信仰の手引き(日本語)

恵みの前に出た人々

投稿者
goodnews2
投稿日
2023-07-07 09:37
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自分を賢いと思い、ダビデを軽蔑したナバルは死を迎えましたが、アビガイルはダビデの言葉を聞いて恵みの前に進み、ダビデに仕える祝福された女になりました。ギブオンの住民は神の働きを聞いて、ヨシュアに降伏して命を得ました。神は自分の知恵を捨てて神の恵みを受けようと恵みの前に出る人々を助け、守ってくださるのです。

どうするかを考えて サムエル記 第一 25:2~20

ダビデがサウルに追われて荒野で過ごしている時、近くにナバルという大金持ちが住んでいました。ナバルは頑迷で行状が悪い人で、彼の妻アビガイルは聡明で美しい人でした。

ナバルは羊とやぎをたくさん持っていました。ダビデと彼の軍隊がナバルの牧場の近くで過ごしていたので、ナバルの家畜の群れは泥棒や獣から守られて平安でした。ダビデはナバルが自分に感謝していると思いました。それでナバルの羊の毛の刈り取りの日に、部下十人を遣わして食べ物をもらって来るようにしました。しかし、ナバルは食べ物を与えるどころか、嘲笑して言いました。

「ダビデとはいったい何者だ。エッサイの子とは、いったい何者だ。このごろは、主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。私のパンと私の水、それに肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれてやらなければならないのか。」ナバルはサウロ王がダビデを憎み、ダビデを殺そうと追っていることをよく知っていたので、ダビデを助けて損を被るかと思い、助けなかったのです。ダビデは、恵みを覚えずにサウロの方についたナバルと彼の家を滅ぼすことにしました。そのことを知ったアビガイルは自分に滅亡が訪れることを悟り、急いでダビデの元に走って、彼の前で恵みを乞いました。愚かなナバルの方につかず、ダビデに行って、ダビデの声を聞く人になったのです。

ナバルは自分が賢くて聡明だと考えており、自分を信じた結果、体が石のようになって死んでしまいました。ダビデはナバルが死んだ後、アビガイルを妻にしました。ナバルは愚かで高慢な私たちの心を表します。イエスの大きな恵みを受けても、私たちが自分の心に従って生きれば、滅びるしかありません。神は私たちをアビガイルのように、イエスに仕えて、イエスの御声に従う人として導きます。

私たちはあなたのしもべです ヨシュア記 9章1〜15節

イスラエルの民が神の導きを受けてカナンの地を占領するために行った時、その地に住んでいるヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはイスラエルに向かって戦おうとしました。しかし、ギブオンの住民たちはイスラエルに降伏しなければならないと考えました。それは、イスラエルが神から力を得てエリコとアイを占領した知らせを聞いて、イスラエルと戦う自信がなかったからです。ギブオンの住民たちはイスラエルが簡単には自分たちの降伏を受けないと思い、計略を練りました。遠い国から来た使者のように装い、イスラエルの前に立ち、和睦の盟約をもらう計画でした。

ギブオンの住民たちは、古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、古びた靴を履き、古びた着物を身に着け、かわいてカビが生えたパンを準備してヨシュアのところへ行きました。そしてヨシュアに「私たちはあなたのしもべです。」と言いました。神がイスラエルの民と共におられ、働いておられると聞いたので、遠くから来た自分たちを奴隷にするように頼みました。

ヨシュアは降伏して来たギブオンの住民を可哀想に思い、彼らを生かすと約束しました。良いもの、立派なもの、正しいものを全部捨てて恵みを受けようとするギブオンの住民たちを守ってあげると誓ったのです。

神はギブオンの民を通して、どんな人生が知恵があり祝福なのかを教えておられます。自分勝手にしたい心と自分が主人になって生きる人生を捨て、神に属して神の導きに従う人生を生きれば、私たちの全ての問題が神の問題となり、神が解決して助けてくださいます。

皆さんもギブオンの民のように神の御心に心を合わせ、命を得、神が準備したたくさんの祝福の中で喜んで生きることを願います。