キム・ユンオク(グッドニュース・カンナム教会)
イエスは私を素通りしなかった

 ある日、振り向くと多くの月日が流れていた。信仰の進展も見れず、車で2時間ほどかかる教会が遠いと感じ、行きたくない時も多かったが、それでも教会へ導いてくださる神様の恵みがあった。娘も救われた。しかし、神様と正確につながらないまま、自分の考えに合わなければいつでも教会を離れようとする気持ちで信仰をしていた。

 カンザス州に住んで20年が過ぎており、私は長い間小学校に勤務した。夫は軍を除隊した後に警官として働いたが、2015年12月に定年退職した。‘これからは休みながらやってみたかったことをする’と計画したその頃、神様が「人は心に自分の道を巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」(箴言16:9)というみことばを夫も考えざるを得なかった。

 アメリカに来た頃、私の健康は医者を訪ねる必要がないほど健康だった。しかし、更年期を迎えるにつれ、かつてない症状が徐々に現れ始めた。体全体が理由もなく痛み、消化不良で足にも頻繁に痙攣がおきて運転するのが怖い時もあった。私は酒も飲まず、タバコも吸わず、食べ物も良いというものだけを選んで食べていたので、とても悔しかった。もっと理解し難いことは、すべての検査結果が常に正常だったということだ。そのため、医師も家族も私が痛いと言っても、大したことではないと思っていた。この10年をそのように暮らした。

 2015年12月に体が急に悪化した。病院に数回行ったが、医者は流行の風邪やウイルス程度だと考え、風邪薬と鎮痛剤などを処方してくれた。しかし症状は改善されず、だんだんひどくなったが、それでも私は出勤を続けた。クリスマスを前にみんな浮かれて祝日を迎える準備で慌ただしくなったが、私はだんだん動けなくなった。人々が私をパーティーを台無しにする妨害者だと見ているように思った。

 ひたすら待ちに待ったのは、毎年ダラスやテキサスで開かれる冬の修養会だった。 みことばが私を治してくれるという漠然とした願いを込めて、みことばをつかもうという気持ちで修養会に参加した。期待どおり、修養会に参加してみことばを聞くうちに心も軽くなり、食べ物も少しずつ食べられるようになって、体も良くなったような気がした。一緒に参加した夫と娘も、私が気力を取り戻すことを見てとても喜んだ。修養会に参加してとてもよかったと思いながら帰って来た。

 しかし残念なことに、帰って来てから数日も経たないうちに、私の体は以前の状態に戻った。それでも仕事に出て行ったが倒れそうだったので、夫が来て私を病院に連れて行った。様々な検査を行い、CT撮影の結果、お腹には腹水が溜まっていて、子宮部位にも腫瘍があると言われた。担当医者があまり深刻でない顔で、胃の専門医に会ってみるように言われ、調べたところ、患者の予約が多くて1カ月も待たなければならなかった。この知らせを聞いたインドにいる兄と韓国にいる弟たちはとても心配してくれた。以前、母が亡くなる前も腹水が溜まっていた姿を見たからだ。

 アメリカ人から学んだことの一つは、病気になっても我慢して仕事に励むことだったが、私はそれ以上出勤することもできなかった。私にできることは一つもなかったので、カンザス教会のイ・ドンオク牧師先生に電話をかけた。すると「神様の許されるすべてのことは善です。」といい、ニューヨークにいるイ・ガンテ長老のところへ行って鍼治療をしてみるようにと薦めた。牧師先生の言うどおり、ニューヨークに行って15日間鍼治療を受けた。鍼治療のおかげで体調がよくなるのを感じた。何よりも食欲も出てきて、ご飯を食べることができ、見る人たちは私の顔色が良くなったと言った。顔だけでなく心にも筋肉が付くのを感じることができた。心配と恐怖より、感謝と希望が生まれ始めた。長老は、いつも鍼を打つ前に、神様が私をどんなに愛しておられるかを思い起こさせて、なぜ神様と心が流れなければならないのか、みことばを心に植えつける部分に対して話してくれた。

 長老が黄色い紙に文字を書いて、1日に30回ずつ暗唱しなさいと言いながら渡してくれた。それは、パク・オクス牧師先生が息子のパク・ヨングク牧師が米国に派遣されたとき、1日に30回ずつ読みなさいと言った内容だった。
(1)神様は私を助けてくださる。
(2)神様は私の祈りを聞くことを望んでおられる。
(3)神様は私が福音を伝えるとき、私を用いて救うことを望んでおられる。
(4)神様はいつも私とともにおられる。
(5)神様は私を通して働くことを望んでおられる。

 そしてパク・ヨングク牧師先生は、人がどうして信仰を持つことができないのかについて話した中に、種が実を結ぶのに、先に心に植えなければならない三つの種の話をした。(1)違う、神様は私を愛してくださる。(2)神様は一度も私を悪い道に導いたことがない。(3)神様は私を最も祝福の道に導くという内容だった。これらの内容を心に植えて、覚えて、黙想した。1日に30回ずつ繰り返しながら私の心で録音機のように流した。

 ニューヨーク教会で過ごしている間、毎日教会の台所で奉仕している姉妹たちを見たが、彼女たちの献身的な姿は神様を確かに経験したことから出た結果であることがわかった。初めて日曜礼拝、水曜礼拝、そして婦人会まで参加し、まるで私だけの修養会をしているような気分だった。神様が私をニューヨークに行かせたに違いないと思った。

 日曜礼拝の際、パク・ヨングク牧師は「私たちは解答用紙を神様に任せず、自ら推測して作成するが、何回か答えを当てるうちに、次回も当てられると思いがちだが、実は間違える確率がますます高くなります。しかし、解答用紙を神様に任せれば確実に100点を取ることができます。」と話した。その話はショックだった。私の浅知恵に騙されて生きてきた私の人生の結果が見えた。

 2週間、幸せな経験を心に受け入れてニューヨークから帰ってきた。顔も心も明るくなった私を見て、夫も娘もとても喜んだ。しかし、その喜びは長く続かなかった。再び体が以前の状態に戻り始めた。今度は非常に急速に悪化した。お腹がパンパンに膨らみ、喉の違和感で食べることもできず、呼吸もままならなかった。すべての臭いが苦しくなり、座るのも、横になるのも辛かった。

 内視鏡検査をしたところ、ヘリコバクター・ピロリが発見されたと言われ、抗生剤を服用しなければならなかった。薬を服用してから3日目に副作用の症状が非常に深刻になり、再び病院に運ばれてCT撮影と骨盤の超音波検査をした。医者と看護師が検査結果を持って私の病室へやって来て、涙目で私の手を握って辛そうに言った。 「本当に残念です。あなたは卵巣がんにかかっていて、今すぐ手術しなければなりません。腹水もたくさん溜まっているし、がんの塊も大きなものが2つも見えます。」男の看護師は泣き止まず病室の外に出て行って、医者も私の手を握り続けて涙を流した。目の前が黄色く変わるようだった。隣で崩れそうに泣く娘を眺めながら、ニューヨークで聞いたみことばが思い浮かんだ。「解答用紙を神様に任せなさい。」「神様は私を最も祝福の道に導いてくださる。」このときのために、神様は私を前もってニューヨークへ送って準備してくださっていた。私は心より「神様、私の娘を預けます。神様、私の夫を神様に任せます。」という祈りが出た。 

 さっそく、初めて乗る救急車に運ばれ、2時間のがん専門病院に運ばれた。がん専門医と会い、どんなことが起こるか簡単な説明を聞いた。がんは13年ぐらいになり、腹水によってがん細胞がお腹の色んなところに広がっているので、多くの部位を切り取らなければならないし、大腸も部分的に切り取る確率が高いとした。私は、他の部分は切り取っても、大腸だけはどうか切り取らないでほしいと頼んだ。どう生きればいいのか想像がつかなかった。医者は、手術後は約50%の患者たちだけが治療を終えられる、とても耐え難い抗がん剤治療も受けなければならず、その治療のためには手術をして胸とお腹の2カ所に管を埋め込まなければならないと言った。そして放射線治療を受けて、すべての治療が終わった後も、少なくとも1年間は予防として抗がん剤治療を続けなければならないとした。そうしなければ6カ月だけしか生きられないと言った。

 全てが予期せぬ嵐のように押し寄せてきて、正気ではいられなかった。ただ一つ、確かなことは、生きたいという心だった。手術室に入ってから思い浮かぶみことばがあった。それは、病院に行く一週間前にカンザス教会の牧師の奥さんから聞いたイザヤ書43章のみことばだった。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」これは神様が私とともにおられという約束だった。夫や娘が心配している姿を見てイザヤ書43章を思い出しながら明日が来るのを待つ心で目を閉じた。

 手術した日は私の58歳の誕生日の一日前だった。それは私の考えの世界に対する大きなテストだった。私が高校に通うとき、友達の妹が私に「お姉さん、私が手相をみてあげます。」と言い、私の手相を見て「お姉さんは57歳までしか生きられない。」と言った。冗談めかして言ったその子の声がずっと付きまとっていた。‘本当に私は57歳で死ぬのではないか?’救われた後もその考えがいつもあった。57歳の364日を無事に乗り切ったが、最後の日にとても危ない大手術を受けなければならないと思うと、誰かが私を試しているような気がした。しかし‘私の罪を贖ってくださった神様が、あなたはわたしのものだから、恐れるなと言われた。’というみことばを再び思い出した。

 目が覚めてみると、私は生きていた。話すことも動くこともできなかったが、生きていることが限りなく嬉しく、感謝した。くだらない考えで長い間縛られて恐れていたところから解放されたことに感謝した。医者は私の体から5リットルの腹水が出ており、大きながんの塊を二つ切り取ったと言った。大きさがそれぞれ12×14cmと8×9cmで、合わせて5㎏にもなったと話した。体から19カ所を切り取ったが、大腸には手を入れる必要がなかったと言われて本当に感謝した。

 手術を受けた後、韓国から妹のヘヨンが来た。インドにいるスヨン兄さんと韓国の家族たちが私を世話するために妹を送ってくれた。この上なく嬉しく、ありがたかった。家族の愛に感激し、家族を気遣わせ、気をもませる私の状況が恨めしかった。ヘヨンは、私が思う恨めしい心が神様から来た心ではないことをずっと話してくれた。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ--それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)このみことばのように、私に起こったことはわざわいでないことをずっと話してくれた。兄を通して、インドの兄弟姉妹たちが私のために祈っていることと、韓国でも多くの聖徒たちが私のために祈っているということを弟たちを通して聞くと、がんも教会の中で病んでいれば感謝の条件となることがわかった。ヘヨンは私のところに来る前、パク・オクス牧師先生が電話で話したことを私に伝え、直接、牧師先生に電話してみることを勧めた。それで電話をしたが、忙しいからか牧師先生が電話に出なかったので失望した。ところが翌日、牧師先生が「知らない電話番号だったので電話した」と言って私に電話をしてくださった。」牧師先生の声を聞いて本当に幸せだった。牧師先生も私と直接電話したかったと言ってくれた。

 パク牧師先生は「イエスは一度も病人を素通りされたことがありません。」とおっしゃることを聞いて、「それなら私もそのまま通り過ぎることはしないはずだ!」という希望が心を覆った。牧師先生がエペソの2章1節の「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」というみことばを伝えたとき、私はすでに、イエスが私を素通りしないことを牧師先生を通してみことばを送ってくださったのだということを知った。「私はすでに生きられた!」と信じるようになった。心から喜びと感謝が湧いてきた。牧師先生はエペソ2章8~9節の「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの贈物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」というみことばを伝えた後、「姉妹は自分の過ちと弱さを見ないでください。それらはイエス様が姉妹に働ける条件です。」と説明した。そのとき、私の心を縛っていた行いの鎖が解かれた。「私は肉の思いが強い。私は怠け者だ。私は神様のために何もしていない。」などなど、神様の御前に大胆に進むことができないように、私を縛り付けていた「私の考え」という鎖が解けた。「まさにこれだ! 恵みで救われたように、救われた後も恵みで生きるのだ!」そういえば、私がすべきことはたった一つ、みことばを受け入れることだった。

 牧師先生は、姦淫の現場で捕らえられた女に向って飛んでくる石ころを、イエスが全部地に落としたと話した。私の心の目に、映画のシーンのように石ころが地に落ちてくるのが見えた。「ああ、私のがんの塊も地に落ちて、手術後の苦痛も地に落ち、抗がん剤治療の苦しみも地に落ちたのだ!」イエスが時代劇の剣客のような姿をして鋭い手で私に向かっていたわざわいの石ころをすべて地に落とす場面が頭の中をかすめた。「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」のみことばどおり、恵みによって神様が私を生かしてくださった。パク牧師先生と電話で話したのも恵みであり、家族たちがヘヨンを送ってくれたのも恵みであり、良いお医者さんに会えたのも恵みだった。‘大きな恵みで私を救ったんだ!’私はまるで喜びの酒に酔った人のように、手術後の痛みもあまり感じられず、鎮痛剤もあまり飲まなかった。私の心は希望と感謝で膨らんでいる風船のように、空高く浮いているような気がした。神様が私を最も祝福の道に導いてくださるというみことばが信じられた。とても嬉しくて牧師先生にまた電話をした。

「牧師先生、私、もう治りました!」

「はい、とても嬉しいです。」

 牧師先生は、私の過ちと弱さを見るなと再びおっしゃいました。

 牧師先生と電話で話した翌日、医師が病室に来て急に抗がん剤治療計画が変わったと言った。卵巣がんが子宮に転移したと思っていたが、初めからがんが二箇所でできたかもしれないと言った。それを確かめるために切り取ったがんの塊を大きながんセンターに送ったとした。手術が終わるや否や、すぐに坑がん剤治療をする計画だったが、結果が出るまで3週間を待たなければならなかった。そのおかげで、少し気力を取り戻すことができた。大きな手術を受けた人がすぐ抗がん剤治療を始めるのは想像を絶するものだが、死にかけていた立場では選択の余地がなかった。しかし、イエスは私にパク牧師を送ってくださり、苦痛の石を地に落としてくださった。

 一旦、胸部に管を一つつけて家に帰った。ヘヨンは天使のように私を世話した。料理も美味しく作ってくれて、家の掃除もきれいにしてくれた。何より聖書のみことばも交わることができ、美しい賛美で喜ばせてくれた。弟は「これはわざわいではない。」と繰り返し言った。生まれて初めて弟と心を分かち合いながら、幼い頃に戻って、一笑いしたりしながら幸せな時間を過ごした。

 2週間後、ヘヨンは韓国に帰ったが、神様が続けて私を世話する人たちを送ってくださった。 義妹たち3人が1週間ずつ交代しながら、飛行機に乗って来て私を看病した。‘私は義妹たちにこんなことができるのか?」と疑問に思うほど、丁寧に世話をしてもらって私の心を感動させた。職場の同僚であるアメリカ人の友人は、毎週1回ずつ来て、足のマッサージをしてくれた。アメリカ人は他の人にマッサージをあまりしないが、その友人はマッサージを専門的に学んだ方だったので、血液循環がよくなってこそ抗がん剤治療を受ける際の回復が早いと言って、退社後に1時間ずつ足のマッサージをしてくれた。今も続けて来てくれる。毎週、癒やしのカードを送ってくれる方もいた。父兄たちをはじめ、多くの人々が料理を持ってきてくれるので、それを教会に持って行って分けて食べたりもする。神様はいろいろな方法で私に恵みを教えてくださった。

 3週間後、がんの塊を調査した結果、二つの癌であるという判定が出た。抗がん剤治療の計画が完全に変わり、もう一度予定していた手術も、放射線治療もしなくてもいいと言われた。神様を称えるしかなかった。18週間続く抗がん剤治療が始まった。聞いたとおり、簡単ではなかった。しかし、私の頭の中には常に困難が地に落ちる絵があるので、大変だったが特に問題にはならなかった。

 私がいつ抗がん剤治療を受けることがあるのかという姿勢で、1週間に1回治療を受けに行く日を特別な日にした。病院まで2時間運転して行く道のりだが、私の家族はまるで旅行をしているかのように、服もきれいに着飾って楽しい気持ちで行った。私はいつ死んでも喜びながら死ぬことができる心を神様がくださった。看護師たちも医者も、私たち家族に会えるのを楽しんでいた。私たちがいつも喜んでいたからだった。

 何も方法がなかったからみことばに従ったが、人々はそれを奇跡だと言った。治療を始めてから3週目になると、髪の毛が抜け始めた。全身が痛くて食べることも容易ではなかった。むかむかして胃を削るような痛みもあった。以前、パク・オクス牧師先生が話していた「食べ物は美味しいから食べるのではなく、食べなければ死ぬから、体が食べ物を必要とするから食べるべきだ。」という言葉が思い浮かんだ。牧師先生が再度電話してくださって、食べるのが難しい状況を申し上げると「味がなくても食べ続けなければなりません。車はガソリンがおいしいと言わず、そのままゴクゴク飲み込みます。それでこそ車らしく走ることができるのです。」と言った。私たちは平凡な真理を忘れて生きているような気がした。

 そのときから、とにかく食べ続けた。朝に目が覚めたら食べて、おやつを食べて、昼ごはんを食べて、またおやつを食べて、口から薬物臭がしようが、食欲がなかろうが、とにかく食べ続けた。体重が増え始め、免疫も良くなった。手術の際に血がたくさん流されたことでヘモグロビンの数値が4に下がってしまい、話がしたくても声が出なかったのだが、ヘモグロビンの数値も上がっていた。赤血球と白血球の数値もよく維持されていて、抗がん剤治療を受けながら、一度も輸血を受けず、白血球を作らせる注射も打たずに、他の人たちが受ける様々な注射も打たなかった。

 痛みがあまりにもひどくて、恐怖に陥ることも何度かあった。最も大変だったのは急性胃けいれんの症状だった。天が黄色く見えて大量の汗をかき、ころころ転がるほどの激痛に見舞われ、心臓麻痺で死にそうだった。できることはわんわん泣くことだけで、何回も救急病院に行ったりした。一度は、あまりにも怖くてパク牧師先生を探した。ドイツにいるということを聞いてそこに電話したら、すでにロシアに発ったと言った。

 宣教師たちの助けでパク牧師先生とのテレビ電話がつながり、牧師先生が25分間みことばを伝えてくださった。「姉妹、胃けいれんはがん患者にだけ起こる現象ではなく、他の人にも起こります。」牧師先生は聖書にある話のほとんどは、病気や問題で始まるが、イエスに会った後、病気が治り、問題が解決されることで終わるとおっしゃった。そのような聖書のみことばを例に多く聞かせてくださった。私は牧師先生のみことばを聞いて、安心して言った。

「牧師先生、胃けいれん何でもないです!」

 牧師先生はエレミヤ書31章に出てくる「新しい契約」について話して、新しい契約とはイエスだけ働かなければならない契約だとした。限りなく感謝し、幸せになって安心することができた。神様が‘痛いけど治った’という牧師先生の証が、私の証になるようにしてくださった。

 その後も牧師先生は、私が苦しいときは何度も電話をしてくれた。世界中を歩き回っているのに、時間を割って連絡してくださり、病人を哀れむイエスの御心を見せてくださった。恵みという単語に対して少しずつ理解し始めた。本当に私がしたのは爪の垢ほどもないのに、100%、一方的に私に与えられた祝福。まさにそれだった。私は恵みを受けた者であった。牧師先生はイムジンガクで平和音楽会を終えて降りてきたときも電話してくださり、フィジーから帰って来たときも電話して「そこがまさに地の果てなのに、南太平洋の島々に福音が伝わっている」と幸せそうに伝道の状況を聞かせてくれた。

「牧師先生、私のヘモグロビンの数値が10になったそうです!」と言うと、牧師先生はとても喜びながら「その数値なら完全に正常です!」と言ってくださった。 その言葉を聞くともう一回数値が上がったような気がした。とても良くなっている自分の姿が信じられないときもあったので、よく写真を撮って牧師先生に送ったりもした。

 それからLAに来たときも電話してくれた。「イエス様が天に上げられたとき、私たちに必要なすべての道具を与えて行きました。その道具を見つけて使うだけでいいのですが、人々が見つけて使うことができなくて、苦しい生活をしています。」牧師先生はいつも希望のみことばを述べてくれた。手術を受けた後、困難も恐怖もあっが、絶望に陥ったことは一度もなかった。牧師先生は希望を持って生命に導いてくださったので、痛みで苦しんでも嬉しくなり元気が出た。主を待ち望む者は新しい力を得る(イザヤ40:31)と言われたみことばとおり、新しい力が私を導いてくれた。薬を飲まずに痛みに勝つ力も、抗がん剤治療を乗り越える力も、食べ物を食べる力も与えた。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩篇16:8)というみことばのように、神様が私を掴んでおられた。頭の中にもうひとつの絵が描かれた。私は何も知らない子犬で、私の飼い主は私を愛しく思い、私の首輪をつけて、私が揺れ動くたびにひもを引っぱり、飼い主が望む場所へ安全に移してくださる姿であった。私は動揺するが、動揺できない者になっていた。最も安全なひもに結ばれていた。

 手術をして抗がん剤治療を受けている間、私にできることはあまり多くなかった。 ベッドに横になってもできることは話を聞くことだけだった。毎日みことばを聞き、朝から晩まで一日中みことばを聞いていたこともある。グッドニュースTVを見ながら宣教会で毎日どんなことが起こっているのかがわかってきて、私の心はますます宣教会ですることと、パク牧師先生が福音のために働いていることにつながることを感じた。インターネットを通してパク・オクス牧師、グラシアス合唱団、そして多くの牧師たちに付いて回りながら、喜びや感激や驚きを経験した。インドにも行ったり、エスワティニにも行ったり、ザンビアにも行ったり…。みことばを聞きながら、神様が世界のあちらこちらで働いているおびただしい知らせを聞いて、私の心が教会とパク牧師とますますひとつになることを感じた。以前にも多くの行事や知らせを間接的に聞いたが、あまり関心がない者だったので、私の心が変わりつつあることを自ら知ることができた。みことばは人を変え、幸せにし、教会と同じ心を持たせるに違いない。



 ついに18週間の抗がん剤治療も神様の恵みで無事に終えることができた。がん患者の大半は免疫力が低下し、インフルエンザや肺炎になることを非常に心配しているが、私は一度もそのような苦労もせず、治療を終えた。この上なく感謝し、嬉しかった。喜んでいた夫と娘が私を見て、抗がん剤治療を優等生で終えたとし、数か月前に娘アイミが修士課程を終えて卒業するときに着た卒業ガウンと四角い帽子をかぶって、抗がん剤治療の卒業式を行おうと話した。私が考えても、奨学金をもらわなければならないほどいい成績で終えたようで、四角い帽子をかぶって卒業ガウンを着てがんの卒業式を行った。論文も書かずに卒業したが、今はこの証の文を論文の代わとする。

 学校を卒業した娘が家に帰ってきて3が月間、全身で私の世話をしていたが、私は坑がん剤治療が終わった2週間後に仕事のためにメリーランド州に行った。娘の引っ越しを手伝うために夫も一緒にメリーランドに発ち、私は初めて一人で家にいることになった。数か月間、まるで赤ん坊の面倒を見るように、私を慎み深く丁寧に面倒を見てくれた愛する夫と娘が一緒に去る姿を見て、私の感謝の気持ちが彼らに伝わることを願う気持ちでしばらく手を振った。熱い涙を飲み込んで、感謝のあまり胸が痛くなるほどだった。皆、私がどうしているかを心配していたが、いつも神様が私と一緒にいると言われたので、全く心配にはならなかった。むしろ、自分で正常な生活を練習できる良い時間だという気がした。

 夫がメリーランドから帰って来た後、夫と一緒に飛行機に乗ってニューヨークに行った。ニューヨークで開かれるワールドキャンプを訪れるパク牧師先生に直接お会いしたくて、周囲の反対を押し切って飛行機のチケットを買った。人々は、私が肺炎にかかることを恐れていた。しかし私は、牧師先生が私を導いてくださったことが嬉しくて、直接会って感謝の言葉を伝えたかった。

 私の大好きなオートミールクッキーを作って、実家の父に会いに行く気持ちでニューヨークに行った。牧師先生にお目にかかれた瞬間、限りなく嬉しかった。牧師先生も大変喜んでいた。イエスも私が病気から治ったことを喜んでいることが分かった。夫と一緒に牧師先生の隣に座って、昼食を食べながら、神様が牧師先生を通して私に働いたことを証し、神様に光栄と賛美をささげた。

 ニューヨークから帰って来て3週間ぶりに職場に戻った。家で横になって回復を待つこともできるが、それは私に何の役にも立たないと思った。自分の体が正常なら、正常な生活をするのが当たり前だという気がした。職場には戻ったが、頭の回転が思うとおりにいかなかった。ところが、脳も他の筋肉と同じように使うほどよくなるのを感じた。記憶力もだんだんよくなり、家にいるより運動する時間が多くなった。校長先生は、私ががん患者だったことが信じられないと言いながら、全校生が集まった中、拍手で歓迎してくださった。学校内にはいつも病気の子どもたちもいるのに、私の免疫力が昔よりずっとよくなって、とても元気に生活している。 私の体は完全に正常で、がんの数値も極めて正常だ。いつのまにか職場に戻って4か月が過ぎた。

 2016年12月を迎えながら、この1年間、私に起こったことが、パノラマのように通り過ぎた。2015年12月には生きたい心でみことばを掴もうとする意志で病気の体を起こしてダラス修養会に参加したが、2016年12月には病気がすっかり治った姿で、神様が私に施した恵みをみんなに伝えたい心でときめきながら修養会に参加した。もちろん、朴牧師先生と奥さんにまた会えることも期待して。

 修養会の場でパク牧師先生に会うと、牧師先生はとても喜びながら迎えてくれた。私がもっと話したがると、私の家族を宿舎に招待した。韓国で日曜礼拝のみことばを伝えてからすぐに来たので疲れていたはずだが、休みの時間まで私たちのために使ってくれた。私はどうしても助けを借りなければならない立場なので、顔色を伺うこともせず、2時間も牧師先生のみことばを蜂蜜のように飲み込んだ。さつま芋も食べて、ヨーグルトも食べて、何でも美味しく食べた。牧師先生からもらえるものはすべて遠慮することなくいただいた。牧師先生は、私の大好きな本「心を売る百貨店」の英語訳本を取り出してサインまでした後、夫にあげた。夫も娘も心に感動し、心の扉が開くのを見た。

 牧師先生は神様が私に働くことを見て、私よりも嬉しいと言ってくれたので、私の心ももっと嬉しかった。「人はこんなに喜びながら生きることもできるんだね!」と思って幸せだった。心の表現がますます単純になっていた。‘私は感謝する! 私は嬉しい!私は幸せ!’その他に私の心を表現できるもっと良い単語がないようだ。

 牧師先生が私に尋ねた。「姉妹、私は知りたいことが一つあります。姉妹はどうして私の言うことをそのまま信じることができたのですか?」私はむしろ驚いた。なぜなら、牧師先生があまりにも簡単すぎる質問をしたからだ。「牧師先生、死にかけているときに信じるとか信じないないとか言える状況ですか。選択の余地がありませんでした。」牧師先生は、そのような状況でも、皆が信じる訳ではないと言いながら、私が恵みを受けたとおっしゃった。恵みをくださった神様にまた感謝した。牧師先生の声が私のもとに来たとき、私は何もすることがないことに気づいた。それは私が牧師先生の信仰のなかにいるからだった。それで私は信じようと努力する必要もなかった。まるで母が、歯が生えていない赤ちゃんに食べ物を噛んで食べさせるように、牧師先生が言ってくれたみことばをそのまま受け入れるだけで済んだので、とても簡単で感謝だった。

 その翌日、神様が私に、修養会に参加した約2千人の兄弟姉妹たちの前で、証する時間をくださった。とてもどきどきして思い出せないことも多く、言葉の順番がめちゃくちゃに思えたが、神様が私に働いたことを証する機会を与えてくれたことに感謝した。一度は、パク牧師先生が使徒の働き9章3節に出てくる、天からの光がサウロに巡り照らしたことを話ながら、「姉妹にも神様が光を照らしてくださったので、姉妹が口を開けばその光が他の人にも照らされます。」と言った。その話の意味をようやくわかるようになった。私のすべきことは、話が上手か下手かではなく、口を開くことだということを…。

 私は普段、パク・オクス牧師を特別に信頼して、自分がグッドニュース宣教会に所属しているとは感じていなかったが、ただここで救われたから信仰を続けていただけだった。教会を疑ったこともあるし、教会を誹謗する声を聞くと、‘そんなこともあり得る’と思ったことも多い。パク・オクス牧師も‘グッドニュース宣教会’という大きな団体を率いているので、大変立派な指導者であることは間違いないというだけしか考えていなかった。

 ところが、がんという大きな問題の中にいた私に、牧師先生はイエスの心を見せて、私の心を神様とつなげてくれた。電線がつながるとき電気が流れるように、私の心が牧師先生とつながると、神様の心が流れ始め、神様のみことばが聞こえ始めた。 そのみことばは私に希望と喜びを与え、困難に打ち勝たせ、何よりも生命の道に導いてくれた。卵巣がんよりもっと恐ろしいがんは「私の考え」だった。 そのがんを神様のみことばという放射線で治療してくださって、私はもう自由と喜びと感謝の言葉で異言をしている気分だ。ダビデが歌った詩篇119編49~50節は、私に新しい歌となった。

「どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。」

 この間、牧会者の移動があり、私たちを神様に導いてくれたイ・ドンオク牧師夫妻が他の所に行き、イム・ミョンチョル牧師夫妻が来た。送別式のとき、チョン・ジャヤン牧師がみことばを伝えた。3人のみことばを通訳しながら感銘深かった。 私が通訳するのではなく、私の中で神様が通訳してくださって、私も感動を受けながら喜びに浸って通訳をした。疲れも感じられず通訳を終えたら、2時間半が流れていた。前は通訳をしながら大変だったことも多かったが、私に新しい力が与えられた。

 私にがんをくださって、私の行いと関係なく、一方的に恵みを施し、ご自身の働きを現してくださった神様に栄光をささげる。そして、神様の御心を見せていただき、私の心を神様の御心と繋いでくださったパク牧師先生にも感謝する。また、私のために祈ってくださった皆さんにも感謝する。