信仰の手引き(日本語)

ウザとオベデ・エドム

投稿者
goodnews2
投稿日
2023-08-12 12:00
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ウザは自分が神を支えようとして殺されました。オベデ・エドムは神の箱を預かっていただけで祝福されました。私たちも「神様、私はイエスの血しおで罪の赦しを受け、あなたが私の中におられます。神ほど私を守られる方はいないので、あなたに委ねて生きます」このような心を持つ時、神の祝福を受けます。

文|パク・オクス牧師  翻訳|ナム・ジュヨン先生  絵|ユ・ジウン先生



契約の箱を手で押さえたウザ
サムエル記第二6章にウザとオベデ・エドムの話が出ます。イスラエルがペリシテと戦争する時、神の箱を奪われたことがありました。ところがペリシテ人は神の箱を見て恐れて、送り返しました。契約の箱は丘の上にあるアビナダブの家に長い年月とどまるようになりました。やがて、ダビデが王になり、ダビデは契約の箱をダビデの町にお迎えしようとしました。民は、神の箱を新しい車に載せて、牛に引っ張らせるようにして運び始めました。アビナダブの子、ウザとアフヨが一生懸命準備してから新しい車を御しました。アフヨは箱の前で車を御して、ダビデとイスラエルの民は立琴、琴などの楽器を鳴らしながら、神の箱を運んで来ることを喜びました。

しかし、ナコンの打ち場まで来たとき、牛が急に飛び上がりました。その時、ウザが急いで神の箱を手で押さえました。神はこれを見て怒りが燃え上がり、彼を打たれました。ウザはその場で死にました。ウザは何を間違ったのでしょうか?

ウザの過ち
聖書を見ると、神の契約の箱は祭司がかついで移すように定められていました。しかし、民たちは神の御言葉を忘れて、自分たちの考えに従って新しい車を作りました。

そして、ウザとアフヨは自分たちが神の契約の箱を移す大事なことを任され、民が歌ったり踊ったり喜ぶ姿を見て、心が浮かれたようです。それで牛の手綱を適当に握っていました。牛の手綱をしっかり握っていたら、もし牛がびっくりして跳ね上がってもすぐ解決できたはずです。しかし、手綱を適当に握っていたので、契約の箱が落ちそうになり、すぐ自分の手で押さえました。神の箱のためを思って自分が守ろうとしたのです。それは、「あ! ウザでなければ契約の箱が壊れるところだった、ウザが契約の箱を守った」という状況になるところでした。

契約の箱は神を意味します。神は『わたしはある』というお方で、人の助けを受ける方ではありません。人が神を支え、神のために何かをするのはあり得ないことです。



ウザとオベデ・エドムの違い
ダビデはウザが死ぬのを見て恐れました。それで、契約の箱をダビデの町に移さないで、ガテ人オベデ・エドムの家に回しました。こうして、神の箱はガテ人オベデ・エドムの家に3か月とどまりました。主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福されました。聖書にはオベデ・エドムが契約の箱のために何かをしたという記録はありません。ただ、契約の箱を受け入れて、安置しただけでした。それなのに、オベデ・エドムの全家が祝福されました。ウザの家族は神の箱を預かっていたのに、契約の箱について知りませんでした。神の御心に関心がなかったのです。それで、彼はかついで運ばないで車に載せて引っ張り、契約の箱が揺れたとき、彼は自らそれを押えました。

私たちはこの時代のオベデ・エドム
私たちもこの時代のオベデ・エドムです。神を心に迎え、私たちのために働こうとなさる神の御心が分かったとき、神が私たちのために働かれるのを見ることができます。オベデ・エドムが何かを上手にして、契約の箱によく仕えて、祝福を受けたわけではないように、私たちが神のために何かをしなければならないのではなく、私たちのために働こうとする神を信じるだけで良いのです。

私は福音を伝えながら生きている間、大変なことにたくさん遭いました。しかし、その度に神が私を助けられ、祝福と恵みを施してくださるのを見ました。一度も私一人で大変なことに遭ったことはなく、神が私と共にいらっしゃって、私を引っ張り導いてくださいました。神が私と共におられるので、みすぼらしくて不足でも問題にならず、失敗や過ちを犯しても問題になりませんでした。これが神の恵みです。




神が私たちを支えて守る時
私たちが今日一日食べて勉強をして健康に過ごす、このすべてが神の恵みです。人は誰も明日何が起こるのかわかりません。それで、私たちが自分自身を守るというのは間違いで、神のためを思うことは、もっとありえないことです。人間は神のために何かをすることはできません。神は私たち人間のために存在する方です。

私という存在がどんな時に一番安全か、どんな時に一番幸せか、どんな時に一番栄光があるのかを正確に知らなければなりません。私たちが努力すれば、もっと良い生活をし、もっと勉強ができ、もっと余裕のある生活ができるかもしれません。しかし、私たちが自分の人生のために努力するよりも、神が私たちのために働く方がはるかに安全です。私たちがイエスの中にいる時、神の恵みの中にいる時、神が私たちを支えて守られる時、最も安全で祝福を受けることができます。皆さんがそのような心を持って家や学校で生活をすれば、神が皆さんを助け導いて守るのを見ることができます。

ウザは自分が神を支えようとして殺されました。オベデ・エドムは神の箱を預かっていただけで祝福されました。私たちも「神様、私はイエスの血しおで罪の赦しを受け、生まれ変わって、あなたが私の中におられます。神ほど私を守られる方はいないので、あなたに委ねて生きます」このような心を持つ時、一番幸せな人になります。