オ・ワンス(グッドニュース・テグ教会)
疾病からの復活

 人々は私を‘オ・ワンス姉妹’ではなく「チェ・スヒョンの母」と呼ぶ。そして時々「姉妹、本当にスヒョンの実の母で合っていますか?」と笑う。

 2008年6月の夕方頃、リンカーンハウス・マサンスクール3年に在学中だった娘(チェ・スヒョン)から電話がかかってきた。普段と違う低い声で

「母さん、私全身が麻痺して動けない。」と言った。一瞬、気が遠くなり、天が崩れ落ちるようだった。

「え?麻痺?」次に私の口から出た言葉は「スヒョン、母さんは死にたいよ。」だった。

 当時、夫が3か月間も仕事がなくて休んでいたので、生活がとても苦しい状況だった。ところが、度々「頭が痛い」と言っていたスヒョンまで体が麻痺したという話を聞くと、まるで真っ暗で長いトンネルに閉じこめられたようで、どこに行けばいいか、どうすればいいのか分からないほど絶望的だった。連絡を受けてもお金がなくて迎えに行くこともできなかった。とめどなく涙を流しながら「神様、助けてください。神様、どうしたらいいですか?神様!神様!」という叫びだけを繰り返した。夫を見て「どうしてこんなに無能なの?」と叫ぶと、心の中から誰かが‘そう言うお前はどうなんだ?’と言われるようだった。「そのとおりです。私も無能です。だから私を助けてください!」と祈った。

 テグ教会のパク・ヒジン牧師はスヒョンの話を聞いて、エレミヤ書29章11節のみことばを伝えてくれた。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」そのときは何も考えずにみことばを聞いていた。

 3日後、お金を工面して娘を迎えに行った。状態は深刻だった。マサンにある病院では‘珍しい病気のようなので早くソウルの一番大きな病院に行きなさい’と言われた。私は娘に「スヒョン、大丈夫。良くなるから心配しないで。」と言った後、どうしていいのかわからなくて、教会の集いと礼拝に参加した。

 教会に行くと、牧師はいつも同じ証で同じみことばを伝えていた。「わたしはあなたがたのために立てている計画を…」3度目までは聞いたが、ようやく4度目に聞いたときにみことばが私の心にそのまま入って信じられた。‘娘の体に麻痺が来たのがわざわいのように見えるが、それはわざわいではないんだ。神様がわざわいではなく平安だと仰るならそれは平安だ。将来と希望を与えると仰るならそれは希望なんだ。’私にスヒョンが起きて歩けるという信仰が生まれた。私はその心を人々の前で3回も証したが、誰もスヒョンが起きるとは信じていなかった。

 ソウルにある大きな病院で検査した結果、病名は‘脊髄炎’だった。脊髄の神経内に炎症を起こす珍しい病気で、炎症がかさぶたになって神経を押さえたので麻痺が来たという。生きられる可能性が20%にもならないと言う医者の言葉に、私たち夫婦は言葉を失ったまま家に戻った。クミに帰って来て脊椎分野で有名だという病院を訪ねて42日間も薬物治療を受けたが、娘の体はさらに悪化し、病院では退院を勧めた。

 娘の病気を治す方法がなかったので、パク・オクス牧師さんに按手祈りを受けさせようと牧師さんに会わせてほしいと祈り始めた。そして、祈り続けて1か月ほど経ったある日、パク牧師さんがクミに来るという話を聞いた。奇跡だった。牧師さんはその日にウルサンで大伝道集会を終えてテグに行って一晩泊まってから翌日にはソウルへ行く計画だったのが、車に乗って話すうちにテグを通り過ぎてしまい、急にクミ教会に来ることになったのだ。

 ルカの福音書19章1節のみことばが浮かんだ。‘ザアカイを救うためにエリコに立ち寄ったイエス様が、スヒョンにも恵みを施すためにクミに立ち寄るのだ。牧師さんが立ち寄るのではなく、その中におられるイエス様が立ち寄るのだ!’と思い、希望が生じた。横になっている娘に「スヒョン、パク牧師さんに祈ってもらえれば治るんだよ。なぜなら、牧師さんが来られるのではなく、イエス様が来られるんだから。」と話した。スヒョンも私と同じ心で喜んだ。

 翌日の未明、教会に行ってパク牧師さんに会ってみことばを聞いた。牧師さんは使徒の働き3章に出てくる足のなえた人の話を伝えてくださった。歩けなかった足のなえた人が、起きあがって歩いたり跳ねたりしていたのが、まさに‘スヒョン’だという気がして喜び感謝した。みことばが終わってから、牧師さんが娘に按手祈りをしながらこう話された。

「スヒョン、電気は電線を通して流れて水道水はパイプを通して流れる。お前の心と神様の心がつながり合えば、神様がお前に働いてくださる。わかった?スヒョン、お前は必ず起きて歩ける。」

 それから間もなく、娘の体に変化が生じ始めた。それまでの娘の体は、まるで死人のように、触るも寒さも痛みも排泄の際も何の感覚がなかった。全身が冷え込み、体の筋も見えなかった。ところが、牧師さんと会った後、ある日、寒いと言い、触るとくすぐったいと言った。驚くべき神様の働きの前に、私は毎日感動し、感謝しながら過ごした。

 ある日、娘がひどく苦しみながら「母さん、私の足を切ってください。私はこの足さえなければ生きられると思う。」と言った。娘が痛みを感じるようになったのがとても嬉しかったが、娘は苦痛に耐え切れず、足を切ってほしいと言ったのだ。私は娘にこう言った。「スヒョン、痛みを感じるというのは体が生き返っている証拠だ。痛みに耐えたら良くなる。それから、さっきお前が言ったことはもう二度と言うんじゃない。神は私たちの話をすべて聞いておられる。冗談でもこれからは信仰の話をしなさい。」それから詩篇のみことばを聞かせてあげた。「主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。」(詩篇34:15)

「神様はいつも私たちに目を向けて、私たちが何を求めているのか聞いておられる。なぜなら、私たちが求めているものを成し遂げてくださるためなの。」

 その日以来、娘はそのような話はしなくなった。自らの力では水も飲めないし、助けなしでは起きることも座ることもできなかったが、「母さん、私走ってるでしょう?私は歩いているの。」と語った。2か月後、奇跡が起きた。娘が歩き出したのだ。娘は、ワールドキャンプに参加してマラソンをし、たった1か月だけだがアフリカ・ガーナに短期宣教も行ってきた。

 娘が起きて歩いたときは問題が全部解決できたと思った。ところが、娘がガーナに到着したその2日後に、血を吐いたという連絡がきた。青天の霹靂のような話で心配が大きかったが、一方で「違う。 神様がこうさせたのには何か意味があるはずだ。これも神様の計画の中にあることだ。」という気がした。それで娘に「スヒョン、大丈夫だよ。何も心配しないで。」と話した後、パク·オクス牧師さんに娘の状態を書いて携帯メールで送った。娘が歩けるようになったのが牧師さんの信仰から出たことだというのを知っていたので、私は娘の問題を牧師さんに任せて休むことができた。

 娘はガーナから韓国に戻って検査を受けたが何の異常はなかった。その以後、娘は健全ダンスチームの団員になりたいと言って、プサンの団員である姉妹の家で一緒に過ごした。そして6か月が経ったある日、娘がとても落ち着いた声で電話をしてきた。

「お母さん。私、病院に行って来た。」

「なぜ?どこか悪い?」

「母さん、驚かないで。驚いたらダメよ。私、がんだって。すでに6箇所にも転移して6か月しか生きられないそうよ。」

 意識がもうろうとしていた。そしてがんの診断を受けて驚いて苦しんだはずの娘を思うと、胸が痛くなった。短い間に多くの考えがよぎった。ところが、あまりにも想像外の話で急に笑いが出た。

「スヒョン、お前ががんだって?でもスヒョン、お前は死なない。それしきのがんは何でもない。スヒョン、母さんが詩篇を読んだけど、詩篇に‘盾’という単語がたくさん出るんだよ。盾は戦場で使うものだろう?人を殺そうと飛んでくる矢、刀、石などは盾で阻止するの。聖書で盾の意味は「イエス様」という意味だ。スヒョン、十字架で血を流して私たちの罪を赦したイエス様を信じるだろう?イエス様はあなたを殺そうと攻撃する全てのがんをすでに阻止しているのよ。イエス様が2,000年前に罪だけを赦したのではなく、問題と困難を阻止し、お前を殺そうとするがんもすでに阻止したから、お前は死なないよ。分かるよね?」

 話を終えてすぐ電話を切った。目から涙が流れていたからだ。喉が詰まってくるのを無理やり我慢し、涙が流れるのを見付からないように私の話ばかりして、一方的に電話を切った。

 その後、娘と私は嘘のようにがんのことを忘れて暮らした。だんだん娘の体が痩せ衰えていたが、がんのせいだと気づかずに多くの時間を過ごした。私たちはパク・オクス牧師さんにしきりに会った。牧師さんが祈ってくれれば、娘の体調がよくなったからだ。一度は娘がタイのワールドキャンプに参加したが、会場で転んで大理石の床に頭をぶつけた。そのときすべての記憶を失って、自分が誰なのか、母と父と兄が誰だかさっぱりわからない状態になって6か月以上を家で過ごした。私が「スヒョン!」と呼ぶと変な目で私を見た。全然知らない人のように。そのとき、私はただ娘が生きているということだけでも幸せだった。娘が赤ちゃんのような知能で暮らしていた頃、私も赤ちゃんになったように楽しみながら遊んであげた。ある日、娘が「母さんはママなのに、どうして赤ちゃんみたいなの?」と質問した。私は「なぜなら、私の娘が赤ちゃんだから私も赤ちゃんになったのよ。」と答えた。娘の状態は深刻だったが、生きて私のそばにいることが感謝だった。

 6か月が過ぎて娘の記憶が戻り、翌年の2012年3月、娘はリンカーンハウス、マサンスクールの舎監として行った。ところが3月28日の夕方に娘から再び電話がきた。

「母さん。私、病院に来て腹水を抜いたの。」

 直感的に問題が深刻だということを感じたが、平然と話した。

「腹水を抜いた?体の具合はどう?」
娘を安心させて電話を切ったが、胸が張り裂けるような痛みを感じた。

「神様、あなたの娘を助けてください!」
しばらく祈っていると、パク·オクス牧師さんが話してくれたみことばが思い浮かんだ。

「…では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」(ヨブ記2:6」

「ああ、娘の体はサタンに渡して全身にがんが広がったけれど、命には触れるなとおっしゃる。そうならば娘は死なないんだ。」

 娘は死の淵を幾度となく行き来した。いつでも死ぬことがあるため、病院に行くたびに‘死んでも病院に責任を問わない’という自筆の署名をし、腹水を抜き取りながら過ごした。あまりにも苦しい時間だったが、その状況が私たちの心を殺すことはできなかった。

 娘は数えきれないほど多くの峠を越え、最後に娘の舌にもがんができて、舌が固まっていった。娘の体の隅々にがんが広がり、最後に舌にまでできたのだ。医師は舌を切らなければならないと言った。そのときも、あるみことばが浮かんだ。「もしそのツァラアトが彼のからだ全体をおおっているなら、彼はきよい。」というみことば。私は娘に言った。

「スヒョン、がんが舌にまで広がっていたら、もう治ることだけしか残ってない。だって、全体がツァラアトに覆われた人はきよいとおっしゃったからだよ。」

 娘は私の言葉を信じた。その後、がんが急速に減り始めた。2013年7月には臓器にあったがんがなくなって、頭と手足に残っていたがんも減り、2014年5月に「がんが全てなくなった」という診断を受けた。

 娘が脊髄炎を患ってから歩き、全身にがんが広がった状態で治り、これほど健康になるまで、私がしたことは何もない。治る可能性は少しもなかったが、神様のしもべたちが伝えた聖書のみことばをそのまま信じ、そのみことばどおり娘と交わりしながら休んだことしかない。つらくなるたび牧師さんを訪ね、痛くて苦痛を訴える娘に「スヒョン、痛い後はもっとよくなるよ。これは何でもない。」と言って娘の前では笑い、後ろでは神様に祈った。エゼキエル書で干からびた骨と骨が互いにつながって非常に多くの集団となったように、死に捕らえられているように見えた娘はすべての病から解放された。そして今は神様がくださった夢を叶えながら力強く幸せな生を生きている。