信仰がなくて…』と思い、信仰なしでそこにいてはならないと思った。それで2人の息子を連れて多くの人々の慰めを受けながら預言者学校から出た。妻は『これから私がお金を稼いで2人の息子を立派に育てよ』と思った。
そうだ、私にも神の人がいる!
3年が経ち、息子たちが大きくなった。生きることは容易ではなくて借金ばかり抱え込んでいた。何をやってもうまくいかず妻は死んだ夫を恨んだりもした。ある日借金取りたてが来て一騒ぎした。1ヶ月の間に借金を返さなければ2人の息子を奴隷として売り、その金を受け取ると言われた。
『最後に残った2人の息子まで奪われたらどうしよう』と絶望的だった。2人の息子を奪われるようになったが、解決方法がなかった。数日悩んでも絶望ばかりだった。死にたかった。むしろ自分を売ればいいのではと思った。そんなある日、夢に夫が現れた。急に夫のことを思い出した。夫は大変なときいつも神の人を訪ねた。『そうだ、私にも神の人がいる。私はなぜその方のことを信じなかったのか』預言者のともがらの妻は神の人を訪ねた。そこに道があった。神の人が言うとおりに外に出て行って、隣の人みなから、からの器を借りて来て、そこに油を注ぐと油がいっぱいになった。妻はもう神が尊い方であることを悟った。