信仰の手引き(日本語)

イスラエル人の偵察を守った遊女ラハブ

投稿者
goodnews2
投稿日
2020-01-01 13:58
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ラハブは危険ながらもイスラエル人の偵察を生かしてあげました。しかも、彼らを通して家族が救われるという祝福を受けました。サルモンがそのようなラハブを貴く思って娶ったみたいに、今日イエスは一時受ける安息よりも、将来を見通して霊魂を救おうとする人と共にし、その人を通して働きます。

エリコの友情ラハブと二人の偵察
ヨシュア記2章は、ヨシュアがイスラエルの民を率いてエリコ城を攻撃する話しです。ヨシュアはまず、二人の偵察をエリコに送りました。二人の偵察はエリコに行って、遊女ラハブの家に泊まりました。しかし、エリコの王は偵察が潜り込んできているのを知ってしまい、軍人をラハブの家に送り出しました。
軍人らは、ラハブの家に行って偵察を探しました。しかし、時はすでにラハブが二人の偵察を屋上に連れて行き、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に隠した後のことでした。ラハブが軍人らに伝えました。
「その人たちは私のところに来ました。しかし、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした。その人たちは、暗くなって、門が閉じられるころ、出ていきました。その人たちがどこへ行ったのか存じません。急いで彼らのあとを追ってごらんなさい。追いつけるでしょう」
そのように、ラハブはエリコの軍人を追い払ってイスラエル人の偵察を守ってあげたわけです。

 

二つのグループに分かれたエリコの人々
イスラエルの民がエリコに向かっているという話しを聞いて、「私たちはイスラエルの民には敵わない。彼らはエジプトから出てきて以来、ここまで来る途中、すべての国々を滅ぼしたではないか。エリコも滅びるだろう」と考えていました。このころ、エリコの人々は二つのグループに分かれていました。偵察に会ったとき、一つのグループは「あの人たちと一緒にいれば、うちの家族は救われる。これは驚くべきチャンスだ」と考えていました。そして、ほかのグループは偵察と一緒にいたところ見つかれば、困ったことになるだろうと思い、報告しました。そうして自身を守るのがもっと安全だと思ったのです。
神様が私たちに多くの境遇に遭えるようにしたのは、素晴らしくて恵のあふれたことをなさるためです。それらのことをするのは重荷に感じますが、それを超えたときにすべての家族が生きるという大きな恵みが訪れます。しかし、多くの人は些細な負担に乗り越えられず、大きな恵みを捨てています。エリコの人々が、偵察が潜り込んできたと王に報告するように、一時に過ぎない楽な道を選んでいるのです。

 



信仰によって生きることの恵みを知らない
ある日、私はある学生のカウンセリングをしていました。
「先生、私は信仰によって生きたくありません。自分が好きなようしたほうが楽です」
「君は信仰によって生きるとき、得られる恵みの大きさを知らないからそう言っている。もし、私が君に千万円をあげるというなら、好きなように生きたいという心を曲げて、新しい心で生きるでしょう」
「もちろん、そうです」
「そうでしょう。イエスを信じるときに受ける恵みは、お金で換算すれば千万円とは比べ物にならないほど大きい。しかし、人々は目に見えないからそのように考えている。だから、目に見えている一時安全なほうを選ぶ人が多いよ」
その学生は私の話しを聞いて、熟考していました。
私たちが肉欲に従ったほうが当分の間、楽に見えるかもしれませんが、肉欲を抑えて御霊に従えば、それによって得られる恵みの大きさを知りません。

 

どう生きるべきでしょうか
私はイエスの血によって罪の赦しを受けたとき、その愛が大きく感謝のあまり、自分の人生をすべてささげても惜しくないという気持ちになりました。どこで、いかなる困難に遭っても、イエスの愛を思い浮かべ、その困難を乗り越えられました。救われて50年が過ぎた今では、イエスの中で得る幸福、喜び、驚くべき恵みは千万円のお金とは比べ物になりませんでした。
エリコに住んでいる多くの人々は偵察を見たとたん、エリコ王に報告するのがよさそうに見え、そうしました。しかし、二人の偵察がエリコに入ってやったことはなんでしょうか。彼らはエリコに入ったのは、信仰をもっている人々を救うためでした。
私は私の老後や家族、子供たち、そして私の一生を神様に任せました。私の人生を私が掴んでいるのと、神様が守り、導くのとは比べられません。ですから、私は自ら自分を守ろうとする心を捨て、神様に私を任せました。はじめは難しそうに見えますが、神様は困難があるたびに私の傍らで私を助けてくださいました。私には想像もつかないほど、驚くべき幸せな人生を生きるよう導いてくださいました。

 



サルモンがラハブを娶ったように
エリコに多くの女がいましたし、イスラエルにも良い女がたくさんいましたが、なぜサルモンは遊女ラハブを妻として選んだでしょうか。ラハブは目先の一時の楽な生活よりも、命を大切に想う女でした。サルモンがラハブを妻として迎えたように、イエスは一時的な安楽よりも将来を見通して人の魂を救おうとする人と共にいます。
賢者は目先の一時のよさそうに見えるものを選ばず、遠い将来を見渡します。ですから、大変でも将来の恵みを待ち望み、喜んでその道を進みます。