キム・ジンス牧師(チョンアン教会)
それは何でもない。イエスの血によって私たちは全うされた!

Q:牧師さん、こんにちは。これまで元気だったと思いますが、がんにかかったことをいつ、どのように知りましたか。

 私は59年を生きながら健康検診を一度も受けたことがないほど元気でした。パク・オクス牧師が「疲れたのはいいことだ。疲れを楽しめ。」と言ってくれたので、私もずっとその心で生きてきました。世界のどの国に行って帰ってきても、時差で疲れたこともありませんでした。私ががんになるなんて想像できませんでした。 昨年8月にメキシコ・ワールドキャンプに行ってきて、9月15日に再びアメリカLAであったアメリカ海兵隊1師団の、インチョン上陸作戦参戦勇士記念式行事に参加しました。パク・オクス牧師さんが参加する予定でしたが、日程が合わず、私が代わりに行きました。その日に限ってとても疲れていました。トイレに行ったのですが、尿の色が血のように赤くてびっくりしました。「何でこうなんだ?」と思いましたが、後でまた尿の色が同じく赤かったです。疲れすぎたのかな?と思いました。その後、グラシアス合唱団のクリスマスカンタータ・アメリカ巡回公演があり、マイアミ、オーランド、アトランタに行きましたが、なぜかそのときは椅子に座るとすぐ居眠りをしてしまいました。そして料理の匂いで気分が悪くなって食事もできず、人の匂いも嫌で一緒に過ごすことにも苦労しました。それで当初の日程より3日早く韓国に戻ってきました。

「少し休めば治る」と、大したことではないと思っていました。アメリカに行って来た後、パク牧師さんに挨拶しにインチョンで開かれる集いに行こうとしましたが、とても行けませんでした。普段は目を覚ますと、牧師さんのいるグッドニュース・カンナム教会に行ったりしましたが、そのときは到底行けませんでした。妻が早く病院に行ってみようと言いましたが、私は病院に行くのが嫌いで行かないつもりでしたが、2時間程度で診療が終わると言われたので行きました。そのときまで、私は自分が大きな病気だとは思っていませんでした。いつも自分の力より過度に走り回っていたからです。最初に行ったスウォン医療院では病名が正確に出てこなかったので、次はアジュ大学病院に移りました。そこでも胆石症か腫瘍かも知れないと言われましたが、それも正確でなかったです。

 そのとき、ザンビアに行ったパク牧師さんに電話をかけて状況を申し上げました。 牧師さんは「私の言うことをよく聞きなさい。それは何でもない。いい病院に行かずに、その分野の専門家を訪ねて治療を受けろ。手術しなさいと言ったら手術して、健康な体で福音に仕えてほしい。」とおっしゃいました。当時、カンナム教会にいたチョ・ギュユン牧師に話したら、医師兄弟にその分野の専門医を調べてあげ、私が診療を受けることができました。ちょうどその頃、私は宣教会の中でホ・インス牧師、キム・ユンオク姉妹など、がんから治った様々な証を聞いていたので、牧師さんの言うとおり「これは大したことでもない。これは何でもない。」と思いました。

Q:検診結果はどのように出ましたか?

 サムスン医療院で内視鏡とMRI撮影をしたところ、胆管に悪性腫瘍が見つかりました。がんだと言われました。医師いわく、胆管の腫瘍は見つかりにくいのですが、早期に発見されたのが奇跡だと言っていました。その頃私の体は黄疸の症状もあり、赤い小便も出たが、そのような症状が現われたのは異例のことです。その日が9月27日で、手術の日付は10月14日に決まりました。

Q:がんという判定を受けたとき、どんな気持ちでしたか?

 がんだという話を聞くと、時々パク牧師さんが「私は1962年に救われた当時に、神様の恵みで神様の目を借りて‘私’という人を見ました。」として「私に起こる良いことも悪いことも信じず、その日から、イエスだけを信じることにしました。」と言った言葉が思い浮かび、私もその気持ちになりました。がんが私の体を死と結びつけるから、その前で「私」という人生がすぐ終わってしまいました。自分が何かできるということも無意味であり、できないということも無意味です。私がウサイン・ボルトのようによく走れる丈夫な足があったとしても、いくら優れた頭脳を持っていても、がんとつながってしまうと、死の前に立ったひとりの人間に過ぎなかったのです。この世には死に勝つ人はいません。その短い間に「私」という存在の終わりを見ました。虚しかったです。私が20年間、宣教会の中でいろいろな事に携わりながら神様が私を訓練された部分についても思いました。私の考えでは駄目だと思ったことが、教会と神様のしもべに従ったとき、美しく成し遂げられるのを幾度となく経験しました。そのすべてがこのときのためのものだったと思いました。「がんという病気にもそのまま当てはめればいいんだ!」と思い、がんは何の問題にもなりませんでした。

Q:がんの判定から手術を受けるまで、どのように過ごしましたか?

 すぐ入院して絶食し、3日後の9月30日に、私が牧会をしているグッドニュース・スウォン教会で、シルバー大学4期入学式があって退院しました。医者も妻も退院を止めましたが、私は‘この病気はすでに終わっている’という気持ちがあったので、入学式に行ってみことばを伝えました。行事が終わって午後5時頃にひどい腹痛で夕方7時に再び入院しました。初めは医師たちが盲腸だと思って急いで手術を決めたのですが、診療の結果、前回の検査の際に内視鏡に入れたスタンド管が外れて、十二指腸を穿孔していたそうです。それで急きょ手術を受けなければなりませんでした。医師たちが、がん患者に最も心配なのは、他の臓器にがんが転移することだそうです。私の場合は、腫瘍除去手術を控えていたので、別の手術を受ければ免疫力が急激に落ち、もっと早くがんが転移する可能性もあるので、二度目の腫瘍除去手術は11日以降の10月14日に受けました。医師たちの心配と違って、他の部位への転移はまったくなかったので、胆管にできた腫瘍だけを除去しました。手術前に医者の話では17~20時間以上かかるのが、3時間半で手術が終わりました。2回も手術したにもかかわらず、健康状態が良くて医者がまた驚きました。

Q:一度でも手術を受けるのは簡単ではないのですが、不本意ながら二度も手術を受けたことで心が大変ではなかったのですか?

 二度目の手術を受ける前、十二指腸穿孔によって15日間も絶飲食しなければならなかったです。そのときは、水一滴も口にすることができず、本当に大変でした。 それに、続いて二度目の手術を受けなければならないという話を聞くと、このすべての過程は神様が私に与えたことだと受け入れました。パク牧師さんがザンビアにいらっしゃるとき、「それは何でもない」とおっしゃった言葉をそのまま信じました。「信じよう」ではなく、ただ信じられたのです。私が患者になったとき医者を信じて待っているようにね。私が病気にかかったことも神様によって、治るのも神様によるということにとても感謝しました。手術を受けてから病室に戻ったとき、パク牧師さんが来てくださって、ヘブル人への手紙10章19節「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」を伝えてくださいました。「キム牧師、あなたが今日まで悪党として生きてきたとしても、それは何の問題もない。私たち自身を見れば聖所に入る度胸は得られないが、イエスの血によって私たちは全うされた。イエスのその血に支えられ前進するのだ。」私はその言葉を素直に受け入れました。‘そう。神様によってすべて解決される。神様は善な道に私を導く。この病気にかかったのも善だ’と。牧師さんが胃潰瘍に苦しめられたとき、「だからあなたがたに言うのです。祈って求めたものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24)というみことばを信じて‘痛いけど治った’信じてご飯を食べたと証されましたが、その証が私の証になりました。牧師さんのおっしゃったことをそのまま心に受け止めると、そのとおりになりました。



Q:手術を受けてから回復過程はどうでしたか?

 二度目の手術をしてからは食事が出てきました。絶飲食を始めてから18日ぶりに食べる食事でした。初めは小さな器に米粒がいくつか広がったものをくれたのですが、自分がご飯が食べられるということがとても幸せで、涙が止めどなく出ました。あれから今まで食事を一食も抜いたことがありません。病院で出す食事は味と関係なく全部食べました。そして18日ぶりに小便ホースを外してトイレに行って小便をしなさいと言われましたが、手術を受けたときよりもっと痛くて苦しかったです。12時間ほど試しましたが、小便が出なかったので、再度ホースつけてその2日後に再び試みました。グッドニュース・カンナム教会の牧師たちとグッドニュース・スウォン教会の兄弟姉妹たちにお祈りすることを頼み、2回目の試みで小便が簡単に出ました。とても感激して、感謝せざるを得ませんでした。「お医者さん!小便が出ました。」と言いながらまた泣きました。その小便は一滴も捨てたくありませんでした。あの時のように尿が貴重に見えたことはありません。そして21日ぶりに大便も出ました。それも捨てたくなかったです。そのとき、とても感激しました。医者たちも喜んでいました。ホ・インス牧師が話したように、がんはプレゼントでした。救いという贈り物も大切ですが、救われてから主がともにおられるので、私の人生がとても美しいのです。当時、がん病棟に約500人のがん患者がいました。患者であれ家族であれ、誰一人笑う人がいません。みんな表情が悲しいです。だから医師たちが私を見たら皆驚くのです。いつも感謝して喜んでいたから。 手術を受けて2日目からは病室を出て病院の1階を一周し、廊下の椅子に座って妻と一緒に祈りました。一日に何回も時間とは関係なく、誰が見ても構わず、毎日祈りました。とても感謝しました。神様が私に、なぜがんをくださったのか考えてみたら、それは私の心の悪を除去するためでした。私たちの心には神様を立てなければならないが、サタンが私自身を信じるようにしたときから、私たちに苦痛が訪れ、死が訪れたではないですか。私の心に一番悪影響を与えている私自身を神様が処理し、除去してくださったので、今は神様だけがおられる世界の中で暮らしているのでとても幸せです。一握りの土だけの肉体を振り切ることができず、いつも苦しんでいたのが、それがきれいに片付いたのです。患者になると、医者を見ないでほしいと言っても待ち続けるように、私の心から私というものが取り除かれ、神様だけが立たされたので、もはや私は神様とは切り離すことができない者なのです。

Q:病気にかかり問題が起こると、人々の心に絶望が訪れ、心がまず死に向かっていきますが、今まで過ごしていたなかで一番大変だった瞬間はいつでしたか?

 退院してから後遺症で体がとても苦しかったです。なぜ後遺症が出るのかと医師に聞いたら、手術の際に行う麻酔は、脳が痛みを感じられないようにするものだけど、その麻酔のせいで体はとてもひどいストレスを受けるそうです。それで麻酔から覚めて時間が経つと、体に痛みが出ると言われました。私にも昨年12月に、足の指先から頭まで、骨の節々が激しく痛む後遺症の症状がありました。当時、体温が40.6~40.7度まで上がり、痛みに耐え切れず、すべてが嫌になり、瞬間的に‘こんなに痛いのに、何が治ったんだ’と絶望しました。そのとき、がんで亡くなった方々の気持ちが感じられました。‘ああ、あの方たちはこの気持ちを受け入れていたから亡くなってしまったんだな’そのとき、妻が苦しんでいる私を気の毒に思いながら見ていました。私は背を向けてパク牧師さんに電話をかけました。「どうした?」「牧師先生、とても痛いです。」 牧師さんが祈ってくださって、その祈りで私は苦痛に勝ちました。そして数日後、またとても痛くなったのですぐパク牧師さんに電話をしました。そのときは牧師さんが「おい、手術したから痛いのは当然なことだよ。」とおっしゃいました。「はい。」と答えたらすぐ痛みが消えました。 そして起き上がりました。その後も、1,2回ほど後遺症でつらくなったが、痛いという考えに負けず、もはや私の心には問題になりませんでした。妻が私を見て不思議だと言いました。痛みで苦しんでいても牧師さんと電話をすれば、ぱっと立ち上がるんだと。

Q:みことばを聞いても、そのまま受け取れないようにするのが私たちの考えですが、牧師さんはどのようにみことばをそのまま受け入れることができたでしょうか?

私が牧会をする前は12年間、政治のほうで働きました。政治の世界の特性が自分自身を人の前に表し、味方につけて働くことなので、救われてから教会で働くときも、自分を立てていました。それでいつも問題が起きていました。あることを進めるときも私の考えに合わないと全て駄目にしてしまいました。ところで、一度、神様が私に、私がするすべてが偽物だということを見せてくださいました。創世記6章で、神様がご覧なることと人が見ているものは確かに違っていました。人々の目には美しくて相応しく見えても、神様はその全てがいつも悪だということです。そのとき、「私が見て良さそうに見える私の世界は終わらせ、いつも悪だという主の世界が立たなければならないんだな」ということが分かりました。たとえば、戦争に出て負けたら、そのときから勝利者によって全てが決まり、左右されるようにです。 ペテロは、みことばによって魚を捕り、それが良かったのでイエスの後について行きました。ところがイエスは彼に「あなたはわたしを3度も知らないと言う。」と言われました。「私は船も妻子も捨て、自分のすべてを捨てて来ました。私があなたを知らないと言うのであれば、どうして私がついて行くでしょうか?」と言ったペテロの考えが正しいようでもそれは間違っていました。創世記27章でヤコブが「兄さんのエサウは毛深い人なのに、私のはだは、なめらかです。父上は私にからかわれたと思われ、のろいをこの身に招くことになるでしょう。」と言ったのも、ヤコブが見たときは正しい話ですが、母のリベカが受けた約束の前では偽物でした。

 私がいくら仕事ができても、教会と神のしもべの意見と違えば、捨てなければならないのです。そんなことが数え切れないほど繰り返されました。そうしている間に、「私の仕事は誰の仕事なのか?この仕事の決定権者は誰か。大統領なのか?いや、違う。神様と神様のしもべが決定権者だ。」私の心にそれが立てられました。「私が主人を仕えるなら、主人が願うことに私の命をすべて投げなければならないんだ」と。今年、ワールドキャンプを準備しながら、世界青少年部長官フォーラムの基調演説者を決めるときも、私の考えでは相応しいと思う方を推薦しましたが、パク牧師さんは、私が考えられなかった部分までを考慮し、他の方を推薦しました。そのとき、私の計画をすぐに捨てました。私は自分を下ろすことができない人なのに、主はいつも私を下ろすように導きます。そういうことが感謝です。ある選手が試合に出るために多くの訓練をするように、私も今まで20年間、主君の決定に従うように訓練を受けたのです。それで、今回がんになったときも、この問題に向けた主君の話をそのまま信じて従うしかありませんでした。数多くの訓練のうち一つを挙げると、パク牧師さんがパラグアイのワールドキャンプ期間中にフェルナンド・ルゴ元大統領に福音を伝えたときのことです。当時、ルゴ大統領に会わせてあげるという条件で、韓国から国会議員の方を一人連れて行きました。ところが、大統領との面談時間が45分しかないということで、その席に議員をつれて行くことができませんでした。パク牧師さんがその時間内に福音を伝えるためには時間が足りなかったからです。大統領に会うために同行した方に事実を申し上げなければならないというのがとても負担でした。しかし、福音を伝えることがもっと重要だったので、そのことを議員さんに伝えると、その方が戸惑いながらすぐにでも韓国に帰ると言いました。議員さんの気分を解くためにイグアスの滝を観光させてあげようとしたが、交通違反で警察署の留置場に入りました。ちょうどそのとき、ワールドキャンプ進行部から連絡がありました。その議員さんに1,200人の学生たちの前で名士の講演をしてほしいという連絡でした。それで議員さんが心を開いて承諾し、警察署から出て講演をすることができました。その夜、フェルナンド・ルゴ大統領が26省庁の長官と共にワールドキャンプに参加する驚くべきことがありました。さらに驚くべきことは、その日、その方が大統領のすぐ後部座席に座っている姿が、翌日のパラグアイ新聞の一面に掲載されたことです。議員さんがその新聞を読んでとても喜んでいました。私が見て良くないことも、神様が導く善な御手の中にあるということをはっきりと知りました。

 創世記41章には、ヨセフがパロの夢を解き明かしてあげると、パロは彼をエジプト全土の統治者にした話が出ます。「そこでパロは家臣たちに言った。『神の霊が宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。』パロはヨセフに言った。『神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。』」と言い、自分の指輪を手から外してヨセフの手にはめ、彼に亜麻布の服を着せ、首には金の首飾りを掛けて、自分の第二の車にヨセフを乗せました。私の心にこのみことばがそのまま成し遂げられました。「パロも囚人のヨセフの知恵の前にひれ伏したのに、普通の人である私は神様のしもべの言葉を聞いても硬い」と、私の姿を発見しました。創世記45章8節にはヨセフが兄たちを集めて告白します。「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」そのときから私は、パク牧師さんが私の魂を導く父であることを少しも疑いませんでした。息子のすべてが父親によるものであるように、牧会の初めから終わりまでのすべては、神様のしもべによるものだという意味です。どんなことをしても、神様のしもべに従うことができるようになったのです。

Q:入院中も、日曜礼拝には必ず教会に行ってみことばを伝えたと聞きました。

 はい。そうです。入院中も日曜礼拝は欠けたことがありません。手術して3日ぶりに病院を出てみことばを伝えました。病院では外出できないと言いましたが、「あなたは医師であるために医師としての役割を果たすように、私は牧師であるために牧師としての任務を全うしなければなりません。それで日曜日は聖徒たちに証をしてみことばを伝えに行かなければなりません。」とし、2~3時間ほど外出を許されて行きました。手術部位がとても痛かったのですが、教会に来るときは嘘のようにお腹の痛みが消えていました。神様が力を与えていました。礼拝が始まり、副牧師が司会を務めるとき、私が講壇の下で祈っていると、新しい心になりました。ルカの福音書15章で、次男が家に戻ってくると、父が食べて祝おうではないかと言うと、その息子も楽しいように、神様が私にもその心をくださっていました。「そうだ。これは痛いことではなく、楽しいことだ」と思われ、壇上に立って1時間ほどみことばを伝えられることに感激しました。退院後も平日の午前と夕方に、毎日お祈り会を導きしました。パク牧師さんがこれまで、痛いからといってみことばを伝えられなかったことはないと言ったように、神様が私にもそのとおりに働いておられました。痛みでつらくなっても牧師だからみことばを伝えて、もしみことばを伝えながら息を引き取っても、それが神様の仕事であり、神様が私とともにいるので恐れませんでした。むしろ、みことばを伝えると神様が力を与えることを感じました。それよりもっと良い薬はありません。牧師さんが歩んだ道を私も歩みたいという気持ちが大きかったです。本当に牧師さんの言うとおり、牧師がみことばを伝えられることよりもっと大きな賜物はありません。

Q:手術して8か月ほど経ちましたが、今の健康状態はどうですか?

 とても良いです。退院後は一度も薬を飲みませんでした。医師が薬を処方してくれれば、その薬に依存して病院や医師を訪ねないと言われました。それでがん治療を失敗する場合が多いと言いました。少しでも体に異常があったら、病院に連絡して医師に行くのが処方だそうです。その話を聞いたとき、信仰もまるでこのようだと思いました。神様はどんな手段にも依存せずに、神様だけを求め頼ることを願っております。定期健診を受けるたびに、医師は奇跡だと言います。早期に発見したのも奇跡で、転移していないのも奇跡だと。手術後3か月ごとに病院に行きますが、私の状態が最高だとしました。最近、5月18日に定期健診を受けましたが、すべてが正常だから、これからは6か月後に来なさいと言われました。

Q:この間、牧会をする場所がスウォンからチョンアンに移動になりましたが。

 私がチョンアン教会に移動する前にパク牧師さんに挨拶に行ったら「チョンアンはとても良い。」と言ったので、私も「アーメン」と言いました。私が見て良いとか良くないとかは何の意味もありません。夜明け4時に目を覚ますと、窓の外から闇が消えて朝日が昇り、明るさが訪れます。神様が私の人生をこのように導いてくださるという気がして一日一日を希望で始めます。パク牧師さんが退院したら運動しなさいと言ったので、最近は教会の裏山を歩いています。山に登って帰って来るときは毎日が新しくて嬉しいです。春には新芽が出、花が咲き、葉が生え、今日はこの枝に葉が咲いて、次の日はあの枝に花が咲いて…。毎日新しいです。道端にある木でも春になると芽が出、足に踏まれた芝も春になると芽が生えます。芝が「私がこんなに踏まれていたのに、どうやって新芽を出せてというのですか?」とは言わずに、春の気配に反応するのを見ると、人間は植物より劣ります。人は少し難しければ「こんな状況でどうやって暮らせるの!」と不平不満が多いではないですか。山に行くと木々と話します。毎日夢を見ているようです。時々私の考えが上がってきますが、それは何の力にもなれません。神様が私の罪にも勝ってくださったし、私自身にも勝ってくださって、私の人生にも勝ってくださったからです。牧師さんの言われるとおり、本当にがんは何でもありませんでした。もはや私として生きるのではなく、主として生きています。パク牧師さんはいつも私に「あなたは神様の人だ。あなたは天の仕事をする人だ。」と言ってくれます。神様のしもべの言われたとおりに生きられることが感謝です。神様に感謝します。